「……一緒に住みたい、と言われての返事をまだしてなかったな」
 ようやく口を開くと、穂澄が『あ』とわずかに声を漏らした。
 眼差しが少しだけ不安げに見えるのは、気のせいじゃないんだろう。
 これまでとは雰囲気がまるで違う。
「別に、一緒に住むこと自体は構わないと思っているし、一緒にいられる時間は好きだから、可能であればそうしたいとは思っていた」
「っ……ホント?」
「ああ。ただ――……さっき穂澄が言ったように、一緒に住めばそれなりにこういうことだって視野に入ってくるだろう? だから…………それはマズいな、と思ったから、踏み出せなかったんだ」
 今でさえ、ほぼ一緒に住んでいるのと同じ状況なのは、わかっている。
 だから、なるべく近づきすぎてしまわないように……というか、まぁ、いろいろ考えはするんだ。
 まさか、穂澄自身が望んでいてくれたなどとは思わなかったからこそ、きっと俺がそういう素振りをすれば、引くというか……怖いと思うんじゃないか、と。
 どうしたって、相手は好きな女で。
 そういう対象に見てしまっている以上、自分はただの男でしかない。
 所詮、どれほどきれいごとを口にしても、すべては戯れ言でしかないんだ。
「穂澄は俺にとって大切な相手だし、今後も考えている。だからこそ……軽はずみなことをしたくないというか……待とう、とは思っていたんだ」
「それって…………じゃあ、卒業するまで?」
「……いや。成人するまででも――」
「無理!」
「っ……な……」
「そんなのやだ……っ……私が無理だもん」
 目を丸くしたかと思いきや、ぎゅうっと胸を押し当てられる格好になり、慌てるどころか膝がベッドへ当たって倒れこんでしまった。
 先ほどまでとは、逆。
 穂澄が上にいるだけじゃなく、明らかに強い意志を持っているような顔をしていて。
「っ……」
 するり、と手が胸元を撫でた途端、ぞくりと身体が反応する。
「じゃあ……私からするぶんには、構わない?」
「っ……な、に?」
「なんなら『絶対に訴えません』って一筆書いてもいいもん」
「……そういうことじゃないだろう」
「もぉ……じゃあ、どうすればいいの!」
 それを俺に言うのか。
 というか、これは普通逆じゃないのか?
 身体の上から肩口を押さえつけられ、どうしたものかと喉が鳴った。

「I don't wanna press you.But I wanna get laid...(プレッシャーを与えるわけじゃないけど、だって私……してほしいんだもん)」

「な……!」
 相変わらずキレイな発音ながらも、飛び出たのはとんでもないセリフ。
 授業では絶対にやることのないスラングだが、映画やドラマなどでは耳にすることがある……といえば、確かにある。
 だが、まさか穂澄がそんな言い方を知っているとは思わなかったのもあり、一瞬唖然として反応できなかった。
「お前……っ……そんな言い方、どこで覚えた!」
「だって、したいの!」
「だから! そういうことを言うんじゃない!」
「なんで!? っ……もぉ! だって、“Chance”と”Change”は1字違いでしょ!」
「なっ……覚えて、るのか……?」
「……覚えてるに決まってるじゃない」
 唇を尖らせて見られ、再度驚きで目を見張る。
 穂澄が口にしたのは、毎年必ず入学したての1年に言う言葉。
 これはもう、教師になってから毎年言ってきたので、自分の中では割と意識せず出てくるようになっている。
「あれって1年生のときだよね。最初の授業で何言うのかと思ったけど……でも、すっごい印象に残ってるよ」
「…………」
「この先生、こんな厳しそうな顔して意外とキザなのかなーって思ったけど……大正解だったね」
「っ……」
 すぐそばで微笑まれ、喉が動く。
 そんなにかわいい顔で笑われたら……困るだろうが。
 さすがに口には出せないが、それでもつい手が伸びて。
「…………」
「…………」
 頬に触れると、柔らかさと温かさが心地よかった。
 ……弱ったな。
 まさか、こんな形で導かれるはめになるとは。
 きゅ、と結ばれた唇がすぐ目の前にきたが、引き寄せるようにして俺のほうが先に動いた。


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