「……穂澄は、母親に報告するとき戸惑わなかったのか?」
「んー……まぁ、ちょっとはね。でも、私の人生だもん。ママには関係ないでしょ? どうしても好きな人だから一緒にいたかったの。ただそれだけ。別に私、何も悪いことしてないし」
「っ……」
 車から降りた彼女にそれとなく訊ねると、今まで束ねていた髪をほどいて手ぐしを通した。
 夜風に長い髪がなびき、ふわりと自分と同じシャンプーの香りがする。
 だが、振り返ったとき、すぐここの外灯に照らされた凛とした立ち姿と声に言葉を失う。
 ……そうだな。
 穂澄は、いつだってそうだった。
 俺の前でも、知らない誰かの前でも、卑屈になることなく臆することなく、自分の判断をきちんとしてきた。
 確固たる、“自我”。
 ブレることなく、誰に対しても公明正大である姿勢は、生徒会執行部の要だった所以か。
「……そういえば、さ」
「ん?」
「里逸って、どこの高校出たの?」
 アパートの階段を一緒に上がると、カンカンと高い音が響いた。
 見ると、いつもとは違ってヒールの高い靴を履いており、ああそのせいで身長差がいつもよりなかったのかと納得する。
「俺はもともと、静岡の人間なんだ」
「え、うっそ! そうなの?」
「ああ。だから、地元の高校を出た」
 このあたりの高校にはそれなりに詳しくもなったぶん、当時とは違う今の地元の高校レベルは変わっているのかもしれないが、俺が通った高校は当時サッカーでそれなりに成績を残してもおり、なおかつ吹奏楽部も毎年賞を受賞するほど有名だった。
 進学校としてはそこまで有名でもなかったが、人が人を呼んだせいもあって毎年高倍率。
 男女共学で、ソウなどはサッカー部のキャプテンを務めていたこともあってか、噂を聞かない日はなかった。
「え、じゃあ部活は?」
「いや。生徒会に入っていたからな」
「うわ、らしいー」
「……なんだそれは」
「え、だって、なんかすっごいドンピシャっていうか。もしかして、生徒会長?」
「いや。副会長だ」
「うっそ。私と同じじゃん」
「ああ。……だが、生徒会長はほとんど自分の仕事をしない人でな。すべて、俺が責任をまっとうした覚えしかない」
「あはは。なんか、想像つくね」
 くすくす笑いながらドアに手を伸ばした彼女は、俺が鍵を開けたのを見てからノブを引き、俺をうながした。
 ……いや、そこは俺がするべきところじゃないのか。
 鍵を持ったまま一瞬戸惑うと、首をかしげて『寒いでしょ?』と言われ、入るしかなかったわけだが。
「んー……じゃあこの間一緒にごはん食べた人って、大学のときの友達?」
「いや。あいつは……幼なじみだ」
「へぇー! 里逸の!?」
 なぜか途端にテンションを上げた穂澄は、パンプスを脱ぐと先に上がって俺を振り返った。
 ……どうしてそんなにきらきらした目で見るんだ。
 きっと、穂澄が考えているようなステキで面白い話など、一切聞けるはずない相手なのに。
「じゃあ、里逸のこといっぱい知ってるんだね」
「…………まぁ、そうだな」
 いいことも悪いことも、な。
 さすがに付け加えずに無言を保ったまま、コートを脱いで寝室へ向かう。
 するとそのとき、留守電が入っているらしく滅多に光らないランプが点滅している電話が目に入った。
 スマフォ宛てではなく、自宅。
 ということは――……。
「今度、話聞かせてほしいなー。ね、いいでしょ?」
「……ああ、まぁ……今度な」
「ホント? 約束だよ?」
「っ……いや、待て。アイツは駄目だ」
「えー。なんでよー」
「だから……まぁ、いろいろと…………面倒だろう」
 穂澄を紹介した途端、ソウは間違いなく食いつくに決まっている。
 あれよあれよという間に打ち解け、俺をそっちのけで話し込むに違いない。
 アイツの人懐っこさは、恐ろしいレベルだからな。
 きっと、穂澄の口の軽さを利用してぺらぺらと俺のどうしようもない話を聞きだすに決まってる。
「ん? 電話?」
「……ああ」
 穂澄から電話へと視線を戻すも、やはり点滅しているランプは変わりなかった。
 相手が誰かわかった気もするが、仕方なく再生ボタンに指を伸ばす。
 宣伝ならば、消せばいい。
 だが――……。
「っ……」
 久しぶりに聞いた、母の声。
 あまり抑揚のない淡々とした喋り方で録音されていたメッセージは、『年末どうするの?』という恒例のものだった。
 お盆は帰らなかったし、今年の正月も帰っていない。
 だが、帰ったところでどうしても会いたかった相手がいるわけでもなければ、味わいたい何かがあるわけでもないため、再生が終了したビープ音を聞いてすぐ削除する。
「年末、帰らないの?」
 いつもと同じ調子で聞こえた穂澄の声で振り返ると、先ほどまで着ていたあたたかそうなポンチョを脱いで、ぴったりとしたセーターを着込んでいた。
 細かいプリーツのスカート姿を見るのはなんだか久しぶりな気もするが、悪くない。
 ……というか、本当に何色を着ても似合うものだな。
 自分とはあまりにも違いすぎて、だからこそ見ていて楽しい。
「……いや。穂澄はどうするんだ?」
「んー。私はほら、帰るって言っても市内だし。でも、里逸は静岡でしょ? 帰ったら……しばらく向こうにいるよね?」
 はじめは、顎へ人さし指で触れたいつもの表情だったものの、次の瞬間少しだけ寂しそうな顔をしたのを見てしまい、首を振っていた。
 クセのようなものでもあるだろう。
 だが、こういう反応をしたということは、素直な気持ちに違いない。
「いや。俺は帰らない。……どうせ、帰ってもいろいろ言われるだけだ」
 ならばいっそ、この部屋でいつものようにひとり過ごすほうがマシ。
「っ……」
「じゃあ、私も帰らない」
「な……お前は帰ったらいいだろう」
「やだ。じゃあ、里逸も一緒にパパとママのところに来て」
「……っ……お前は……」
 視線を落として薄く笑うと、ふいに穂澄が腕を掴んだ。
 なぜか不服そうに唇を尖らせて見つめられ、わけがわからず眉が寄る。
 だが、小さくため息をついたかと思うと、相変わらず穂澄らしい言葉を小さく囁いた。
「だって……里逸と離れるの、やだもん」
 どうしてこの子は、ここまでして俺を肯定してくれるんだ。
 受け入れてくれるんだ。
 ずっと昔、きっと親にそうしてもらいたかったはずなのに、叶わないまま大人になってしまった今。
 それでも、頭のどこかでは幼い日の自分がいるような気もするからこそ、こうして親の代わりに穂澄が俺を受け入れてくれることで、少しずつ溶けていくような気にもなるから不思議だ。
 ……いや……心底ありがたい、と言うべきか。
「っ……」
「……俺もそうだ」
 両手を伸ばして肩をかきだくように回すと、数歩よろけながらも素直に腕の中へおさまった。
 小さな身体から伝わってくる温かさが、やけに大きい。
 ……穂澄がいてくれるから、今の俺がある。
 ありふれたセリフでしかないような言葉の羅列だが、それでも彼女は嬉しそうに『よかったぁ』といつもと同じ調子で笑った。


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