「……う……」
今が何時かはわからない。
だが、ふいに鳴ったチャイムで、穂澄がもぞもぞと動いた。
「…………もぉ……誰よ……」
信じらんない。ちょー非常識。
ぶつぶつ言いながら俺のほうへ寝返りを打ち、そのまま腕を絡める。
……って、これじゃ起きれないだろうに。
パジャマを掴まれて眉を寄せるも、あまりにも穂澄が幸せそうな顔でくっ付いているので、それも忍びないな……などと少し思った。
「……んー……。……起きるの?」
「仕方ないだろう? 何か急用だと困る」
「…………真面目だよね、里逸って」
「そうか?」
「うん。だって……知り合いだったら、ふつーはまずスマフォに電話してくるでしょ」
パジャマを掴んだ手を離した穂澄が、欠伸をしながら伸びをした。
……確かにそれは正論だな。
枕元へ置いたままのスマフォが鳴った覚えもなく、念のためにと確認してもディスプレイには時計しか表示されなかった。
…………5時か。
まさかの時間を知ってしまってかなり残念が気もするが、まぁ仕方ない。
どうやら眠りが浅い時間だったらしく頭も冴えてしまったので、このまま起きてしまうことに決めた。
「……っ」
スリッパを履かずに床へ降りると、身が縮むような冷たさに声が出かけた。
寸ででこらえるも早朝とあって空気がかなり冷えており、温もりが消えた今は身体が震えそうになる。
再度響いたチャイムを聞きながらカーディガンを羽織り、玄関へ。
通路の明かりのおかげでぼんやりと表の様子は見えるが、ドアの向こうにいる相手の顔まではさすがに確認できなかった。
「……はい」
インターフォンの受話器を取り、耳へ当てる。
だが、機械自体もかなり冷たく、冬の厳しさを今から思い知った。
『ここを開けなさい』
「……っ」
命令口調で眉が寄るものの、声の主がわかった途端わずかに残っていた眠気がすべて吹き飛ぶ。
……なぜここにいるんだ。
時間はまだ5時。
日の出までまだ時間があるからこそ、夜中とほとんど変わらないというのに――……どうしてここにいるんだ。
想像すらしなかった人物に喉が鳴り、受話器を置いてからも足がしばらく動かない。
…………まさか、こんなに早く反応するとはな。
昔と同じ極端な性格は今も直っていないようで、ドアへ向かうことすら当然躊躇した。
「……誰?」
「…………母だ」
「…………」
「…………」
「……え。お母さんって……え? 里逸の?」
「ああ」
眠たそうに目をこすりながら寝室から顔を出した穂澄が、目を見張った。
当然の反応だ。
俺だって、できることならこれは夢であってほしい。
……まさか、久しぶりの再会がこんな最悪の状況下でだとはな。
我が親ながら神経を疑う出来事すぎて、同じ血が流れているのかと考えた瞬間ぞっとした。
「…………」
「…………」
時間は朝の5時15分。
一般的に人様の家を訪れていい時間では、決してない。
にもかかわらず、母は俺にひとことも連絡を入れずに直接押しかけてきた。
しかも、いちばん最悪な方法で、な。
こたつを挟んだ向かいに座っている母は、ジャケットと揃いのスカートを着ており、まるでどこかの企業にでも出向くような格好をしていた。
だが、少なくとも彼女は幼いころからずっと専業主婦のはず。
こんないでたちで赴く場所など、そう多くはない。
「……こんな早朝から人の迷惑も顧みずに訪問するなど、人としての常識を疑う」
「あら。人じゃないでしょう? あなたは私の息子だもの。自分の子どもの家を訪ねるのに、何か特別な配慮は必要かしら」
「っ……親しき仲にもという言葉を知らないのか」
「あれは赤の他人に遣うものでしょう。親子間には遠慮なんてもの存在してはいけないはずよ」
彼女とは違い、いまだにパジャマ姿。
当然だが来客だと捉えてはいないので、もてなす気はまったくない。
ましてや、こんな不躾な時間の強行的な訪問。
元々歓迎したい相手でもないのに、どうしてこちらが気を遣わねばならない。
驚いた穂澄が『え、ちょ、どうしよ! 着替えなきゃまずくない!?』などと言い始めたが、当然すべてを否定して寝室にいるよう告げはした。
――……が、今はキッチンにいるらしく、カタカタと小さな物音がする。
「…………」
どうして母が家に来たのかはわかっている。
だからこそ、頭にくるんだ。
昔から、子どものことなどまったく考えない行動が多かった。
それは、子どもを“自分の一部”と捉えているからだろう。
所詮、手駒と同じ。
何よりも忠実に動く家来以上の絶対的な存在。
もしかしたら、ロボットと同等程度にしか捉えていないのではないか。
「……なんの用だ」
「親に向かって随分な口の利き方ね。私はあなたをそんな人間に育てた覚えはないわ。……ましてや、女子高生に手を出すなんて……正気なの? いえ。一時の気の迷いでも考えられないわね。常軌を逸してるとしか思えない」
「なんと言ってくれても構わないが、彼女以外の人間を選ぶつもりはない。以上だ」
「そういう問題じゃないでしょう。いいこと? 高鷲家の長男が教え子の女子高生に手を出したなんて知られてみなさい。少し考えればわかることでしょう? あなたは元々賢い人じゃなかったかしら。近所だけじゃなくて親戚に知られでもしたら、本家の面目は丸潰れよ。何を言われるかわかったものじゃない」
「結局は体裁の話か。愚問だな。実家に戻るつもりがまったくない俺には関係のないことだ」
「そういう問題じゃないでしょう? 結婚というのは、両家の結びつきなの。当人同士の問題ではないのよ。……それもわからないで勝手なことばかり……。本当に、情けないとしか言えないわ」
視線を外してあからさまに嫌そうな顔をされたが、腕を組んだままの態度は依然として変わらない。
何を言われようと、問題ではない。
そもそもの間違いが、あの家自体だと気づいた以上は。
「俺がどうしようと、関係ないだろう? 俺はもう中学生じゃない。自分のことは自分できちんと責任をもち、取捨選択を行える成人だ。自分の道くらい自分で決める権利がある」
「何を言うかと思えば……子どもは幾つになっても子どものままなの。子どものことを親が決めて何がいけないのかしら。子どもが親に従うのは当たり前のことでしょう?」
「……当たり前じゃないから言っているんだろう」
「あなたは昔から何もわかってないわね」
ため息をついて視線を逸らされたが、そんな顔をしたいのはこちらのほうだ。
……何を考えているのか、相変わらずまったく読めないし共感できる余地もない。
昔は、これが当たり前で正しいと思っていたのだから、親というのがどれほどの影響力を子どもへ与えているのかがよくわかる。
恐ろしいことだ。
親子は映し鏡だという。
……なるほどな。
どうりで今の俺には彼女が嫌悪の対象でしかないわけだ。
少し前までの自分もこうだったのかと思うと、正直ぞっとした。
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