「まぁ、そこまで否定されるのであれば、私からも提案がひとつあるんですけれど」
 私が喋るだけで、『いったい何を言い出すのか』みたいな顔をしているお母さまと佐々原さんを見ると、正直笑ってしまいそうになる。
 だからこそ、にっこり笑顔に変換。
 こうでもしなければ、お腹を抱えて『ちょーそっくり!』とか言っちゃうところなんだから。

「そんなに結婚したければ、戸籍だけあげましょうか?」

「な……」
「っ……どういう……!」
「穂澄!」
 にっこり笑ったまま顎に人さし指を当てて首をかしげると、当然のようにみんな驚いた顔をした。
 だけど、中でも大きな声だったのは、里逸。
 驚いたというよりは『何を言い出す』と本気で戸惑っているような顔で、だからこそ苦笑を浮かべる。
「どうぞ、正妻の座はあぐらをかいて座っていただいてかまいません。ただし――……彼は私がいただきますね」
「……な……っ」
「私、別に結婚にこだわったりしないんです。だって、あれって戸籍上の問題でしょう? だから、彼さえそばにいてくれるなら、正妻の立場じゃなくてもいい。生涯愛人のままで、まったく問題なんてないんです」
 見せ付けるように彼の腕を取り、ぎゅう、と両手でしがみつく。
 当然、胸が当たってるのは誰の目に見ても明らかだろう。
 佐々原さんなんかは、悔しそうどころかまるで指でもくわえそうな勢いで見つめているからこそ、もう、本当におかしくてたまらない。
「結婚さえすれば幸せになれるって、本当に思ってるんですか?」
「っ……それは……」
「私、今みたいに同棲してるだけでも十分幸せだから。別に、結婚したら幸せになれるとか思ってない。……だいたい、それって幻想でしょ? 前にも言ったけど、結婚しなくたって幸せは幸せだもん」
 里逸と一緒に過ごせる時間が増えたことで、自分がすごく安定した気持ちでいることが多くなった。
 誰かを羨んだり、妬んだり、恨んだりすることはなくて、ただただ毎日が『幸せ』で『ありがたい』としか思えなくて。
 手を伸ばせばすぐそこに大好きな人がいてくれて、こんな自分でもちゃんと受け止めてくれる。
 それこそが、何よりも嬉しくてたまらないほどの“幸せ”だと知った。
「たとえ将来子どもができたとして、そのときみんなに反対されて彼の子だと認知されなくても、別に構わない。だって幸せなことに変わりはないし、そのときそばに彼がいなくても、私は胸を張って生きていける。愛されてるのは私だけ。戸籍上の妻なんかより、よっぽど大切にされてるって思えるし、そう言える」
「……何を言って……」
「何を言ってるのかわかりませんか? 戸籍はあげる、って言ってるんです。彼とどうしても結婚したければ、どうぞ。戸籍だけ手に入れて、正妻の座にあぐらかければそれで満足なんでしょう? でも私は違う。私が欲しいのは、彼だけ。戸籍なんかじゃない。……彼自身が、どうしても欲しいの」
 は、と短く笑った佐々原さんに対し、私は一度も笑ったりしない。
 だって、これは真剣な話。
 それこそ取引だと言ってもいい。
 それでみんなが納得するなら、別にどんな形だって構わない。
 だって、どれほどがんばって振り向かせようとあがいたところで、所詮それは“あがき”でしかない。
 それ以上でも以下でもなく、平行線を保ったまま。
 彼を満足させることができるのは、私だけ。
 そんな自負があるからこそ、出てくる言葉だ。
「……ね」
「…………」
「私は別にいい。……里逸がそばにいてくれるなら、それでいいよ?」
 彼に触れたまま見上げると、里逸は何も言わずに小さく息をついた。
 その顔は、『まったくお前はいつもそうだな』なんて言いたげで、だからこそくすくすと小さく笑いが漏れる。
 でも、さらに言葉を続けようとしたところで、向こうに座ったままだった佐々原さんが声をあげた。
「ふ……ざけないでちょうだい……! そんなの満足できるわけないじゃない!」
「……えー。何それ。ちょーわがまま」
「なっ……あのね、私だって彼が欲しいの! いいえ、一度は手に入るはずだったのに……! なのに、あなたがすべてぶち壊したんじゃない!」
「ぶち壊した、なんて人聞きの悪い。単に、あなたは振られただけでしょう? 人のせいにしないでください」
「でも! だって、あのときあなたが余計なことをしなければ、彼は私のものになるはずだったのよ!? なのに、あなたのせいで――」

「『たら、れば』がこの世の中には存在しないって、ご存知ですか?」

「っ……」
「あのときこうだったら、あのときこうしてれば。そんな都合いい言葉を遣うのは、中学生までだと思ってました」
 けろりとした顔で呟いてから、とどめとばかりににっこり笑う。
 すると、案の定彼女はわなわなと肩を震わせて、ダン、と強くテーブルを叩きつけた。
「……絶対に許さない」
 これまでとはまったく違う声だった。
 だからこそ――……ヤバい。
 ちょっと楽しくなってきちゃったじゃない。
 好敵手なんて言葉は、彼女にはふさわしくないし認めたりしないけど、ようやく本性現した、ってところかしらね。
 ギラリと目つきが変わったのを見て、『やだこわーい』なんて言いながらも、口角が上がる。
「あなたから、彼を取りあげてあげるわ」

 ……は。上等。  できるものなら、やってみなさいよ。

 いつものようなキツい顔で言い放たなかっただけ、自分は少し成長したのかな……なんてちょっとだけ思った。


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