「……ずいぶんと物騒な話をしてるじゃないか」
「っ……! お……かあさま……」
 す、とふすまが音もなく開いたかと思いきや、ひとりの女性が入ってきた。
 細い縁の丸眼鏡をかけている、上品な顔立ちの方。
 慌てたように里逸のお母さまが膝で立ったのを見て、『ああ、里逸のおばあさまだ』とわかった。
「里逸。久しぶりだね。元気だったかい?」
「ごぶさたしてます」
「……これはまた、ずいぶんと華やかじゃないか。引く手あまたなんて、ご先祖さまも喜ぶだろうよ」
「いえ。今日は、彼女だけを紹介に参りました。現在お付き合いをしている、穂澄です」
「あ……初めまして。宮崎穂澄と申します」
 薄く笑ったおばあさまに対して、里逸は表情を動かすことなく私の肩を引き寄せた。
 先ほどまでとは違う温もりが嬉しくて、つい笑みが漏れる。
 だけど、慌てて姿勢を正してから頭を下げると、『そうかい』と小さく聞こえた。
「まぁ、ゆっくりしておいき。久しぶりに来たんだから」
「ええ」
「ありがとうございます」
「……あ。お母さま、どちらへ?」
「ちょっと裏へ行ってくるよ」
 再度頭を下げると、里逸のお母さまが少し戸惑ったように声をかけた。
 だけど、ちらりと振り返っただけで、すぐにふすまの向こうへ消える。
 ほどなくして玄関の引き戸が開く音が聞こえ、ふたたびあたりには静けさが戻った。
「…………」
 里逸が机へ向き直ったのを見てから同じようにするものの、自然とお母さまへ視線が向いていた。
 先ほどまでの強さは消え、戸惑っているかのように唇を噛んでいる。
 ……見つけた。
 この家の中で、1番の権力者。
 そうとわかれば、あとは行動するのみ。
 悪いけど、私がいるべき場所はここじゃない。
「……ちょっと、失礼します」
「え……?」
「どこへ行くんだ?」
 ぺこり、と一礼してから立ち上がり、ふすまに手をかける。
 不思議そうな顔をした里逸ににっこり笑い、ちょっぴり首をかしげると、楽しくなってきたせいか自分でもよくわからないけれど『くふふ』なんて笑いが漏れそうになった。
「ちょっと、おばあさまのところへ」
 にっこり笑った瞬間、お母さまが音を立てて引きつったような気がした。
 でも、隣に座って私を睨んだままの佐々原さんは、まだ気づいてないらしい。
 ……いいのかなー。
 私から里逸を奪うって宣言したわりに、結構のんきなままなのね。
 もしかしたら、気づいてないのかもしれない。
 対象を里逸ひとりに捉えていて、どうやって行動するのが正攻法なのかってことを。
「失礼します」
 再度微笑んでからふすまを閉め、早々に玄関へ向かう。
 暖かい部屋から出た途端ぞくりと寒さで背中が震えたような気もしたけれど、これくらいでちょうどいい。
 だって、今から向かう先はきっともっと厳しいところなんだから。
 初対面の相手だけど、さすがは高鷲家の長と言っても過言じゃないくらいのオーラを感じた。
 並々ならぬ相手。
 だけど――……だからこそ、ここを攻めればきっと間違いない、ともわかった。
「…………」
 とはいえ、わかったのはそれだけじゃないんだけどね。
 きっと、里逸には言ってもわからないだろう。
 こればっかりは、女にしかわからないこと。
 ……きっと、みんなもわからないんだろうな。
 どうしてお母さまが私を嫌って佐々原さんを選びたがっているのか、の理由を。

「……おや?」
「少しだけ、見せていただいてもいいですか?」
 家の裏手すぐにあった、割と広い畑。
 ……そう。ここは、畑だ。
 庭とは違って、きちんと耕されている土は、深い茶色。
 等間隔に植えられている、長ネギや大根が見え、久しぶりに畑を見たせいかちょっとだけテンションが上がる。
 来るときは晴れていて穏やかな日差しもあったのに、今はもう曇ってしまって日差しが消えていた。
 昼間なのにどこか薄暗い感じがして、空が重たく見える。
「ここって、踏んでも平気ですか?」
「それは構わないけれど……お嬢ちゃんのかわいい靴が汚れるよ?」
「あ、それは大丈夫です。ブーツって、長靴と一緒ですから」
 おばあさまがいる白菜のうねに断ってから踏み入り、1歩1歩踏みしめるようにゆっくり歩く。
 別に、靴が汚れるのはなんとも思わない。
 ……あー、まぁ確かに、里逸は嫌がるかもしれないけど。
 やたらとこまめに掃除したりなんだりしているから、ふと嫌そうに眉を寄せる姿が目に浮かんだ。
「いい土ですね。柔らかくて……ふかふかしてて」
「……おやおや。手が汚れるよ?」
「大丈夫ですよー。手は洗えばきれいになりますから」
 まるで、自分のおばあちゃんと話しているみたいな気分になるから、やっぱりお年寄りの方と話すのが無条件で好きなのかもしれない。
 隣にしゃがんで土を弄ると、小さく笑ったのが見えて、内心さらに嬉しくなった。
「お嬢ちゃんはずいぶん若く見えるけど……いくつになるんだい?」
「今、高校3年です。18歳ですね」
「18かい。……それはまた、里逸はずいぶん若い嫁さんをもらう気なんだねぇ」
「あはは。まだまだお嫁にもらっていただくには、早すぎるかもしれません」
「……いや。あの子にはちょうどいいだろうよ。あの子は昔から、自分の意見をあまり言わない子だからね。お嬢ちゃんがバシンと言ってくれるなら、よっぽど頼りになるよ」
「あら。褒めていただけて嬉しいです」
 くすくす笑いながら、立ち上がったおばあさまに習って足を伸ばす。
 すると、すぐそこに生えていた大根を指さして『持っていくかい?』と私を見た。
「いいんですか? いただいてしまって」
「ああ。欲しけりゃいくらでも持っておいき」
「わぁ、とっても嬉しいです! ……えへへ。大根、おいしいですよね」
 タダより高い物はない――……けれど、こういう場合は別。
 素直に嬉しくて、頭の中では早くも今夜の夕飯のメニューが浮かんだ。
「なんなら、里芋もどうだい? 少し掘ってあげようかね」
「嬉しいです! あ、お手伝いさせてください」
「いいよ、そんな。泥だらけになっちまう」
「もー。それは平気ですってば。教えてください!」
 先を歩いていったおばあさまのあとに続いて、里芋が埋まっているらしき畑の隅へ移動。
 そこには、トタンが斜めにかかっている、ちょっとした小屋みたいな場所だった。
「ここにあるんですか?」
「ああ。藁の下にね。……どれ」
「あ、やらせてください」
 しゃがんだのを見てから、同じように隣へかがんで藁に手をかける。
 冬場とあって、さすがに虫もいない。
 特有の藁の乾いた匂いがして、そこまで畑の手伝いをした経験もないのに、なぜか懐かしいような気がした。
「っ……わ、すごい立派ですね」
「このあたりのはね、ただ茹でて塩で食べてもおいしいよ」
「へぇー。お塩だけで食べたことないです」
「だろうねぇ。まぁ、若い人向きじゃないかもしれないけれども」
「そんなことはないですよ。単に知識がないだけなので。教えていただけて、とっても嬉しいです」
 ころころと何個もの里芋を見繕ってくれたおばあさまが、そこでようやく私を見た。
 何かを見透かすような鋭い眼差しは相変わらずだけど、でも、口元には笑みがある。
「こんなおばあさんに付いて来たって、何もいいことはないよ?」
「とんでもない! こんなにお野菜いただけたじゃないですか」
 にっこり笑うと、少しだけ目を丸くしてから小さく笑い始めた。
 その顔があまりにもかわいくて、ステキで、こっちも嬉しくなる。
 と同時にもちろん『やった』と思ったけれど、さすがにピースはしないでおく。
 ……ああ、なるほど。
 里逸の身内の人に会えば会うほど、彼との共通点がたくさん見つかるんだね。
 ついつい彼とおばあさまとの似た部分を無意識のうちに探していたようで、カチっとピースがはまるみたいに見つかったせいか、やっぱり嬉しかった。


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