「…………はー……」
 翌朝は、まったく目覚めがよくなかった。
 朝、いつもと同じように起きて、いつもと同じように朝のニュースをつける。
 だが、やたらと高い音で話すアナウンサーの声は聞き取りづらく、すぐにチャンネルを変えていた。
 昨日の、夜。
 突然押しかけて来た宮崎は、散々たるモノを見せ付けるだけ見せ付けてから帰っていった。
 魔の時間。まさにそれ以外の何モノでもない。
 ……ああ、頭が痛い。
 せっかく、天気のいい土曜の朝だというのに、こんなにも不快な気分のままだとは。
 心底、アイツを迎え入れた自分を呪いたくなった。

 ぴんぽーん

「っ……」
 突然響いたチャイムの音で、身体が震えた。
 最近、何かといろいろありすぎたせいか、やたらとチャイム恐怖症になっている。
 過敏であるのは、自分も認める。
 だが、いかにも強いストレスになっているのがわかって、ため息が漏れた。
「……はい」
 受話器を取り、静かに切り出す。
 ……宮崎じゃないだろうな。
 一瞬、ドアの前で待ち構えている姿が頭に浮かんで、ついつい反射的にそちらを見ていた。
『あ。おはようございます、大家の池谷ですけども』
「……あ。今出ます」
 大人しそうなというか、控えめな感じの女性の声だった。
 途端、自身がひどくほっとしているのにも気づく。
 ……まったく。
 アイツのあの声は、凶器そのもの。心臓に悪いことこの上ない。
 やはり女性というのはこうあるべきだ、などと考えながらドアに向かい、早速ガードと鍵を解除する。
「おはようござ――」
「おっはよーん」
「……な……!?」
 ぴょこん、と目の前に飛び込んできたモノ。
 それは、明るい茶色の髪をくりくりとさせながら、案の定勝手にウチの中へ不法侵入を働いた。
「ちょっ……な……!? こら! 宮崎!?」
 一気に血圧が上がり、瞳が丸くなる。
 一応念のためにとドアの外を確認してみたが、やはりそこには誰もいなかった。
 ……ま……まさか……!
 まさかまさか、あの大人しい声もコイツの……!?
 けらけら笑いながら勝手にリビングへ侵入した後ろ姿を見て、口がぽかんと開いた。
「へぇー。センセってば、ホントに休みの日も家にいるんだぁ」
「っ……!」
「え、何? 暇なの?」
「貴様には関係ないだろう!!」
 ずかずかとなんの躊躇もなく人の家に勝手に上がりこんで、勝手にまた座椅子に座って。
 挙句の果てには、開きっぱなしだったノートパソコンをまたもや勝手に弄り始めた。
「うっそ! いいなー。ネットも繋がってるんだー」
「うわ!?」
「いいないいなー。ウチ、パソコンすらないんだよねー」
「ッ……貴様……!!」
 すっかり馴染んでいる姿を見て、やっぱりまた眩暈がした。
 ……なんなんだ、コイツは。
 なんでこんなに普通なんだ。
 ものすごい速さで頭の中をぐるぐると疑問ばかりが駆け巡り、同時に頭痛もし始める。
「ん? センセどしたの?」
「……か……」
「か?」
「帰れ!!」
 テーブルに両腕を載せながらパソコンを弄っていた宮崎に、びしっと指を差してから玄関に向ける。
 だが、案の定きょとんとした表情しか見せることはなく。
 軽く首をかしげたかと思いきや、不服そうに唇を尖らせた。
「えー。つまんなーい」
「だったら、帰ればいいだろう!!」
「えー? だって、今日になっていきなりママが買い物行かないって言うんだもんー。ひとりでつまんない」
「そ……んなのは、お前の都合だろう!? 俺を巻き込むんじゃない!」
「えー? でも、センセもひとりでつまんないんでしょ? だったらいいじゃん、別に」
「一緒にしないでくれ!!」
 ときどき、ふと思う。
 あぁ、俺はいつかきっと近い内に血管が切れるな、と。
 最近、何かと煙草を手にする機会も増えて、明らかに吸殻の溜まる速さが以前までと違う。
 ストレス。
 たった1週間しかこの家で過ごしていないというのに、なんて強力なんだろう。
 それもこれもすべては、元凶であるこの娘。宮崎穂澄のせいかと思うと、怒りしか湧いてこない。
「……はぁああ……」
 壁にもたれて思いきりため息をつくと、一気に身体から力が抜ける。
「……宮崎」
「ん?」
「お前、もういいから帰れよ」
 ずるずるとその場へしゃがみ込み、頭に手をやる。
 すると、勝手に人のパソコンで麻雀ソリティアを始めていたらしき彼女が、大きな目でまばたきをしてから顎に指先を当てた。

「……んー……。それじゃ、1杯何かご馳走してくれたら帰ります」

「何?」
 あっけらかんと言ってのけた言葉ながらも、なんだかとてつもないことを言い出した気がして。
 だが、眉を寄せながら口を開けると、にっこり微笑んで人差し指を立てた。
「じゃ、お願いしまーす」
「っ……ちょ、まっ……! 待て!」
「ん?」
「ん、じゃないだろう! どうしてそうなる!!」
「えー。だって、喉乾いたし」
「関係ないだろう! それは!」
 慌てて彼女に首を振り、『ダメだ』を連呼する。
 だが、一向に動揺する様子はなく。
 それどころか、面倒臭そうな顔をしてからまたパソコンに向き直った。
「飲まなきゃ帰りませんよー」
「宮崎! いい加減に――」
「あはは! コレ楽しー」
「っ……! 貴様!!」
 ぎゅっと拳に力がこもり、顔がひきつる。
 く…………クソ……!
 どうして俺が、ここまでコケにされなければならないんだ?
 不条理だろう、これこそ!
 こんなひとまわりも年下の子どもに、いいように使われるとは……。
「………………」
 勝手に人のモノで勝手に遊んでいる(しかもやたら楽しそう)彼女を見たままでいたら、どっと疲れが溢れそうだ。
「……宮崎」
「んー?」
「飲んだら絶対帰るんだぞ。いいな?」
「はぁーい」
 テキトーな返事に聞こえなくもない。
 ……だが、絶対帰してやるからな。
 誰がなんと言おうと……!
「……はー……」
 仕方なくキッチンへ向かい、冷蔵庫から緑茶のペットボトルを取り出す。
 ……どうして俺が。
 これじゃまるで、小間使いじゃないか。
「…………。……はぁああ」
 グラスに注ぎながらふと我に返り、またも情けなさからため息が漏れた。

「へぇー、誰これ。何? もしかしてお見合い?」

「……?」
 やたら楽しそうな声が聞こえたものの、一瞬なんのことだかわからなかった。
 ――……そう。リビングを覗き込むまでは。
「ッ……!!」
「あ。ちょっとー、何? 人が見てたのにー」
 にやにや笑いながら、彼女が手にしていたモノ。
 それは、先日…………先日、その……なんだ。
 いわゆる人づてに渡って来た、台紙付きの写真だった。
 中には、今彼女が言った通り女性が写っている。
 それこそ、宮崎とは正反対。
 まさに、慎ましやかな大和撫子と呼ぶべき人が。
「勝手に触るんじゃない!!」
 奪取してから慌てて閉じ、封筒にしまう。
 すると、やっぱり性格の悪そうな顔をした彼女は、にやりと口元を歪めた。
「ふぅーん……?」
「……なんだ」
「べぇーつにぃー?」
 明らかにそんなつもりがなさそうな返事をしながら、ふるふる首を横に振る。
 ……その、顔。
 写真の彼女とは、雲泥の差だ。
 あの人ならば間違いなく、そんな下品で知的レベルの低そうな顔などまずしないだろうに。
「イイじゃん別に、減るもんじゃないのに」
「ッ……いいから、大人しく待ってろ!!」
「ちぇー」
 びしっと指差してから忠告し、冷蔵庫に戻る際もう1度通告しておく。
 すると、だらしなくテーブルに顎をのせて背を丸めながら、欠伸と一緒に『ふぁーい』なんて頭の悪そうな返事をした。
 ……まったく……!!
 アイツときたら、やはり油断も隙もありゃしない!
 宮崎みたいなヤツに見られたら、汚されるだろうが! まず!
 それに、減る!!
 大切な何かが、きっと間違いなく失われる!
 ……あとで埃を払っておこう。
 開けたままだったペットボトルの蓋を閉めてから冷蔵庫に戻すと、独りでにうなずいていた。
「ったく。お前と言うや――」
「ふぅーん。なになに? 趣味はオペラ鑑賞? っへー。イマドキそんなこと書く人いるんだ」
「ッ!!!」
 内心焦りつつ部屋に戻ると、またもやコイツはやらかしていた。
 しかも、いったいどこから見つけたというのか。
 随分前にもらったはずの土産モノの菓子を、勝手にばりばりとほおばってもいる。
「あ、この人もインテリなんだねー。法学部卒で、現在は一流企業に勤める……ふぅーん」
「宮崎ッ!!」
「あ」
 ひらひらと弄ばれていた、1枚の紙。
 それは、大切な彼女の大切なプロフィール。
 しまっておいたはずなのに、今ではなぜか1番渡りたくない人間の手と目に触れられていて、大きく口が開くと同時に我ながらびっくりするほどの速さで取り上げていた。
「はぁ……ッ……! 貴様というやつは……!!」
「えー。いーじゃん別に」
「よくないに決まっているだろう!!」
 肩で息をしながら、ぶんぶんと首を振る。
 だいたい、なんなんだそのふてくされた顔は!!
 それは、俺のほうだというのに!!
 ……しかし、本当に油断できない人間だな、コイツは。
 つまんなーいなんて言いながら再度その辺を漁りそうになっている姿を見たら、少しだけ怖くなった。
「てゆーか、何? センセって、こーゆー人がイイんだ? いかにも、あったまよさそーな人が?」
 べったりと座椅子へもたれた宮崎が、くすくす笑いながらいたずらっぽい顔を見せた。
 ……いや、それはいたずら云々のレベルじゃない。
 なぜならば、明らかに悪意が満ちているから。
 苦虫を噛み潰したような顔で応えるのが精一杯な俺には、とてもじゃないが言葉を継げない。
「……お前には関係ないだろうが」
 そう言うのが、やっとだった。
 それまでの1分弱もの沈黙の間、ずーーっとコイツに性格の悪そうな目で弄ばれて。
 ……ああ、なぜあの女性と同じ性別なのにも関わらず、こんなにも違いすぎるのか。
 心底、女という生き物が俺は怖い。

「自分と同等、もしくはそれ以上の学力を有する者」

「……ッ……」
「――……が、好みのタイプ……とか?」
 顎に指先を当てた宮崎の瞳が、一瞬ひどく鋭くなったように見えた。
 途端に目が丸くなり、何も反応できない。
 だが、もしかしたらそうするであろうことをわかっていたのかもしれない。
 くすくす笑いながら、彼女はいかにも悪意に満ちた表情を浮かべてみせた。
「何それ。つまんないの」
 まるで、吐き捨てるような言葉だった。
 嫌悪にまみれているというか、酷く不機嫌というか。
 とにかく、その言葉には明らかに嘲笑が交じっている。
「てゆーか、実際会う前にまず紙の上で人間選ぶワケ?」
「……っ……」
「どこを見るの? 何を見て安心するの? 顔? それとも、経歴? 年齢? ……それとも、親の職業かしらね」
 姿勢を崩して座りながら俺を見あげた宮崎の、まず表情へ目が行く。
 普段見せることのないような、ひどく高圧的なモノ。
 なのに、なぜか口調はゆっくりと大人しくて。
 ……コレが、宮崎なのか……?
 いつの間にか、何かを言うかわりに喉を動かしていた。
「あのね、バイトの面接じゃないのよ? 経歴とかそんなモン見ただけで、何がわかるの? その人間の喋り方も、考え方も、何ひとつ伝わって来ないのに。……だいたい、女を賢さで選んでどうするの? 女は魅力でしょ? 写真みたいな平面からじゃ伝わって来ないモンが大事なんじゃないの?」
 まるで、『ソレ』とでも言わんばかりに。
 俺が持っている彼女のプロフィールが書かれた紙を指差してから、フンと小さく鼻で笑ったのがわかった。

「てゆーかそんな、頭ばっかイイ女を抱きたいワケ?」

「ッ……」
 目を合わせたまま言われた、直接的な言葉。
 これまでありえないとばかり思っていたことだけに、目が丸くなった。
「何? 大事なのは、遺伝子ってコト? てゆーか、頭でっかちで何もかわいくない女連れて歩きたいワケ? だったら、その賢い頭で絶対的なアンドロイドでも作ってもらえば?」
 そこで初めて、宮崎が視線を逸らした。
 まるで――……そう。
 俺の授業中に見せる、態度のように。
 磨きこまれた指先の爪を眺めるように、長い指をまっすぐに伸ばしながら……満足げにもう片手でなぞる。
 ……これは、憶測でしかないが。
 彼女がこういう態度を見せるときは決まって必ず、飽きてきたことを表しているように見えた。
「もし……そうね。もし私が男だったら、多少馬鹿でも誰もが振り返る女連れて歩くわ。馬鹿は知識詰め込んでやれば改善するけど、顔や性格は自分じゃどうにもならないもの」
「ッ……」
 違う? 何か間違ったこと言った?
 ようやくまた視線が合わされたかと思いきや、その目は間違いなくそう言っていた。
 鋭さが違う。
 これが本当に、先ほどまで飲み物をねだっていた少女と同じなのか?
「センセってさぁ、ナンパとか絶対しないタイプだよね」
「っ……」
「そりゃそーだよねー。だって、ナンパじゃ相手の最終学歴とか年齢とか趣味とか。そういうの、ひと目でわかんないもんね?」
 くすくすと、それはもう嘲るように。
 俺をまっすぐ見つめたまま、彼女はあからさまに馬鹿にした顔を見せた。
「…………」
 始終続いた、高圧的な態度。
 それからようやく逃れられた今、ごくり、と再び喉が鳴る。
 普段見せることのないような、鋭い瞳。
 射るような眼差しに、思わず何も言葉が出なかった。
「…………いいだろう、そんなことはどうでも」
 ふぅっと爪に息を吹きかけるような素振りをした宮崎に、誤魔化すように咳払いをし、グラスをもう1度差し出してやる。
 わざとらしいのは100も承知だが、仕方ない。
 今はただ、宮崎穂澄という人間が、どうにもわからない。
「……えー」
 だが。
 内心どきどきと焦っていたこちらの予想に反して、宮崎はすぐに砕けたようないつも通りの声を出した。
「ちぇー。……まぁいーけど」
 渋々とはいえ、グラスに手を伸ばす。
 そして、ゆっくりと口元へ持っていってから、やはりゆっくり口づける。
「…………」
「…………」
「…………」
「……ん、なんかコレおいしくない。違うのちょーだい」
「なっ……何!?」
「あ、牛乳でいいよ。牛乳で」
「おま……! あのな、宮崎!!」

 ぴんぽーん

「あ、お客さんだ。はぁーい」
「っ……ちょっと待て!!」
 なんなんだ、その変わり身の早さは!!
 まったく頭がついていかず、ついでに身体もついていけない。
 バッと顔を上げて立ち上がり、トントンとテンポよく人の横を通り過ぎ――……って、待て!
 訪問者が誰かを確認さえせずドアまで行くんじゃない!
 新聞の勧誘だったら、どうしてくれるんだ!!
 慌てて立ち上がってから彼女のあとを追う――……が。
 とき、すでに遅し。
 俺が玄関に着いたときにはすでに、宮崎はドアを開けていた。
「あれー?」
 情けないというか、頭が悪そうというか。
 そんな声をあげた宮崎が、ぽりぽりと頬を掻いたのが見えた。
「写真の人だ」
「ッ!? おまっ……何ぃ!?」
「あ、ちょっ!?」
 ちょうど、陰になって見えなかったものの、慌てて宮崎本人を横へどかすと、確かにそこには――……彼女本人。
 先日お会いしたばかりの、佐々原さん本人が立っていた。
「……え……っと。……え? あの……あなたは?」
「ッ……!!」
 当然といえば、当然の反応だろう。
 驚いたように口元へ手を当てた彼女が、俺と宮崎とを見比べている。
 ……く、しまった……!!
 なんとも言葉が出ず、ただただ慌てるばかり。
 か……考えろ! 考えるんだ!
 なんと言っても、今こそ絶対なピンチなんだぞ!!
 ここをなんとしてでもうまく切り抜けなければ、明日は……いや!
 俺の計画的かつなんの障害もない平坦な道が続いていかないじゃないか!!
 安全、安心、そして無事。
 そんな、まっすぐに伸びた将来へのレールが。

「あ。初めましてー。私、妹の穂澄でーす」

「なっ……!?」
 だが。
 一瞬、そんな2本のしっかりしたレールが、ぐにゃりと曲がったように見えたのは気のせいだっただろうか。
 佐々原さん本人よりも、ずっとずっと驚いた顔をした自分。
 これで、不審に思われないはずがない。
「……な……なな……」
「ねー? お兄ちゃーん」
「っ……!」
 腕に絡んでくる、柔らかいモノ。
 ……モノ。
 も……ッ……てコレは!!!?
「な、お、おまっ……!!」
「ん? なーに?」
 にこにこにこ。
 まるでさっきまで俺に対峙していた人間とは、全人格が別物のような顔で、腕を絡めた宮崎本人がそこにいた。
 べったりとしがみつき、かつ身体を寄せ。
 ……って、うわ!!
 み、見えるだろうが! その……っ……む、胸元が!!
 なっ……なななっ、な、なっ……な!!
 意識した途端血圧が上がって、思い切り顔を逸らすしかできなった。
「とってもキレイな方なんですねー。お兄ちゃんにはもったいないなぁ」
「……え……。あ、や、やだ。そんな……あはは。そうなんですか。高鷲さんの妹さんの……」
「はい。あ、穂澄でいいですよー」
「穂澄ちゃん? かわいい名前ね」
「やだー、ありがとうございます」
 きゃいきゃいとまったくウソ偽りのないような笑みと態度を崩さないままで、宮崎はぐるぐると反応していた。
 ……無論、俺の腕を確かに取ったままで。
 半ば放心状態な俺には、とても頭が付いていけない。
「あ。ごめんなさーい! どうぞどうぞ? 狭い上に散らかってて、ちょっと汚いんですけど……あ! 今、お茶入れますね」
「え? あっ、いいのよそんな。お構いなく」
「いえいえー」
 ぱっと俺から離れた宮崎が、いそいそと人の家を甲斐甲斐しく案内し始めた。
 ……というか今、何気に失礼なことを言わなかったか?
 ゴツ、と壁にもたれた途端鈍い痛みが頭に走って、遠くからふたりのやり取りが聞こえて来る。
 …………言えない……。
 言えないんだよ、今からじゃもう……!!
 クソ!!
 『妹だ』と本人が先に言ってしまったというのももちろんあるが、それ以上にまず誤解だなどと言えるワケがない。
 なぜなら、今コイツを妹じゃないと紹介すれば、間違いなく怪しまれるから。
 ……そのときは最後。
 コイツならば、間違いなく人の人生に泥どころか黒炭を塗りたくってくれるであろうことは、容易に想像が付く。
 はぁあああ。
 平坦かつ平穏無事な俺の計算しつくされた人生よ、さようなら。
 光のまったく届かない上に、中がどうなっているのか見えないような長い長いトンネルが大きく口を開けてしまった以上、俺にはもはやどうにもすることなどできるはずもなかった。


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