「へぇー。穂澄ちゃんって、学園大附属の生徒さんなんだぁ」
「そうなんですよぉ。もー、家でも学校でもお兄ちゃんと毎日顔を合わせるって、困っちゃいますよねー」
「そうなの? でも、とっても仲がよさそうなのに」
「えー、そんなふうに見えますかー?」
こうして端から眺めていると、それはそれは女同士の差し障りない会話を続けているように見える。
にこにこと笑みを浮かべ、いかにも興味ありますという具合にテーブルへ腕を乗せて佐々原さんのほうへ身を乗り出している宮崎。
……だが、だからこそ怖いんだ。
いったいコイツが何を企んでいるのかが、まったくわからないから。
「ところで、お兄ちゃんのどこがよかったんですか?」
「っ……」
来た……!
これまでは半ばヤケ気味で宮崎を見ていたのだが、ここに来て反射的に身体を起こす。
恐らく、佐々原さん自身は気づいていないだろう。
……そして、もしかしたら宮崎本人も。
今。
彼女が切り出した言葉すべてが、先ほどの俺に対するモノとまったく同じアクセントでありイントネーションだったことを。
「え……っと、どういう……?」
「だってー。ぱっと見そんなカッコいいワケでもないし、官僚でもないただの教師ですよ? お給料だって高くないし、生活も華やかじゃないし。……あ。でもウチの学校、結構給料い――……わぶっ!?」
「は……はは。すみません、ぶしつけなことを」
「え? ……あ……あはは。いえ」
「むーむー!!」
このままでは、よくない方向へ確実に進む。
そんな第六感が働いて、強制的に自称妹を引き剥がす。
「……っぷわ!! ちょっと! 何するのよ!」
「何じゃないだろうがお前は!! いったい何を企んでるんだ!」
押さえ込んでいた手をようやく離してから小声で抗議すると、途端にさっきまでとはまったく違って、敵意むき出しの顔を見せた。
「いーじゃないのよ、別に!」
「いいワケないだろうが! 彼女に何するつもりなんだ!?」
「何それ! 何もしないわよ!!」
てっきり、コイツならば間違いなく嫌がらせにデカい声でも出すんじゃないかと危惧したのだが、意外や意外。こちらの声量と同じ……いや、むしろそれよりもずっと小さい声での口論に終わった。
……コイツも、配慮という心遣いができたのか。
ふと、それだけで少し感心する。
「えっと……どこがいいって言うと……」
「え?」
「あ。……あはは。えっと、あの……高鷲さんの、イイところ……です」
こほん、と小さな咳払いのあとで彼女を見ると、少しだけ頬を染めてから、おずおずと目を合わせてきた。
……なんてイジラシイ人なんだろう、彼女は。
爪の垢を煎じて宮崎に飲ませたら、間違いなく一発で効き目を示すに違いない。
そう実感するくらい、慎ましやかな女性だとわかる。
ああ、やはり俺の目に狂いはなかった。
改めて、そんな満足感と誇らしさとで顔が緩む。
「先日お会いした際、仰ってましたよね? そのときの、男女平等という言葉がすごく嬉しくて……。だって、今どき結婚したら女は家庭に入らなきゃいけないなんて、そんなの時代遅れですもの。私もまだまだ仕事を続けたいし、お互いの時間を大切にしたいし……。だから、そのあたりの価値観が一致して、とても嬉しかったんです」
ほんのりと頬を染めて俺を見つめる彼女に、笑みが浮かんだ。
……そう。
そうだ、まさしく!
前回、初めて彼女と会ったときに聞かれた、『結婚後の生活』。
俺も、結婚したからといって家庭に入れなどは言わないし、何か特別変わらなければいけないなんてことはないものだと思っている。
自身も、自分の時間の遣い方は自分で決めたいし、必要以上に干渉してほしくない。
そしてそれは彼女も同じ。
そのあたりの大切な価値観が一致したところが、彼女とこうしてお付き合いしている理由だ。
……まぁもっとも、まさか彼女から自宅を訪れてくれるなどとは思わなかったが。
結果的には、こうしてお互いの認識を深めることができて、何よりだと思う。
…………。
……無論、宮崎という自称妹の存在が、甚だしく邪魔ではあるが。
「……ふーん」
「っ……」
これまでは、我ながら珍しく紛うことなき笑顔だったのに、隣で聞こえた限りなくテンションの低い声が耳に届いた瞬間、ピキっと音を立てて笑みが顔に張りつく。
……ま……さか。
ぎぎぎと鈍い音を立てて首だけでそちらを見る――……と。
「ッ……!!」
案の定、つまらなさそうに座椅子へもたれながら、目の前にいる佐々原さんではなく、自分の手の爪を眺めている宮崎が俺のすぐ隣にいた。
「佐々原さん、でしたっけ?」
「はい?」
「男になりたいんですか?」
「……え……?」
ふぅっと爪に向かって息を吹きかけた宮崎が、そこで初めて――……ハジメテの顔を彼女に向ける。
今まで演じていたできのよさそうな妹とは違い、明らかに先ほど俺が体験した人を馬鹿にするような目つきの女子高生。
早くも、鋭さばかりが炸裂する様子が目に浮かんで、ぴくりと口元が引きつる。
「最近、多いんですよねー。なんでもかんでも、言えば男女平等になるって勘違いしてる人。……男女平等なんて、そもそもが無理なのに」
「……おまっ……何、言って……」
「だってそうでしょ? 脳の造りも身体の造りも何もかも違うのよ? それなのに、男と同じになりたいなんて……もったいないっていうか、何考えてるんだろうなーって感じ。カワイソウだと思う」
くるくると長い髪を指先で弄り、姿勢を崩したまま座りながら彼女を見つめる。
……ああ、なんということだ。
佐々原さんもまた、まるで豆鉄砲でも食らったかのような顔をしている。
まぁそうだろうな。
俺だって、さっきのあの姿がなければ――……いや。
さっきのあんな姿を知っているにもかかわらず、開いた口が塞がらないんだから。
「別に、女だからああしなきゃいけないとか、こうしなきゃいけないってのは、確かにオカシイと思うよ? でも、わざわざ女が男の仕事を奪う必要はないとも思うわけ。結婚はしたい。だけど、家の仕事はしたくないし、今のまま外で働きたい。それって、単なるワガママでしょ? だって、結婚したら家のことしなきゃいけないんだよ? ごはん作ったり、洗濯したり。生活に必要最低限なことは、一緒に誰かと暮らす以上避けて通れないワケじゃない? そうなると結局、どっちかが絶対何かを犠牲にしなきゃいけないわけじゃない。だけど、そういうのはイヤ。おいしいトコだけ、欲しい。……だったら、独りで生きてけばいいのに。ヤなことだらけなのにわざわざ結婚したがるなんて……そんなの、矛盾。不条理じゃない? 女として見られたくない。女だからって言われたくない。普段そう言って男の仕事どんどん奪って自分勝手なやりがいを感じてる人が、なんで今さら結婚? なんか、おっかしくて笑っちゃう。結婚の必要なんてないじゃない」
「………………」
「………………」
唖然、という言葉しか出なかった。
ぺらぺらとつまずくことなく喋り倒した、宮崎。
だがその口調は、驚くほど静かで。穏やかで。
だからこそ、反論を挟めるような雰囲気ではなかった。
「なのに、なぜ結婚なのか……その理由はひとつ。単に、自分が女だから。結局はソコなのよ。なんだかんだ言っても、女であることは捨てられない。だから、結婚したがる。……でも、ソレっておかしくない?」
「な……に?」
いきなり、矛先が彼女から俺に向いた。
鋭く尖った、鋭利な切っ先そのもの。下手なことを言えば、間違いなくヤられる。
そんな雰囲気が眼差しにはしっかりと表れていて、何も言葉が出ない。
「逃げてるだけじゃん、そんなの」
「……な……」
「よっぽど、潔くないと思う」
フン、と鼻で笑った宮崎が、座椅子に思い切りもたれた。
この空間で自由に動けるのは、彼女だけ。
そんな小さな天下が目に見えていて、ごくりとまた喉が鳴る。
「だいたい、男と同じ立場で全部やりたいって言うなら、いっそのこと女やめて男になればいいのに。今じゃそんなに珍しくないよ? 病気で悩んでる人だったり、どうしてもって自分のことを変えたくてなる人だったり。理由はいっぱいあるけど、別に今は不可能じゃない。女だからって差別するなとか、女だからどうのって言うなら、男になっちゃえばいいのに。……都合のイイときだけ女になるなんて、そんなのヘンでしょ? それこそ、女であることの特権よね。だって、男が女みたいなこと言ったり、女のイイところをつついて要求したら、『男のクセに』って言われるだけだもん」
は、と短く息を吐いた宮崎が、そこでようやく口を閉ざした。
だが、今さら彼女が黙ったところで、この見事なまでに重苦しくなった雰囲気は変化を見せるはずがない。
とてもじゃないが、『あはは』と笑い出せるようなモノでもなく。
ここまでまくし立てた宮崎本人も、当然『なーんちゃって』などと言い出すような感じはしなかった。
「――……ってワケだから、おにーちゃん。よーく覚えといてね?」
「……え……」
が、しかし。
数秒後、けろりと宮崎が声を変えた。
それこそ、初めて佐々原さん本人に対したときのような、あっけらかんとした、まるで何も考えていないような……そんな軽口を叩く。
「今じゃね、3歩後ろをついて来て、三つ指ついて出迎えてくれるような女なんて、男の想像の世界でしか生きてないの。女って生き物はね、繊細なんかでもないし、か弱くもないの。したたかで都合よくて、自分のことしか考えてないズルいモンなんだから」
くすくす。
まるで小悪魔という文字をそのまま擬人化させたような人間が、すぐ目の前にいた。
艶やかな形いい唇できれいに笑い、甘くかわいい声で囁いてみせる。
……ただし、限りなく現実的な、夢も甘さも何もかもを含まない言葉ばかりを。
「じゃ。そろそろ私、用事あるから」
「……え」
「失礼しまーす」
すっと立ち上がった彼女は、こちらを振り返ることなくすたすたと玄関まで歩いて行った。
ほどなくして聞こえた、『お兄ちゃん、まったねー』という妹を気取る声。
バタン
「…………」
「…………」
ようやく閉ざされたドアの音で、一気に部屋の緊張感が失われたのがわかった。
と同時に、お互い重苦しい息をゆっくりと吐き出す。
……これほどの、緊張感と威圧感を併せ持つとは。
少なくとも俺よりひと回り年下の女子高生が、そう簡単にできるワザじゃない。
「い、今ドキの子って……ほんと、すごいですよね。あはは、やだ、なんか……ちょっと、ごめんなさい? びっくりしちゃって」
「え?」
「でもね、あの、そんなつもりじゃないんですよ? 私、別に……」
ようやく笑ってくれた彼女。
だが、慌てたように振っているその手も、やはりひどくぎこちなくて。
俺に向けた弁解のような言葉と眼差しも、ついつい今までの宮崎の言葉を聞いてしまってからだと、すべてをそのまま受け止ることができない。
……情けないことだな。
あんな女子高生の戯言で、こんなにも動揺してしまうなんて。
「…………」
普段は、けらけらした明るい笑顔と軽い態度で身を固めているクセに、まさかそんなアイツにこんな一面が隠されていたとは。
いや、もしかしなくてもこちらが本性なんだろう。
いつだって彼女は、にこにこと微笑みながら人のことを観察しつくして心の中で嘲笑っているに違いない。
「…………」
宮崎穂澄。
本当の意味で、その真の部分をまざまざと見せつけられた気がした。
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