「わ。かわいー!」
 有里さんが取り出した車の鍵でハザードを点滅させたのは、ころんとした丸いライトが特徴的な小さな車。
 車種まではわからないけれど、フロントには『FIAT』と書かれていた。
「有里さんも、白が好きなんですか?」
「まぁ……嫌いではないけれど」
「やっぱり」
 里逸と同じ、真っ白い車。
 車の車種や大きさは違うけれど、同じ白を選ぶあたり勝手に共通点を見出す。
 『どうぞ』と言ってくれたので、迷わずに助手席へ。
 ……って言っても、2ドアだからほかに開ける場所はないんだけど。
「ん。いい匂いー」
「そう? 特に何も積んではいないけれど」
「じゃあ、有里さんの匂いですね」
「……あなたね。それってあまり嬉しくないわよ?」
「そうですか? でも、有里さんっていい匂いしますよ?」
「っ……」
「甘くってー、なんかこう……大人のおねーさんの匂いっていうか」
 別にこれは嘘でも口からでまかせでもなんでもない。
 本当にそう思ってるから、そう言ってるだけ。
 彼女は香水をつけてないようだけれど、動くたび微かに甘い匂いがする。
 それが、シャンプーなのか整髪料なのかはたまた柔軟剤とかなのかはわからないけれど、悪くない匂いだとは素直に思っている。
「……穂澄ちゃん」
「なんですか?」
 にこにこしたまま助手席へ乗り込み、シートベルトをきっちり。
 すると、エンジンをかけてすぐにジャズが聞こえてきて、うっかり噴き出しそうになった。
 ……やっぱり、姉弟って好みとかも似るものなのかな。
 軽やかなピアノの音が流れるように聞こえていて、『あー、里逸好きそう』なんて思った。
「私の前で、これ以上繕わなくてもいいわよ」
「え?」
「あなたのこと、小悪魔だってちゃんとわかってるから」
 全部計算尽くしてるなんて、すごいわね。
 ハンドルを切りながら前を向いて呟かれ、思わずまばたく。
 だけど、その横顔が一瞬里逸とダブって見えて、ついつい笑っていた。
「やだなー。小悪魔なんてかわいいものじゃないですよ? 里逸さんには、『お前は恐ろしい』って言われましたから」
「っ……本当に?」
「うん。佐々原さんと仲良くデートしようとしてたときに邪魔してやったり、ほかにもまぁいろいろしでかすたびに、『お前といると寿命が……』とか『どうしてもっと素直じゃないんだ』とかなんとか、いろいろ言われたかなー」
 思い出せば、もっとある。
 基本的に『お前はなんなんだ』って言われてばかりだったし、だからこそ当然私がどんな人間かも全部わかってるだろう。
 小悪魔なんてかわいいもんじゃない。
 悪の手先どころか、大ボスくらいにはとらえてたりしてね。
 まぁ――……なんでもいいのよ。
 そんな私をいろいろ見て知ったうえで、今彼はそれでも隣にいてくれるんだから。
「……恐ろしい子、ね」
「どんぴしゃでしょ?」
「そうね。……まぁ、そこまでわかってるなら、何も問題ないんじゃない?」
「そゆこと」
 ついつい喋りがタメ口に変わったせいか、声も普段と同じ低さまで落ちた。
 だけど、有里さんはくすくす笑うだけで、里逸みたいに驚いたりしない。
 むしろ、どこか面白そうに見られ、気分的には『研究対象』の気分だ。
「私の周りには、あなたみたいな子はいなかったから、なんだかすごく新鮮だわ」
「そうなの?」
「ええ。みんな、何を考えてるかよくわからない、にこにこするだけの人が多かったから」
 あー、それってあるある。
 にこにこ笑って『えーそんなことないよー』とか言ってる人に限って、そんなことありまくりなのよね。
 にこにこしながら何を考えてるかわからないから、急にキレたり態度が豹変したりする。
 “友達”にありもしないことを平気でうそぶいて、自分が被害者になってみたりとかね。
 そーゆーの大好きっ子は、ちなみに『小悪魔』認定はされない。
 『小悪魔』認定されるのは、自分がどうやったら最高にかわいく見えるかを考えぬいて努力したうえで、それを男に認めさせる女だけだ。
 だから、別に女にバレたところで問題は何もない。
 そしてもちろん、それは男にとってもそう。
 バレたって、『それでもいい』って思わせたら、勝ち。
 『なんだよ、全然ちげーじゃん』ってポイされたら、負け。
 だから私は、勝ってる側に立てている。
 今でもまだ、里逸は私が『ねぇ。里逸』って声を変えてごろごろくっつくと、顔を赤くしながらも『またそれか』って言ってくれるから。
「そういえば、有里さんってカレシとかいるの?」
「……唐突ね」
「えー。だって、キレイだし頭もいいし、そのへんの男がほっておかなそう」
「逆ね。だからこそ敬遠されるわ」
「……あー。それはあるかも」
「でしょう? 学がある女は、そこまで歓迎されないものよ」
 彼女が勤めているのは、市役所。
 中規模以上の企業や官庁とは違い、そこまで学歴がどうのという場所じゃない。
 それに、ここは都市部とは言っても東京や横浜とはまた違う。
 彼女のように学歴があればあるほど、噂にはなりやすいし、『なんでこんなところに』と言われることもあるだろう。
「……じゃあ、好きな人は?」
「っ……」
 見えてきたのは、国道沿いにある大きなショッピングセンター。
 地元でも見かけるテナントの看板がいくつも見えて、こういうのってどこにでもあるんだなーなんてある意味感心する。
「どんな人?」
 返事がないまま立体駐車場へ入ったところで、改めて有里さんを見てみる。
 すると、窓の縁へ肘を置いて口元を隠すように手を当てていた彼女の顔が、ほんの少し染まっているのが見えた。
「っ……な、危ないでしょう!」
「だってだって! 何!? やだっ、有里さんちょーかわいいんだけど!!」
「な……っ……んなの突然」
 がばっと腕を掴んでしまうと、一瞬車体が揺れた。
 だけど、両目をばっちり見張って彼女を見つめるのはやめたりしない。
 ……やばい。この姉弟って、面白いんだけど。
 ていうか、なんでこんなに弄りがいのありまくりなかわいさを発揮するのかなぁ。
 駐車線の内側へぴたりと寄せて車を停めると、そこで小さくため息をついた。
「本当に…………穂澄って、不思議な子ね」
「っ……」
「なっ……だから、もう。なんなの?」
 くす、と笑った彼女が私を見た瞬間、なんだか無性に嬉しくなって両手を握っていた。
 やっばい。
 この人、ツンデレとかのレベルじゃない。
 絶対の絶対に、デレデレになっちゃう人だ。
 そう思った――……っていうのもあったけれど、里逸と同じで私をようやく『穂澄』と呼んでくれたのが嬉しくて、満面の笑みを浮かべていた。


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