「……いくらなんでも、これは無理があるでしょう」
「無理じゃないし」
「でも……ピンクは、ちょっと……」
「何言ってるの?」
 思わず『はぁ?』と出そうになったものの、困った顔を見たら眉を寄せただけでセーブできた。
 これが男女差なのかな。
 相手が里逸だったときは、問答無用で『何言ってんの?』と鼻で笑ってたもん。
 どうやら、私も同性が相手だと多少は理性が働くらしい。
「誰が『ピンクは着ちゃダメ』なんて言ったの? 言われたことないでしょ?」
「それはそうだけど……」
「てことは単に、自分が勝手に周りの目を気にして『やめよう』ってセーブしちゃってるだけでしょ? あのね。思ってるほど、他人って気にしたりしないから。だったら、自分が好きな色を着なきゃ損だよ? すごくもったいないと思う」
 差し出した淡いピンクのセーターを見て戸惑った有里さんに、『じゃあこっち』と白のセーターを渡す。
 だけど、そっちはそっちで大き目のリボンが胸元にあしらわれていて、正直、どっちも同じくらいのかわいさ。
「……でも……こんな服を着ているところを、誰かに見られでもしたら……」
「何言ってるの? オンオフが違うのは、当然でしょ? 職場に着てさえ行かなければ、文句言われる筋合いないじゃない。何も、こーんな襟ぐりの開いたセーターで住民票取りにきたおじさんの目の保養になってやれ、なんて言ってないし。普段、自分ひとりでいるときくらい、何着たっていいじゃない」
 てか、自分が好きなものを身につけないでどうするの?
 眉と一緒に、ずいと顔を寄せてやると、『う』なんて里逸と同じように口を結んで視線を逸らした。
「この服、かわいいって思わない?」
「…………思う、けど」
「けど、じゃなくて。思うなら着るべき。『ちょ! ないわー』って服は着なければいいだけ」
 白地に、ワインレッドのリボンがあしらわれている、アンゴラのニット。
 それに彼女が好きだというコーデュロイのハーフパンツとライン柄の入っているタイツを渡し、大きな鏡のある試着室を指さす。
「じゃあ、これとこれとこれね。そこの試着室借りてあるから、着てきて」
「っ……え、ちょっ……ちょっと待って!」
「ダメ。待たない。5分ね。今すぐ着替えて」
 はい、どーぞ。
 腕時計はしてないけれど、左手首を見るような仕草をすると、有里さんは慌てたように試着室へ駆けて言った。
 『ごゆっくりどうぞー』なんて店員さんの高い声が聞こえたところで、にんまり笑う。
 今日も1日、すっごい楽しくなりそうだなー。
 “新作”の札がかかっているハンガーを取りながらも、ついつい今後のスケジュールが頭に次々組み立ってきて、どうにもこうにもテンションは一向に落ちなかった。
「……ねぇ、やっぱり無理があるんじゃないの?」
「なんで?」
「だって……なんか、行き違う人がみんな見てる気がするんだけど……」
「それは、有里さんの足がキレイだからでしょ?」
「ッ……そんなはずないでしょう!」
 これまで着ていた服を紙袋に入れてもらって、すっかりお召し替えした状態で店をあとにした。
 次の目的地は、対角線上にあるコスメ専門店。
 値段もちょっと安いし、何よりも化粧品だけじゃなくてヘアケア剤も売ってるから、一石二鳥なんだよね。
「…………」
 ちらりと隣の彼女へ視線を向けると、落ち着かないのかセーターの肩口を弄ったりしていた。
 すらりと伸びた足がやたら色っぽいって、本人は気づいてないんだろうなぁ。
 ちなみに、ブーツじゃなくて、パンプスを合わせてるあたりもポイント高いよね。
 こうしてると、すっごく足が長く見えるもん。
「有里さんは、ちょっと身体のラインを隠しすぎ」
「……え?」
「出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでるんだから、それなりにラインを見せないと、もったいないよ?」
「っ……」
「デコルテだってキレイじゃん。……ほら。このほうが、ずっとそのダイヤも映えるし」
 少しだけ肩口が開いているセーターのお陰で、首周りは先ほどまでよりすっきりとして見える。
 白い肌に光るひと粒ダイヤのネックレスは、まさにSimple is Bestそのもの。
 向こうから歩いてきたカップルのカレシが、有里さんの足元から顔まで視線を這わせたのを見て、『しめしめ』と改めてほくそ笑みそうになった。
「見られてるってわかるなら、そこでにっこり笑ってあげればいいのに」
「っ……そんなことは……」
「なんで? だって、スマイルは0円って言うでしょ? ちょっと笑えば、それだけでかわいく見えるのに、だんまりのままじゃもったいないよ?」
 言いながら、にっこり微笑んで『ね?』と同意を得るべくうかがうものの、有里さんは唇を結んだまま戸惑ったように眉を寄せていた。
 あー、そういう顔、よく里逸がしてる。
 眉間に皺のあとがついちゃうから、ぜひともやめていただきたいけれど。
「次はここでーす」
 じゃじゃーん、と言うかわりに手で方向を示し、とりあえず手近にあった自分が好きなメーカーの棚へ近づく。
 リップからアイライン、マニキュアまでとオールで揃うからいいよね。
 すでに春っぽいアイシャドウが並んでいて、見てるだけで楽しくなる。
「ねぇ。有里さんって、プライベートと仕事で化粧変える人?」
「え……別に、変えないけれど」
「変えないの? じゃあ、アフターで飲み会ってときは?」
「……服も化粧も、そのままね」
「ちょお!! ダメでしょそれ!!」
「っ……何、急に」
「何じゃなくて! ホントに? ……もー。もったいないよ、それ」
 有里さんが思いきり驚いたけれど、私に言わせてもらえば、こっちのほうがよっぽど驚いた。
 だって、それってアリなの?
 少なくとも、まだまだ“恋愛モード突入”すべき人だからこそ、あまりの手抜きぶりにまたまた『はぁ!?』と言いそうになった。
「仕事が終わったからこそ、変えるべきでしょ? ほんのちょっとでいいんだよ? メイクを変えるとか、髪形を変えるとか、それだけで全然違うんだから」
「……でも、わざとらしいじゃない。それじゃ」
「いいの! だって、アフターでも仕事モードのままでいたら、男が手を出す隙がないじゃない」
「っ……な」
「いっつもこのままじゃ、“できる女”すぎて隙が全然ないし、ちゅーだってしにくいでしょ?」
「だから、それっ……!」
「あのねー。キスどころかそれ以上のこともしていいんだよ? 大人なんだから」
 鏡を覗きこんだ彼女の後ろに立ち、さらさら髪へ手を伸ばす。
 つやっつやで、まったく癖のない細い髪。
 髪質自体がすとんとしているので、クセをつけにくい。
 だけど当然、やりようがいくらでもある。
「……どうして穂澄はそんなに直接的なの?」
「あのね。今どき、高校生でもヤることヤってるから」
「なっ……」
 ため息をついた彼女と鏡越しに目が合い、けろりとした顔でまばたきを1度。
 『私だってそのひとりだし』
 とは、思ったけれどさすがに口へは出さない。
 たとえ姉弟でも、プライバシーってものは十分に存在するんだから。
 ここにいないからこそ、里逸の面目はきっちり守ってあげないとね。
「それじゃ、ちょっとだけ変身してみる?」
「……え」
 背中のほうの棚にあったワックスの試供品に手を伸ばし、少し多めに取って両手に馴染ませる。
 途端に香った、いかにも整髪料独特の甘ったるい匂い。
 だけどこれが嫌いじゃないから、何をされるのかと不安そうな有里さんとは違って、当然のように頬が緩んだ。


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