歩くたび、わずかに揺れる毛先。
空気感たっぷりの柔らかい髪型は、短いからこそできる“あそび”。
私くらいの長さだと、ワックスでクセづけとか難しいんだよね。
髪自体の重さもあるし、髪質の問題とかもあるから、彼女とはまったく違うできあがりになる。
だからこそ、弄ってる最中はもうこれでもかってくらい楽しくてたまらなかった。
……ああ。
今からなら、美容師さんとか目指してみるのも案外アリかもしれない。
なんて、少しずつながらもはっきりと変化を見せてくれる有里さんを弄りながら、個人的にはもうあらゆる欲求が満たされた気分になった。
隣を歩く有里さんは、さっきまでとは全然雰囲気が違う。
すとん、とまっすぐに落ちていた髪は、今じゃもう毛束がそれなりにできていて、ふわりと空気を取り込むようにボブっぽく変化済み。
さらに、ただでさえ大きい瞳だったけれど、ジェルアイライナーでまつげの間を埋めるようにラインを入れたら、さらにおめめぱっちりで『うわ、かわいい!』って思わずにやけたほど。
ちなみに、彼女の仕上がりを見て満足したおかげで、思わず自分用にブラウンを買っていた。
「……ねぇ。本当にヘンじゃない?」
「当たり前でしょ? すっごいかわいいよ。ちょーやばい」
「…………その言葉、慣れないわ」
「里逸も同じこと言うよ」
自信なさそうに上目遣いで見るとか、もうね、あらゆる意味で基本を押さえすぎだから。
少しだけ恥ずかしそうにうつむき加減で歩いてはいるけれど、お陰で唇のグロスがほどよく光を反射して、ちょっとだけえろっちく見える。
うん。大成功。
『多分、化粧を変えたら相当変わるだろうな』って思いはあったけれど、まさかここまでだなんて思わなかった。
結局、あのショップで試供したものをほとんど購入したついでに、使い方だってばっちり彼女へ伝授済み。
これで明日からは、新しい“高鷲有里”が誕生するに違いない。
「っ……」
「……え? どうしたの?」
次はどこへ行こうかなーなんて思いから近づいた、総合案内のプレート前。
そこで、急に有里さんが私の影へ隠れるように身を潜め、あからさまに顔を逸らした。
隠れたがってる身体の向きからして、私の左方向……よりもうちょっと斜めって感じ?
今まで見たこともない反応に『?』をいっぱいにしながら周囲を確認すると、有里さんとは正反対に、彼女を覗き込もうとしている男の人が、向こうから歩いて来た。
「……高鷲さん?」
「っ……」
ちょっとだけ長い髪の、男の人。
背はそこまで高くないものの、かなり人がよさそうな……っていうか、人懐っこさのある顔立ちをしている。
「……やっぱり。いや……いつもと雰囲気違うんで、一瞬違う人かなーって思ったんですけど…………こんにちは」
「…………こんにちは」
ほっとしたような顔で笑った彼を見て、有里さんもおずおずと姿勢を正した。
だけど、まるでこのまま消え入りそうな小さな声は、そのあとに続くことがなくて。
…………もしかして、もしかしちゃう?
目だけで有里さんを見てみると、私に気づいてか気まずそうに唇を噛んだのが見えた。
うーわ。ちょーかわいいんですけど。
頬が赤くなってるとか、視線を落としてるとか、なんかもう、いろんな意味でマズいでしょ。
多分、この男の人もわかってるんじゃないかな。
いかにも『興味津々』っていうか、そっち対象として彼女を見ているように思えるからこそ、ぴんときてすぐにスイッチが入った。
「お姉ちゃんの知り合いなんですか?」
「あ、高鷲さんの妹さんですか?」
「え!? っ……あ……いえ、ええと……その」
「初めましてー。妹の穂澄です。姉がいつもお世話になっております」
「ああ、やっぱり。初めまして。お姉さんと同じ職場の、加納です。僕のほうこそ、いつもお世話になってばかりで……」
「そんなことっ……ないでしょう? 加納君は、しっかりしてるし……」
「はは。そうですか? 高鷲さんにそう言ってもらえると、嬉しいですけど」
大げさな素振りながらも、彼は嬉しそうに笑った。
その顔を見て、有里さんもまんざらじゃなさそうで。
……なるほどね。
どうやら、この人が有里さんの好きな人らしい。
なんていうナイスタイミングなのかしら。
この完成形の彼女をすぐさま引き渡すことができるなんて、これ以上の好機はない。
「お買い物ですか?」
「あ、うん。職場で着るカーディガンが、ちょっとほつれちゃって。新しいの欲しいなーって思ったんだけど、なかなかいいのがなくてね」
「だったら、お姉ちゃんに選んでもらうっていうのはどうですか?」
「なっ……!?」
「ほらー。お姉ちゃん、この間言ってたでしょ? 軽いのにあったかいカーディガンが出た、って」
「な……ななっ……」
にっこり笑って首をかしげ、『へぇ。そうなんだ』と好印象の反応をくれた彼に気づかれないよう、有里さんに顔を向けて『大丈夫』と唇で囁く。
ぱくぱくと口を動かしながら緩く首を振ってるけれど、その顔はだめだからね。
せっかくのチャンスなんだから、生かさない手はない。
「たしかに、高鷲さんのオススメなら間違いない感じありますよね」
「や、あのっ……私、そういうのはちょっと……」
「じゃあじゃあ、ほらっ。教えてあげなよー」
ね? おねーちゃん。
にこにこ笑いながら彼女の肩を掴み、問答無用で彼へと押し出す。
すると、今にも泣きそうな顔をしながら、有里さんは目で『Help』を訴えていた。
「あ、でもー。なんか、そうやってふたりで一緒にいるとデートみたいですよね? やだー! 私、すっごい邪魔じゃないですかー!」
一緒に行くのやだなーとかなんとか言いながら、1歩下がってくすくす笑うと、有里さんが慌てたように『穂澄!!』と叫んだ。
だけど、思ったとおり、加納さんは何も言わずに小さく笑っているだけ。
……ほらね?
ふつー、よっぽど好意的じゃない相手のプライベートに立ち入ったりしないものなんだってば。
じゃなければ『昨日見かけましたよ』って言うだけで済む話。
なのに、あえて声をかけてきたということは、彼だって今の有里さんに興味があったと考えても間違いじゃないだろう。
……ううん。
正確には、もしかしたらもっと前から彼は彼女に好意を抱いていたのかもしれない。
「じゃあ、私先に帰るね? お姉ちゃんは遅くなるって、お母さんには伝えておくからー」
「なっ……!? 穂澄、ちょっ……待ちなさい!」
「もー。私だって空気読めるんだからね? ここから先は、大人の時間を満喫してちょーだい」
「だから、そうじゃなくて……!」
「……あ。そろそろ私も行かなきゃ。カレシ待たせてるしー。それじゃ、加納さん。お姉ちゃんのこと、よろしくお願いします」
「あ……じゃあ、お預かりしちゃっていいのかな?」
「もちろんですよー! どうぞどうぞ。好きにしちゃってください」
にっこり笑って最後にごり押しをすると、有里さんは顔を真っ赤にして私を睨んだように見えた。
ん、気のせい気のせい。
今の有里さんなら、どんな顔してもかわいいからまったく問題ないよ。
にっこりと音が聞こえるくらいの勢いで微笑み、ひらひらと手を振ってひとり先に歩き始める。
ここからどうなるかはわからないし、有里さんがどこまで堪えられるのかもわからない。
ついでに言うならば、あの男の人がどこまで興味を示すかも、本当は半分くらいが未知数なんだよね。
……さて。どうなるかな。
駅までのバス乗り場を探すついでにスマフォを取り出し、有里さん宛てにメッセージを送る。
内容はもちろん、メンズのカーディガンについて。
ついこの間、里逸が新調したばかりだったんだよね。
あの人、何かと品物にケチをつけるっていうか、本当に自分が気に入ったものじゃないと買わないっていうかだから、かなりのこだわりがある。
でも、だからこそ品質は確かだし、物持ちもやたらいいから、間違いないんだろう。
……せっかく持ってる情報だもん、それを最大限利用しない手はないよね。
里逸が買ったのとまったく同じテナントが入っていたのは確認済みなので、有里さんにもおすそわけすべきでしょ。
『送信完了』の文字を見ながらにんまりしつつ、改めて大きく歩き始める。
“Chance”と“Change”は1字違い。
願わくばどうか、今日が彼女にとっての転機になりますように。
里逸がくれた言葉だからこそ、どうしたって自然と彼の顔が目に浮かび、『早く帰りたいな』なんて本音がうっかり漏れそうになった。
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