「それじゃあ、そろそろ2次会に行きましょうかー」
 幹事の声に元気な返事をして、それぞれが会場をあとにしていく。
「ほら、優菜も行こ?」
「んー……もう飲めない」
「ったくもー、飲みすぎだってば! ペース速いんだから」
「だってぇ……」
 足取りが危ういのは、自分でもよーくわかってる。
 ので、片腕を支えてくれているりっちゃんには、感謝しか浮かばない。
 ホテルのエントランスへ向かう途中も、ほかの子たちに同じような心配の言葉をもらい、ひらひらと手を振りつつも若干情けなかった。
 ……でもさー、だってさー、なんか……気付いたらいっぱい飲んでたんだもん。
 お酒の魔力恐るべしっ。
 とはいえ、今回は珍しくちゃんとしてたのよ? 私。
 だって、綜には結構前に迎えに来てもらうように電話したんだもん。
 結局まだ実家にいるらしかったから、もうそろそろ着くはず。
 2次会に行きたいのはやまやまだけど、久しぶりに会った子たちにわざわざ醜態をさらすのもなんなので、とっとと帰る方向で話をまとめた。
 もちろん、りっちゃんとメッセージのやりとりができるよう連絡先は聞きだしてあるし、ほかの子たちにもしっかり聞いたから準備万端。
 今の時代はほんっと便利になったからねー。
 電話番号さえもらえれば、ちゃちゃっとメッセージも送れるし、相手が読んだかどうかまでわかる安否確認モード搭載。
 直接繋がるって、ほんとにすごいことだよね。
 コメントの代わりに、スタンプの画像を送りあっていたらそれだけで10数件メッセージがたまって慌てたけど。
 エレベーターで1階まで下り、ロビーを通って正面の自動ドアから外へ向かう。
「……ありゃ、雨だ」
 りっちゃんの声で顔を上げると、ホテルの照明に浮かぶ雨粒が見えた。
 どうりで涼しいと思った。
 っていうか、ちょっと寒いくらい。
 でも、空気が新鮮で心地いい。
「はぁ……」
「ほらほらー、しっかり酔いをさましなさいよ?」
「ん……がんばる」
「で? 彼氏さん、どこにいるの?」
「んー?」
 やたら楽しそうなりっちゃんの声で、ああなるほど彼氏を見たかったのね、と彼女の本音がわかっておかしかった。
 そういえば綜を呼んだんだっけーーって、綜!
「っ……」
「わっ! 何よ優菜ぁ、びっくりするじゃない!」
 ヤバい怒られる。
 がばっと一気に正気に戻り、背を正す。
 綜は昔から、待つことを心底嫌う人間だ。
 だから、行列のできているお店なんて絶対に入らない。
 某有名テーマパークなんて、行こうと言ったが最後なぜ行かなければならないのかの根拠をもって説得しても、首を縦には振ってくれないだろう。
「えっと……もう来てるのかな」
 しっかりと両足で地面を蹴って立ち、暗闇へ目を凝らす。
 別に視力が悪いわけじゃないんだけど、夜の上に雨っていうわけで、結構見づらいのよね。
「……あ」
 ――と、そこに見慣れた1台の車が入って来た。
 彼にはやっぱり不似合いだと思う、白の外車。
「え? ひょっとして、アレ?」
「うん」
「ウソぉ! すごいじゃんー」
「へ? 何が?」
 ばしばしと背中を叩くりっちゃんに眉を寄せると、綜の車を指差しながらちょっと興奮気味に私を引っ張った。
「ちょ、ちょっ……! りっちゃん?」
「だってアレ、ジャガーでしょ? しかも新しいヤツ!」
「……そうなの?」
「何よ、優菜ってば知らないの!?」
「えーごめん。車、詳しくないから」
「詳しくないとかそういう問題じゃないわよ! だって、普通あのエンブレムでわかるじゃない!」
「……んー……」
 エンブレム。
 ああ、あの車の前にくっついてるヤツね。
 見たことはあるけど、まさかジャガーだなんて知らなかったんだもん。
 ていうか、ジャガーって何? 高い車?
 私の中ではジャガーだろうとなんだろうと、車であることに変わりはない。
 フェラーリとかBMWとかっていうのは知ってるけど。
 ……まぁ、知ってるって言ったって『高い外車』っていう程度の認識だけど。
「すごーい!」
「わ!? ちょ、りっちゃん!」
 ちょうど目の前に止まったのを見て、りっちゃんが興奮気味に私の手を引いた。
 ……うー。
 相変わらず、元気いいっていうか、もー、興味津々って感じ出まくってますけど!
「え」
 引っ張られるようにそちらへ歩くと、珍しいこともあるもので、運転席から綜が降りてきた。
 へー、珍しいこともあるもんだ。
 外車だから、もちろん綜が降りてきたのは左側のドア。
 そのため、ちょうど私たちを迎えてくれる格好になった。
「初めましてー。優菜の友人の、杉山と申します」
「……へ?」
 りっちゃんが、ワントーンあげた愛想のいい上品な笑みを綜に向けた。
 あらやだ、さっきまで私の肩をばしばし叩きまくってた人と同じには見えない。
「初めまして、芹沢です。すみません、優菜がお世話になりました」
「いえっ、とんでもない!」
 うわ出たわね、極上の営業スマイル。
 ちぇー。私にもその片鱗でいいから覗かせてほしいもんだわ。
 腕を強く抱えられたまま、りっちゃんと綜が話しているのをなかばジト目で見ているものの、まったく崩れることのない完璧な笑みがそこにあった。
「すみません、随分と優菜がご迷惑をおかけしたようで」
「そんなことないですよー! でも、ちょっと飲みすぎちゃったみたいなんで……。あとはそれじゃあ、お願いします」
「わっ!?」
 ぐいっと綜に押し付けられる格好でりっちゃんを見ると、何を企んでるのか知らないけれど、ものすごく楽しそうな顔をした。
 それどころか、グッドラッグなみに親指を上に向ける。
「でも、優菜が羨ましいなぁー。こんなすてきな彼がいるなんて。私も芹沢さんみたいな人が彼氏だったら幸せですよぉ」
「ありがとうございます。でも、杉山さんのような方なら、引く手数多でしょう」
 あれおかしいな……痛いぞ。
 胃が、ものすごくいたーい。
 なんなの? この歯の浮くようなセリフと、聞くたびに違う意味で背中が粟立つ猫なで声は。
 ああダメだわ、慣れたと思っていたけれど、やっぱり久しぶりにこういう綜を体験すると、拒否反応が出るんだとよくわかった。
「では、お先に失礼します」
「優菜のこと、よろしくお願いしますー!」
 強制的に頭を下げさせようとしているらしく、後頭部へ当てられた綜の手のひらを感じながらりっちゃんを見ると、今度は両手でガッツポーズを作られた。
 ナニ? それ。
 自然に寄った眉をそのままに、なされるまま助手席へ向かおうとす――。
「あのっ、もしかして芹沢さんじゃないですか?」
「うわ」
 かかった声で振り返ると……わ。
 そこには、小学校時代から何かと私を目の敵にしてきた子がきらっきらした服装で、きらっきらした顔で綜を見ていた。
 彼女の場合は杉浦君とは違い、数年経った今になっても会ってよかったなんて思うことすらできず、やっぱり未だに拒否反応が出る。
 だって、素で『うわ』って言っちゃったもん。
 昔から、ご自宅が裕福でらっしゃるとかで、なんでか知らないけど、私が持っていた物や習い事のすべてに顔を出してきた子だった。
 だいたい、なんなのよその格好。
 どこの晩餐会に行く姫君気取りか知らないけど、ふりふりはかわいくて似合う子しか許されないって知らないのかしら。
「わ!?」
 隠すこともなく嫌そうな顔をしていたら、どんっと身体ごとぶつかられ、綜の手が私から離れた。
 ……な……にすんのこの子は……!
「大丈夫? 優菜」
「……平気」
「何あれ……感じ悪いわね。でもどうして知ってたんだろ? 芹沢さんのこと」
 背中を撫でてくれたりっちゃんにうなずき、不思議に思ーーあー、ちょっと待った。
 もしかして、習い事で音楽関係やってた?
 私の記憶にはないけれど、かもしれないと考えれば辻褄は合う。
 目いっぱい憧れっていうオーラが出てるように見えるし、ひょっとするかもしれない。
「あの私、声楽やってるんです! 芹沢さんのことは昔から存じあげてまして、すごく……すごくファンなんです!」
 あー……やっぱり。
 両手を組み合わせてぶりっこよろしく綜を見ている横顔を見て、乾いた笑いが漏れた。
「え、何? どういうこと?」
「あー、実は、綜――じゃなくて、うちの彼。ヴァイオリニストなの」
「えー!? すごいじゃない!!」
 ワケがわからないという顔をしたりっちゃんに説明すると、心底驚いた顔をしてから『すごい』を連発され、いやいやすごいのは私じゃなくて綜だからと苦笑が漏れる。
 ……はは。
 でもね、りっちゃん。
 彼はそんじょそこらのヴァイオリニストのように、いい人じゃないのよ。
 相変わらず頬をつまんでやりたくなるような顔をしている綜を見ながら、乾いた笑いはいつしか引きつりへ変わっていた。
「どうりで、よく通る声だと思いました」
「えぇー? ホントですか? やだ……芹沢さんにそんなこと言われると、恥ずかしいです」
「いつかご一緒できるといいですね」
「がんばりますっっ!」
 は・は・は。
 いー加減、堪忍袋が音を立てて切れそうなんだけど、なんとかならない?
 てゆーか、何よその笑みは。その言葉は。
 本当に思ってるの?
「…………」
 内心悪態をつきながら、やっぱり悔しい気持ちがあって。
 ……私には見せてくれないのに。
 私には聞かせてくれないのに。
 甘い顔して甘い声で柔らかく対応する綜が、すごくすごく嫌でたまらない。
 なんで、そんなに笑顔なの?
 なんで、そんなに……優しいの?
 なのに……どうして、私にはそうしてくれないの?
 いつしか握られた拳をそのままに綜を見つめていると、視線が合った。
「…………」
 何よ、その顔。
 どうせ、子どもっぽいとかなんとかって言うんでしょ?
 ……わかってるわよ。
 だから、悔しいのに。
「でも、芹沢さんがこんな子と一緒にいるなんて……どうしてですか? 品格疑われちゃいますよ?」
「優菜とは一緒に住んでいて――」
「えー! ウソ!! ダメダメっ!! もったいないですよ、芹沢さんが!」
「なっ……」
 ぶんぶんと首を振って大きな声で否定され、思わずむっとした。
 ていうか、そこは私の場所。
 綜の目の前に彼女がいるのは、どうしたっておもしろくない。
「ちょっと、いい加減にしてくれる? 私、もう帰るんだから」
「やっ! いたーい!」
「なっ……」
 軽く。
 それはもう、すごーくちょこっとだけ腕を取ったのよ? 私。
 だって、そうでしょ?
 私だって別に好きこのんで彼女に触りたいなんて思わないんだから。
 なのに、まるで強い力で掴まれたみたいなリアクションとともに、眉を寄せてそこを手でさする。
「大丈夫ですか? ……すみません、優菜が……」
「いいえっ、大丈夫です。でも、こわーい。芹沢さん、こんな子と一緒にいないほうが絶対にいいですってばぁ」
 私ではなく、綜は彼女へ意識を向けた。
 さすがに触れてはいないけれど、気遣っている様子を見て、つい唇を噛む。
 なんで。
 ああ、だめだ。私。
 またそんな感情が吹き出しそう。
「優菜。お前、何か言うことないのか?」
 途端、綜の声が変わった。
 いつもと同じ声。
 低くて、ちょっと鋭さのある、聞き慣れた綜の声。
「…………」
 ……何よ。私が悪いの?
 じゃあ謝ればいいわけ?
 ぐっと拳に力を込めて綜を見ると、自然に口が動いた。

ひとつ戻る  目次へ  次へ