「帰りたくない」
「……何言ってんだ? お前」
「ここまで来てくれて悪いとは思うけど、今の綜とは一緒にいられない」
まっすぐに彼を見据えて言うと、瞳を細めて大きく息を吐かれた。
でも、本音。
今一緒の空間にいたら、私、綜に対してみっともない文句しか出てこない。
「我侭もいい加減にしろ」
「……何よそれ」
「何?」
「何もわかってないクセに」
ギリ、と奥歯を噛みしめ彼を睨む。
すると、いきなり腕を掴まれた。
「っ! ……いた……っ」
「……いい加減にしろ」
ぼそっと耳元で聞こえる、鋭い声。
それはまるで『世話を焼かすな』と言っているように聞こえて少しだけ切なかった。
「離してやれよ」
「っ……え」
綜を振り切るように腕を引くと、ふいに手首を掴まれた。
……だけど、綜とはまったくの正反対。
すごくすごく優しい触れ方で、どきりとする。
「杉浦君……」
「大丈夫か?」
「……あり、がとう」
綜が、つかんでいた手を離し、かわりに杉浦君が肩へ手を置く。
あれ……あったかいな。
こういうのって、彼氏がしてくれるんじゃないんだっけ。
「君は?」
「佐伯と付き合ってんだろ? だったら、そんな扱いしなくてもいいじゃん」
「君には関係ないだろう」
冷たい眼差しだった。
さっきまでの綜とは、正反対だ。
……ううん。
さっきまでとは違うけれど、これが普段の彼の姿。
「佐伯。何も今帰ることないだろ? 俺が送ってやるよ」
「え? いや、それは……」
「そうしてもらえばどうだ?」
「っ……え……?」
杉浦君を振り返ると、信じられない言葉が聞こえた。
ゆっくりと首が元に戻る。
だけど……。
だけどそこには、いつもと同じ顔をした綜が立っていた。
「……何言って……」
「お前が帰りたくないって言ったんだろ? ちょうどいいじゃないか」
「っ……」
そう言った。たしかに、そう言ったよ、私。
でも、ほかの男の人に送ってもらえなんて、普通言う? 言わないでしょ?
綜とのやりとりはいつもと同じはずなのに、全然違う気持ちでいっぱい。
それが、やけに悔しい。
何よそれ……。
私のことなんて、その程度にしか考えてないって意味……?
「綜は……いいの?」
「何?」
「だって綜はっ……!」
言葉が消えた。
正確には、出てこなかった……のほうが正しいと思う。
『彼氏なんじゃないの?』
そう言おうとして、先に頭がストップをかけた。
本当に彼氏なの?
彼は私のことを好きでいてくれるの?
ちゃんとーー気持ちを伝えてもらったこともないくせに。
「……なんでもない」
俯くと、情けなくも涙が滲んだ。
やばい、泣きそう。
……ううん。
事実、ぽたりと地面に涙が落ちて、慌てて指先で拭う。
「大丈夫か?」
「あ……」
肩に手を置いた杉浦君が、顔をのぞきこんだ。
優しい顔。
でもねーーああ違うな、って思っちゃったの。
私がほしいのは、もっと冷たくて、鋭くて、でも、ずっとずっと好きだった人なんだもん。
「優菜」
「っ……」
綜へ背を向けるようにホテルのエントランスへきびすを返した瞬間、名前を呼ばれて足が止まった。
でも、やっぱり振り返ることはできない。
見れるわけないじゃない。
こんなみっともない泣き顔で、とか。
「本当にいいんだな?」
「っ……」
ため息混じりに聞こえた言葉で、息をのむ。
……いいわけない。
だって私が嫌な気持ちになったのは、なんでだと思うの?
私じゃない人に、自分の彼氏が優しさを向けたから、なのに。
「……いいわけないでしょ……」
ぽつりと呟くと、唇が震えた。
ああもうほら、みっともない。
これじゃ、弱くて小さかったあのころと何も変わってないってバレちゃうじゃない。
「一緒に帰るっ……」
ぽろぽろと涙がこぼれて、首が横に動いた。
だから置いていかないで。
目を見たまま続けると、小さく笑った綜が手を伸ばした。
「それでいい」
たったひとことつぶやかれたセリフは、なんて上から目線で偉そうなんだとは思ったけれど、いちばん彼らしくて。
杉浦君と違って少しだけ冷たい指先をつかむと、胸の中はすごくあったかくなった。
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