「かんぱぁーい」
 カチン、といういい音とともに、おいしくいただくビール。
 ……うん。
 やっぱり、仕事のあとはコレに限る。
 明日は日曜で休診日なので、巧君の歓迎会は早速の週末やることにした。
 近所の居酒屋の2階の部屋を陣取っての、飲み会。
 もちろん、ウチの医院のスタッフは全員参加してくれた。
 総勢8名での、飲み会。
 飲み会にしてはちょっと少人数かもしれないけれど、こういうのもいいよね。
 いかにも親睦会っていう感じがするし。
「簗瀬さんって、前はどの病院にいたんですか?」
「前は、横浜の邦立(くにたち)クリニックにいたんです」
「っ……」
 ……邦立……ですか。
 聞き覚えがありまくりの名前に、思わず手が止まった。
「へぇー! あんな大きい病院にいたんですか。それなのに、どうしてウチみたいなところに?」
「……こらこら。さゆちゃんー。それってなんか、ウチの病院がいかにも貧弱みたいな言い方じゃない?」
「あ、すみません」
「まったくもー」
 巧君と目が合ってしまい、慌てて彼から視線を逸らして笑みを作って、話に参加する。
 ……バレる所だった。
 私がいかにも、『邦立』っていう名前に拒否反応を見せたのを。
「ずっとよくしてもらってた先生がお辞めになったんで……。それで、俺も一緒に辞めちゃったんですよ」
「そうなの? もったいないなぁ」
「……まぁ、いろいろありまして」
 ……ふぅん。
 いろいろ、ね。
 まぁ、わかるよ? だって私も――。
「あ。そういえば、先生の元カレも邦立でしたよね?」
「ごほっ!」
「ありゃりゃ、大丈夫ですか?」
「だっ……だいじょぶっ……!」
 さゆちゃんってば、いきなりの爆弾投下ですか!?
 何も、そんなきっちり覚えてくれてなくてもよかったのに! もう!
「そうなんですか?」
「うぇ!?」
 しかも……た……巧君まではっきり食いついてくるし。
 ……うー。
 何よ、みんなこっちを楽しそうに見て。
 彼以外は、にやにやしてるし。
 やめてほしいわ、そーゆーお顔。
「……まぁ……もう昔の話」
 ごくごくと音を立ててビールを飲むと、それぞれが何やら囁きあい始めた。
 悪かったわね。
 ていうか、もう好きに噂してくれていいわよ。どうぞどうぞ。
「もう3年も前の話」
「そう、なんですか」
「……うん」
 …………って、何? このしんみりした感じは。
 ってまぁ、私と巧君との間にしか漂ってませんけどもね。
「ちょっとー。私の話はいいでしょ! ほらほらっ! 新人君を困らせない!」
「あ。そうですね」
「じゃんじゃん飲みましょうよー」
 ジョッキをテーブルに置いてさゆちゃんに眉を寄せると、ぽんっと手を叩いてからメニューを取り出した。
「簗瀬君、何飲むー?」
「あ、俺はもう――」
「何言ってるのよー。若いんだから、じゃんじゃん飲まなくちゃ! 今回は、先生の奢りだし。ねー、先生?」
「こらこらこら。誰がいつそんなこと言ったのよ! 聞いてません」
「うそー。会費取るんですか?」
「取りますよ? ウチは弱小貧乏医院ですもの」
「えぇー。そんなこと言ってないのにー」
「いーからっ。ほらほら! あ、すみませーん。オーダーお願いします」
 ぶーぶーと文句を言う彼女らをいたずらっぽい顔で制してから、店員を呼ぶ。
 すぐに来てくれたなかなかかわいい女の子に、それぞれがそれぞれのオーダー。
「あ。あと、串揚げセットお願いします」
「はーい。わかりました」
「……もー。先生、またそんなの食べてー。いいんですか?」
「なんで?」
「油物とアルコールって……危ないですよぉ?」
「何よ、さゆちゃん。私がメタボ街道まっしぐらってこと?」
「そうは言ってませんけど、コレステロールがどうのって言うのに……いいのかなーって」
「たまには食べたいんです」
「しょーがないなぁ」
「……あら。いつからさゆちゃんは、私の母上になったの?」
「えへへ。昔からですよ?」
 楽しそうに笑ってうなずかれ、つい吹き出してしまった。
 まったく。かわいい子は得だ。
 私と彼女のやり取りを楽しそうに笑ってくれる彼の姿も目に入って、それはそれで楽しいんだけど。
 なんか、久しぶりにいい飲み会になったなー、なんてそんな感じ。
 やっぱり、ひとりとはいえ人数が増えると違うものね。
 しかも、彼は貴重な男の子。
 スタッフ内に新しい雰囲気がただよっていて、とても楽しい。
「よーっし。しっかり飲むわよー!」
「はーい」
 空いたグラスをテーブルの端に置いて声をあげると、それぞれもジョッキやらグラスやらを手にしたままで高らかに反応した。
 はー。やっぱ、いいわ。飲み会って。
 ――と思ったのも、まぁ、このあとすぐにちょっと後悔することになるんだけどね。
 ま、それはいつものことですけど。

 開始から3時間。
 いつものように、みんながへべれけになっての解散となった。
「……ちょっとー。大丈夫なの? 気をつけて帰りなさいね?」
「はぁーい」
「いえっさーでありまぁす!」
 本人は敬礼をしているつもりらしいけど、とてもそんなふうには見えない。
 タクシーを呼んで詰め込むように乗せると、窓を全開にしてから大声でこちらに声をかけてきた。
 っ……ああもう、さゆさん!
 あなた、そんな胸元めいっぱい押し付けるんじゃないの! 危険よ、危険!
「せんせぇー。ばいばぁーい」
「……はいはい。ほらっ。危ないから、早く窓閉めて」
「だって、この中暑いんだもんー」
「そーですよぉー。ぎゅうぎゅうだしー」
「……まったくもー……」
 相変わらず、テンションが高いのはさゆちゃん。
 まぁ、彼女は素面のときとあまり変わらないと思うんだけど……なぜだろう。
「じゃあ、お願いします」
「はい」
 苦笑を浮かべている運転手さんに頭を下げると、ハザードを消してから国道へと向かって行った。
「……はぁ」
「なんか、すごかったですね」
「いつもこんなだよー。……ごめんね、巧君」
「あ、いえ。慣れてますから」
「あはは。ありがと」
 笑みを浮かべて首を振った彼に軽く頭を下げ、伸びをひとつ。
「巧君は?」
「あ、俺はバスあるんで」
「そっか」
「……そういう、先生はどうするんですか?」
「んー……まぁ、ぼちぼち歩いて――」
「危ないですよ」
「……そお? 平気かなーと思ったんだけど」
 ここから、大した距離があるわけじゃない。
 でも、こんな時間に女ひとりが出歩くってのは危ないよね。やっぱ。
 だとしたら――しょうがないから、ウチのオオカミ2号に迎えにきてもらうか。
 1号は優菜と暮らしてるし、2号は……って、あーだめか。
 あの子も、当然のように家にいない気がする。
 うん。無理だ。ウチの男子はあてにならない。
「送ってきますよ」
「え? ああ、大丈夫よ。ダッシュで帰れば――」
「……遅らせてください。大事な先生ですから」
「あはは、ありがと。じゃあ、お願いしようかな」
 眉を寄せて『ダメですよ』みたいな顔をされたとき、不思議なもので彼が年上のように見えた。
 背が私より少し高いっていうこともあるんだろうけれど、なんか……やっぱ、男って感じよね。
 5つも下なんて、ときどき思えなくなるし。
 外灯のみが照らす道を歩いていると、そんなふうに思えてくるから不思議だった。

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