「先生って……今は彼氏いないんですか?」
「え?」
 ちょ……はいいー?
「うーん?」
「え?」
「いや、えっと……」
 うん? それはどーゆー意味かな。
 君、意外とやる?
 予想もしなかった唐突な質問で思わず彼を見ると、こちらを見てまた柔らかく笑う。
「まー……うん。今はいない」
「元カレって……医者ですか?」
「…………聞くねぇ、君も」
「すみません」
 正直そこまで突っ込まれるとは思わなかったけど、まぁ……もう3年も前のことだしね。
 そろそろ、自分の中でも時効を迎えようとしていたんだと思う。
 あれだけ傷ついてヘコんだことだったのに、気づいたら自然と口から回想が漏れた。
「邦立の外科医だったんだけどね。……突然、外国行っちゃったのよ」
「……外国?」
「うん。ほら、青年海外協力隊ってあるじゃない? アレで目覚めたらしいのよね」
 今でも忘れない。
 きらきらした目をして、『俺は海外で通用する医者になる』なんて言ってた彼の顔。
 すごく楽しそうで、すごく熱意があって。
 だから私は、何も言うことはできなかった。
 ……行かないでなんて、我がままだと思ったから。
 そして改めて、彼にとって私はもしかしたら小さな存在だったのかなー、とも思った。
 結婚まで予感していたのに、とっとと私を放って海外行っちゃうんだもん。
 もちろん、ひとりきりで。
 …………なのに。
「そしたらさー。向こうで『好きな女ができた』って言われて。ひどいと思わない? ずっと待ってたってのに」
 こつん、とつま先で小石を蹴りながら、話を続ける。
 外灯はあるけど、そこまで明るいってワケじゃない。
 そのお陰もあって、話は進む。
「……まぁ、いい経験になりましたけども」
 こんっ、とひときわ強く蹴りつけると、電柱に当たってころころと転がった。
 それを見て、自然にため息が漏れた。
 ……やっぱり、距離は1番の敵だ。
 3年も前に終わった恋なのに、今でもそう思う自分が少し情けない。
 ずっと好きだった人だから。
 だから、なかなか次へ……とは考えられないんだと思う。
「……そう、だったんですか」
「あ、ごめん。変な話になったね」
「いえ。俺のほうこそ」
 慌てて手と首を振った彼は、本当にいいヤツなんだと思う。
 男友達だったら、最高かも。
 ああ、そういう意味でいえば、年齢差はあるけど私は十分友達として見れるなぁと思った。
「そういう巧君は、彼女いないの?」
「いないですね」
「ありゃ、もったいない」
「……そうですか?」
「うん。だって、巧君ウチのスタッフに人気あるよー?」
「あはは。ありがとうございます」
 それは、本当。
 別に冗談交じりに言ってる訳じゃない。
「さゆちゃん、巧君のこと狙ってるみたいだし」
「そうなんですか?」
「うん。気をつけないと、ちょっかい出されちゃうかもね」
「あー。……でも、大丈夫ですよ」
「あら。随分強気ね。でも、彼女結構――」

「俺、先生のこと好きですから」

 …………は……。
「……先生……?」
「うん。彩先生」
 ぴたっと足が止まると同時に、口が情けなく開いてしまった。
 いきなり……こ……告白ってヤツですよね? これは。
 面と向かってそんなことを言われ、どうしていいのかわからなくなるのは仕方ないと思うんだけど。
「ちょ……ちょっと待って。えっと……あの……。え?」
「俺、最初から先生のこと好きでしたよ? それこそ、ひとめ惚れっていうのかも」
「……ウソ。いや、ウソだぁー。そんな!」
「ウソじゃないですって。ホント。だから、スタッフに志願したんですもん」
「っ……」
 嘘だ。
 そんな……急に言われても。
 っていうか、ものすごく困る。
 こんな場所で、こんな突然、しかもそんな笑顔で言われたりしたら。
 ……ガラにもなく、どきどきしちゃうじゃないの。
 目の前には、自分を好きだと言ってくれている彼。
 私より背も高いし、なかなか優男風のハンサムで、物腰も穏やか。
 付き合いは短いけど、性格もいいし、患者さんからも好評。
 で。
 何よりも、真面目。
 何に取り組んでいるときも、彼は真面目にこなしている。
 だからこそ、好印象は持っていたけど……でも、でもですね。
「……彩先生?」
「あ。……えと……あの」
 思わず、彼から視線がそれる。
 ――これで年上だったらなぁ。
 そこの1点だけがものすごく残念で、ものすごく悔やまれる。
 年下っていう部分だけが、ちょいとしたネックになってしまっているから。
 別に、人に言われれば大したことじゃないと思う。
 なんだけど、ね。
 やっぱり……自分は、頼られるよりも、頼りたい人間なワケで。
「ごめん……なさい」
 視線を落としたままで、そう返事をするしかできなかった。
「あの、別にね? 巧君のことが嫌いなわけじゃないの。だけど、あの……」
「じゃあ、こうしましょうよ」
「え?」
「お試し期間。設けてもらえません?」
「……お試し?」
 考えもしなかった言葉が彼から出て、そこでようやく顔が上がった。
 目の前には、ヘコんでいるワケではない、にっこりとした笑みの彼。
 お試し……。
 なんともお気軽な雰囲気がするのは、気のせいじゃないと思う。
「何にでもあるじゃないですか。お試しって。だから、俺のこともしばらく試してもらえません?」
「……え、何を?」
「彩先生の彼氏として」
 ……あー……なるほど。
 って、納得してる場合じゃない!!
「いや、でもそれって――」
「ちょっとの間試してもらって、それで判断してください。俺のこと、彼氏として合格もらえなければ、諦めます」
 そう言われると、そうしてみようかなぁという気になっちゃうじゃないの。
 ……だけど、本当にいいのか?
 彼は、薬や何かのサンプルじゃないんだけど……。
「……本気……?」
「うん。ぜひ」
 にっこりとした笑みに、あっさりと負けてしまった。
 そんなねぇ、太陽みたいな笑み見せられたら、こっちまで笑みが浮かんでしまう。
 ああなんだろう、この子。
 人との距離詰めるのが、すごく上手い。
 まっすぐに顔を見つめていたら、気づいたときには自分から手を差し出していた。
「じゃあ……お願いします」
「こちらこそ」
 ぎゅっと握られる、手のひら。
 温かくて、自分より大きくて。
 なんか、安心できる感じだ。
 そんなわけで、突然始まってしまった『彼氏のお試しキャンペーン』。
 ……キャンペーンって言葉はおかしいか。
 でも、こんな告白のされ方は初めて。
 にこやかに笑って隣を歩く彼は、どこか少し満足げだし。
 うーん。
 これから暫く……どうなるんだろう。
 少し不安っていうのもあったけど、それ以上に楽しみにしている自分がいるのもまた事実。
 明日から始まる彼氏と彼女の関係が、ちょっとだけどうなっていくのか楽しみ……なんて、ね。
 まぁ、こんなことさすがに周りには言えないんだけど。
 ましてや、スタッフには彼のことを気に入っている子が多いし。
 わざわざ敵を作る必要もなければ、私だってやっぱり年下の彼を『男』として見れていないわけで。
 ……それにしても、しばらくってどれ位なんだろ。
 家が見えてきたとき、ふとそんなことが浮かんだ。
「ありがとうね。送ってくれて」
「いいえ」
「じゃあ……気をつけて」
「そうします」
 ……。
 …………。
 な……なんだ、この気まずい沈黙は。
 えーと、えーと……。
 ……や、あの、ね? そ……その顔はちょっと罪だと思うんだけど。
 そんな目で見られると、照れちゃうじゃない。
 ふと視線を外して門に手をかけたとき、彼がわずかに動いた。
「っ……」
「それじゃ。また月曜に」
「……う、ん……」
「おやすみなさい」
 笑顔で手を振ってこちらに背を向けると、彼は国道に向かって歩いていった。
 ガチャガッチャン。
「わっ!?」
 取っ手が、ぐるんっと一周してしまった。
 ……こ……転ぶかと思った。
 ドキドキしながら慌てて門を掴み、大きく深呼吸。

 いきなり、キスされた。

 いや、そりゃまぁほっぺたにだけど。
 それでも、こっちの心拍数はかなりの物になってる。
 ……ちょっとだけ、彼に『男』を見た気がしたから。
 不覚、芹沢彩。
 これから先、彼を意識してしまいそうで、少し緊張してしまいました。

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