神様は意地悪だと思う。
 なんで、あんなことを言った翌日だというのに、こういうときに限ってふたりきりっていう粋な計らいをしてくれるのかしら。
「…………」
「…………」
 診察室に訪れている、それはそれは重たい空気。
 いつもならば結構すごしやすくて、意外と気持ちいいのに。
 黙々と薬品のチェックをしている巧君とふたりきりだと、非常に手持ち無沙汰だ。
 ……なので。
 ガラにもなく、机の掃除なんか始めちゃったりして。
 今日は、珍しいことに午前中予約の患者さんは8名だけ。
 このままの調子だと、ウチが潰れるのも近いかもしれない。
 パソコンのディスプレイを拭いて、机の中も整理整頓。
 ……あら。
 出てくる出てくる、見覚えのあるお菓子。
「……忘れてた」
 ひとつひとつをつまんで見ると、どれもこれもいつ貰ったっけなぁなんて疑問が出てくる物ばかり。
 具合が悪くてウチに来ているはずの子たちからもらった、おすそわけってヤツだ。
 ……うーん。
 これ、まだ食べられるのかな……。
 と思ってつまむものの、中はもちろん見えないし……微妙に怪しげな雰囲気も漂っている。
 てなわけでここはひとつ、近所の鳩にでもまいておこう。
 そんな結論とともに机へしまい直し、再び片付け続行。
 ……こんなふうにしまっちゃうから、忘れるんだけどね。
 ちょっとだけ反省。
「っ……うぁ」
 机の端に置きっ放しになっていた手紙の束を肘で突いてしまい、途端に床へと広がってしまった。
 ありゃりゃ……。
 必要ないダイレクトメールは捨てろっていうことよね、うん。
 製薬会社やら医療器具メーカーからの手紙をそのままにしていたバツかもしれない。
「っ……」
 ひとつひとつ確認しながら拾い上げていくと――ふいに、手が止まった。
 ……これまた、忘れてた。
 白の、少し分厚い封筒。
 丁寧な筆文字で、私の名前が記されている。
 封を開けて返事を出したままのそれ。
 ……なんか、未練ったらしいわね。
 拾い上げてほかの手紙と一緒にしながら、これまで捨てられなかった自分が笑える。
 今はもう、なんとも思ってないのに。
 当時は悔しかったんだろうなぁ。
 ……ってことは何?
 1年間も、この手紙類は放置してたってこと?
 うわー、それはいくらなんでもマズいでしょ。
 こまめなお掃除ってやっぱり必要ね。
「招待状……?」
「え?」
 トントン、とまとめて机に置くと同時に、巧君の声が後ろから聞こえた。
「あー……まぁ、ね。とっくに式は終わってるんだけど」
「例の彼氏?」
「……うん」
 短く答えてそれらを輪ゴムで縛り、ゴミ箱へ放る。
 あー、なんかすっきりした。
 もっと早く捨てればよかったのかもね。
「いい趣味してるわよね。自分がフッた女を結婚式に呼ぶなんて」
 1年前。
 別れた彼から届いた、式の招待状。
 ご丁寧にも『ぜひお越しください』なんて、白々しい一筆も添えられていた。
「そんなことして、私にどーしろって言うのよねぇ」
 指くわえて見てろとでも言うのかしら。
 やっと傷が癒え始めたときだったので、無性に腹が立ったのを覚えている。
「え、やだ、そんな顔しないでよ。今はもう、すっかり完全復活してるから」
「……じゃあ、どうして俺じゃダメ?」
「っ……それは……だから、これとは別問題で――」
 とんっ
「っ……」
 まっすぐに見つめた巧君が、机に両手をついて椅子に座っているままの私を挟んだ。
 近い、ですよ。巧君。
 じぃっとまっすぐに見つめられて、どうしたってドキドキしてしまうわけで。
「……勘違いされたら、困るのは巧君だよ?」
「勘違い?」
「さゆちゃんのこと、泣かせないでって言ったじゃない」
「…………あの……さ」
「あ。いけないいけない。そろそろお昼休み終わっちゃうよ? 私――」
「彩さん」
「っ……」
 ぽんっと手を打って逃れようとしたんだけど、結局失敗に終わった。
 ……何も、大きな手でつかまなくたっていいじゃない。
 自分とは違う手のひらの感触に、どきりとして視線が落ちる。
 まっすぐ見て名前呼ばれたら、何も言えなくなるのに。
「ちゃんと、話を聞いて」
「……聞いてる」
「聞いてないでしょ。ほら、こっち見て」
「っ……」
 まるで聞きわけのない子を叱るように彼が頬へ手を当て、視線をあわせてきた。
 ……はい。わかりました、聞きますってば。
 少し椅子をきしませてから座り直し、彼を見上げると、ちょっとだけいつもと違う顔をしてた。
 …………何よぉ。
 私は何も言ってないのに。
 むしろ、怒りたいのはこっちのほうですよ。
「俺と三河さんが、どうかしたの?」
「どうって……自分でもわかってるでしょ?」
「わからないから、聞いてるの」
 む。
 なんで子どもを諭すみたいな口調なのよ。
 まさか、こんなところで在りしのころ母に怒られた気分を味わうハメになるとは。
 でも、さすがにそうは思っても、決して口にはできないけれど。
「……付き合ってるのに、ふた股はいけないと思います」
「え?」
 ぽつりと出た言葉。
 ……そうだよ。
 私は悪くない。
 むしろ、黙ってた彼のほうが悪いんだ。
 そう思うと、自然に顔が上を向いた。
「さゆちゃんと抱き合ってるとこ、私見たの。……別に内緒にしてなくてもよかったのに。むしろ、はっきり言ってくれたほうがよかった」
「……俺が?」
「あなた以外いないでしょ」
 即答。
 彼がたじろげば、あとはこっちのもんだ。
 どんどん言葉が出始めてくる。
「巧君、私に何もしなかったのはそういうことだったからなんでしょ? さゆちゃんと付き合ってるなら、言ってくれればよかったのに。別に、私と巧君はなんでもなかったんだし。ヘンな誤解をさゆちゃんに与えるわけでもないじゃない?」
「俺……?」
「そんな、ふたり揃って隠したりしなくてもいいんだよ? ウチは恋愛ご法度なんて言わないから」
「ちょっと、待って」
「何」
 いぶかしげな顔をしたのを見て、ああ自分は怒っていたのかと気づいた。
 言い方にトゲがあったなとは思ったけれど、邪魔されたことで怒ってるわけじゃない。
 そうじゃなくて、気のある素振りを見せていたのに、黙ってほかの子に目を向けていたのが悔しかった。
 ……そう。悔しかったの。
 大人げないでしょ。子どもっぽいでしょ。
 でも――しょうがないじゃない。
 あなたのこと、好きになっちゃったんだから。


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