すてきな朝だと思った。
だってそうでしょ? 人生初体験のあった、その次の日の朝なんだから!
となればもちろん、朝起きて、まずすることはこれだって決まってる。
「優菜」
「ん? 何?」
読んでいた新聞を畳んだ綜が、こちらを向いた。
その顔がどこか不機嫌そうなのは……気のせいってことにしておこう。
「何? そんな顔して」
少し温めたクロワッサンをお皿に取ってリビングに向かい、綜の向かいへ座る。
すると、新聞をソファに放ってから、テーブルに載っているカップの取っ手を指で弾いた。
「嫌味か?」
「え? なんで?」
「なんで、じゃないだろ。俺がコーヒー飲まないのは、知ってるんじゃないのか?」
そうです。
もちろん、よく知ってます。
きっと、彼が1番好きな飲み物は水だと思う。
しかも、よくわからない英語やらフランス語やらが書かれている、お高い高級水。
味は普通の水と同じだけど、まぁ確かにそれ相応の気分にはなれる。
……気分だけ、だよ? 気分だけ。
だけど、彼は妙なところにこだわりっていうのを持っているから、何も言えないんだけどさ。
「いいじゃない。どーしても、今日はコーヒーを飲んでほしかったの!」
「……は?」
「どーしてもよ、どーしてもっ」
「意味不明だな」
くふふと笑ってからテーブルへ両手をついて力説すると、渋々ながらも綜がカップに手を伸ばした。
ちなみに、綜のカップの中には、3ミリほどのコーヒーしか入れてない。
飲んでくれただけで満足よ、私はもう。
ささっと高濃度酸素水の入ったグラスを勧めると、当たり前のように手を伸ばして半分ほど飲みきった。
……ふふ。
だって私、夢だったんだもん。
何が、って? そりゃあもちろん、『モーニングコーヒー』ってヤツをよ!
きゃー! 恥ずかしーー!
思わず独りで盛りあがってしまいそうになるのを必死に堪えながら、私もそっとコーヒーへ手を伸ばす。
お揃いの白いマグカップで飲む、朝のコーヒー。
だけど、私が憧れていたのはちょっと違う。
普通に毎朝食卓で飲むのがコーヒーっていうんじゃなくって、今日みたいなちょっと意味合いの違う朝に飲むコーヒーが憧れだったのよ!
好きな人とベッドで迎える、朝。
お互いちょっと照れながら、『おはよう』なんて言っちゃったりして。
そんでもって、腕枕してくれてた彼が少しダルそうに腕を上げて、それを見て少し申し訳ない気持ちがあったりして。
そうなのよ! これこそ、憧れの恋人たちの朝!
びば・マイドリーム!!
っくうー!
いつもはこんなふうにちっとも人に対して優しさがない綜も、珍しく私の望んでた彼氏像を見事にクリアしてくれたので、今日は朝から何も言うことはない。
そんでもって、憧れだった朝コーヒーもできたし!
鼻歌交じりに、ブラックコーヒーへミルクと砂糖をたっぷりと追加追加。
「お前、そんなに入れたらコーヒーの味が死ぬぞ」
「えー? 死なないよ。それに、私こうしないと飲めないもん」
「……なら、無理して飲まなきゃいいのに」
「もー、いいでしょ別に!」
まったくもって、人の気持ちがわかってないわね。綜ってば。
人がどれだけこういうシチュエーションを楽しみにしてたと思ってるのかしら。
……まぁいいわ。
今日だけは、私も綜に優しくできそうだし。
まだ温かいクロワッサンをひと口大にちぎって口元へ運ぶと、綜がカップとお皿を手に立ち上がった。
「え?」
軽く頭をつつかれて見上げると、何やら呆れたような顔。
このときの私は、まだ機嫌がよかった。
……そう。
この、綜の顔を見たまでの私は。
「音が違う」
「……はい?」
「だから。お前の鼻歌。メロディーラインも崩れてるし、音も違う」
「な……っ」
ぽかん、と開いた口のまま彼を見ていると、時間が経つにつれて徐々に彼が何を言ったのかがわかった。
……それは、何?
私が音痴だとでも言いたいのかしら。
え、てことは何?
私いま、喧嘩売られてる?
「ま、お前じゃ仕方ないか。昔から音楽センスなかったし」
「んなっ! 私はこれでも音楽の成績よかったわよ!」
「ほぅ。じゃあ、菩薩並みの教師だったんだろうな」
「違うし! ていうか、人がせっかく気分よく朝を楽しんでるのに、ぶち壊すことないじゃない!」
「別にぶち壊してないだろ? あくまで、真実を告げたまでだ」
「ッ……! それが、余計なお世話って言うの!」
「人の忠告を聞けない女は、かわいくないぞ」
「悪かったわね! どうせかわいくないわよ!」
ぶちっ。
そんな音とともに、持っていたクロワッサンが両手に割れた。
あーもう、なんでこんなにかわいくないわけ?
せっかく、人がこの朝を楽しもうと努力してたのに。
もー、知らない。
そうだ。きっと、そうだ。
綜には『物事を楽しむ』っていう気持ちがないんだ。
我輩の辞書にうんちゃらかんちゃらっていう、ナポレオンと一緒。
ふんぞり返ってると、最後の最後で足元すくわれて島流し食らうんだから!
……ああもう。
この煮えくり返った気持ち、誰かに聞いてもらわないとすっきりできないわ!
キッチンにお皿とカップを置いた彼の背中に思いっきり『いーだ』をして、仕方なくちぎれたクロワッサンを食べることにした。
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