「ねえ、綜」
 早速なので、試してみることにした。
 ……まぁ、早速って言っても彩ちゃんに相談に行ってから数日経っちゃってたんだけど。
 ここ数日、結構忙しかったんだよね。
 今度の週末に行われるコンサートの打ち合わせを兼ねて、ほぼほぼ横浜まで出ていたのだ。
 と言っても、私は綜に付いて回ってただけで、特に何かしたってワケじゃないんだけどね。
 やっとのんびりできている、休みの日のお昼どき。
 パスタをくるくるとフォークに絡めながら彼を見ると、同じようにパスタを食べながら――も、視線は明後日の方向。
「ねえってば。綜!」
「……なんだ?」
 コンコンとテーブルを叩いた音で、ようやく彼がこちらを向いた。
 ちらりと彼が見ていたほうを見ると、そこには海外のニュースの映像。
 ったく。
 人が話してるのに、ニュースのほうが……ってまぁ世界情勢は大事だけどさ。
 でも、たまには聞いてくれてもいいと思うわよ。
「あのね、私聞きたいこと――って、綜!?」
 ちょっと視線を彼からパスタに移していた隙に、綜はキッチンへと移動していた。
 ……むー、なんて素早いのかしら。
「なんだ? 俺は忙しい」
「えぇ!? や、ちょ、ちょっとだけ! ねえ、ちょっと聞いて!」
 迷惑そうな顔でキッチンを出て行こうとした彼のそばへ行き、腕を掴む。
 だって、こうでもしないとどこかに行っちゃいそうだったんだもん。
 ため息をついて私を見た綜へと身体ごとむきなおり、こほんと咳払いひとつ。
 ……ん。カッコいい。
 じ、じゃなくてっ!

「ねぇ。綜は私のこと好き……?」

 言いきった途端、どくんと鼓動が大きく鳴る。
 まっすぐに見つめられて出た言葉が、こんなにも影響を及ぼすなんて思わなかった。
 綜が口を開くまでの間、鼓動は強く打ち付けたまま。
 早く。
 ……早く、彼の答えが欲しかった。
 じゃなきゃ、答えを聞く前にこの雰囲気に押しつぶされてしまいそうだったから。
「……何を言い出すかと思えば。またそれか」
「だっ……て。しょうがないでしょ? 私、ちゃんと綜の気持ち聞いてないもん」
 返って来たのは、予想外の答えだった。
 そのためか、反応がうまく返せない。
「って、そうじゃなくて! 私が欲しいのはそんな答えじゃないの!」
「じゃあ、どういう答えが欲しいんだよ」
「え? いや、だから……」
 もちろん、決まってる。
 私が欲しい答えは、ただひとつ。
「……好きか嫌いかに決まってるじゃない」
 自然と上目遣いになる視線のまま綜を見ると、呆れているかのような顔をされ、ちくりと胸が痛む。
 え、聞いちゃいけないことだったの?
 それとも、そんな顔しちゃうほど迷惑なこと聞いた?
「お前、いつまでそんなことにこだわってるつもりだ」
「……え?」
 ため息をついた綜が再び私と視線を合わせたとき、雰囲気がまったく違っていた。
 唯一変わらないものと言えば、彼の声色くらいだ。
「直接、口で言わなきゃわからないのか?」
「……だ……って。だって、そうでしょ! いくら想われてたって、口で言ってくれなきゃわからないことはたくさんあるじゃない!」
 威圧感に、思わずひるみそうになる。
 綜の鋭い瞳は、嫌いじゃない。
 きれいだと思うし、凛として澄んでいるから。
 だけど、だからこそ……彼がこういう真面目な顔をすると、何も言えなくなってしまう。
 間違ったことを言っただろうか。
 気に障るようなことを言っただろうか。
 そんなことが浮かび、思わず喉が鳴った。
「っ……あ、ちょっ……! ね、どこ行くの?」
「どこでもいいだろ」
「え!? 待ってってば!」
 手近にあったジャケットを掴むと、綜が玄関へ足を向けた。
 途端、凍り付いていた時間が解けるように流れる。
 ……しかも、急速に。
「ねぇ、綜! 待ってってば!」
 振り返ることなく靴を履いた綜が、ドアへ手をかけた。
 そんな彼を何度も呼ぶものの、こちらを見ようともしない。
「綜ってば!!」
 ひときわ強く彼の名前を呼んだとき、ようやく彼は私を見た。
 ――とても冷ややかな眼差しで。
「っ……」
 ふいっという音がしたんじゃないだろうか。
 そう思える位だった。
 こちらを一瞥した彼は、何も言わずに背を向けて出て行った。
 あとに残ったのは、ドアの閉まる小さな音だけ。
「え……なんで……」
 先ほどまでとは違ってしまった風景に、思わず泣きそうになる。
 綜のあんな顔、久しぶりに見たんじゃないだろうか。
 怖い顔。
 ……絶対、呆れられた。
 この家で、初めて独りきりになった今。
 閉ざされた扉が、やけに冷たく大きく見えて、どうすることもできなかった。
 でも、理由がわからなかった。
 なんで? 私のこと好きか嫌いか聞いちゃいけなかったの?
 それとも、そんなに何度も聞いてた?
 しつこかった?
「っ……なんで……」
 彼が出て行ってしまった今、何を考えても『かもしれない』から出ない。
 それが切なくて、寂しくて、ぽつりと呟いた言葉は予想以上に大きかった。

 怒ったのかな。
 ……って、怒ってるよね。絶対。
 ソファの上で両膝を抱えて座っているこの格好は、どこからどう見ても拗ねてる子どものようにしか見えないかもしれない。
 いや、まぁ、事実拗ねてたりするんだけど。
 って、ちょっと違うか。
 よくわからないし、どうしたら正解だったのか見出せなくて、ある意味混乱。
 私は綜の気持ちが聞きたかっただけなのに、何もあんな露骨に嫌がらなくても……。
 ……ひょっとして、口に出せないような気持ちなのかしら。
 そう考えると、ものすごく不安になるんだけど。
「…………」
 隣に置いたままのスマフォには、着信もメッセージの受信もゼロ。
 時間はあれから随分経って、もうすっかり日も暮れてしまった。
 ……お腹空いたなぁ。
 視線が向かうのは、綜が出て行ったときから何ひとつ変わらないテーブルの上。
 ラップをしただけのお皿が、ぽつんと残っている。
 あのあと独りでごはんの続きを食べる気にもなれず、ぐるぐるとフォークにパスタを巻きつけてはやめ、巻きつけてはやめを繰り返してしまった。
 食べ物を粗末にしないという父親の教えで育った私がした、初めての行為。
 だけどもちろん、あとでちゃんと食べるつもり。
 綜が……帰ってきたら。
「夕飯どうするんだろ……」
 広い部屋で、ぽつんとつぶやいた自分の声は、いつもよりずっと小さく聞こえた。
 とりあえず、メッセージだけ送ってみよう。
 ……電話をして、あの綜の冷たい声を聞くのは今はちょっと勘弁してほしい。
 だって、怖いんだもん。
 えーと……『怒ってる?』じゃなくて。
 『夕飯、どうする?』
 ほかにもあれこれ打とうと思ったんだけど、元々こういう連絡が好きじゃない綜が相手だから、あっさり簡潔にしておく。
 届いたはずのメッセージをしばらく見てはいたものの、既読にはならなかった。
 ……返事、ちゃんと返ってくるかな。
 ふっと消えた液晶の明かりを見ながら、自然とため息が漏れた。

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