「……おかえり」
 ちょうど靴を脱いで上がるところだった綜に声をかけると、ゆっくり顔を上げた。
「ああ」
 たったひとこと。それだけ言って通り過ぎようとする彼の腕を、無意識に掴む。
 それでまた怪訝そうな顔をされたけれど、今さら引くこともできず、気付くと腕を掴んだまま進路を塞ぐように立っていた。
「どこ行ってたの?」
「いいだろ、別に」
「よくないってば! 私、ずっと待ってたんだよ?」
 淡々と喋る彼が、悔しかった。
 私は綜がいない間いろいろ考えて、心配してたのに。
 綜は、まるで私のことなんて考えたりしなかったって感じだ。
「じゃあ、出かければよかっただろ」
「……う。だって……車ないし」
 ぎゅっともう一方の手も彼へ伸ばすと、同時に視線が落ちる。
 すると、頭の上で小さく笑ったのが聞こえた。
「俺は、お前の足代わりか」
「っ! ちがっ……!」
「そういうことだろ? いい身分だな」
 いつものような冷笑。
 だけど、今日はそれがやけに目に残る。
 こんなセリフは、いつもの綜からもされるいつもと同じことに分類だってできる。
 でも、ヘコみすぎていたからか、ぐさりと予想以上に刺さってつらかった。
「違うのっ! 私も、行きたかった!」
 リビングまで行ってしまった綜のあとを追うと、ジャケットをソファに放って手にしていた荷物をテーブルに置いた。
「私、綜の付き人なんじゃないの?」
 あと1歩。
 踏み出せば彼のすぐそばにいける距離だけをあけて、立ち止まる。
 意識的にやったわけじゃない。
 だけど、見えない隔たりみたいなものがそこにあったように思えた。
「一緒に行っても、つまらないんだろ?」
「つまる!!」
 眉を寄せてはっきり叫ぶと、一瞬目を丸くしたかと思いきや、おかしそうに笑われた。
 ……何よその顔。
 馬鹿にされてる気がする。
 や、実際彼は多分馬鹿にしてるんだと思うけど。
「そんなにおかしい?」
「……お前、ひとりで留守番もできないのか?」
 う。
 そ……そう言われると、キツいんですけど。
 ってか、それじゃあまるで私が子どもみたいじゃない!
「……できるわよ」
「できてねぇだろ」
「できます!」
「じゃあ、俺がひとりで出かけようと構わないんじゃないのか?」
「そっ……それとコレとは別なの! せめて、どこに行くのか教えてくれたっていいじゃない」
 呟くと同時に、自然と俯いていた。
 私が1番悔しかった理由は、そこだ。
 綜が何も言わずに出て行ったことが、不安でしかなかった。
 たしかに、ちょっとしつこかったかなって反省もした。
 でも、もし綜があの行動をとった理由がほかにあったら、私にはわからない。
「……しつこく聞いて、ごめん」
 言葉が欲しかった。
 でも、綜とひとつになれたあの夜で、言葉はなくても綜の気持ちは十分伝わってはいた。
 だから……わかった、から。
 綜が私のことを、好きでも嫌いでもいい。
 私が彼を好きなことに変わりはないから。
 ……そりゃあ、そりゃあね?
 綜の言葉で、少しは何を考えてるか教えてくれたっていいのになとは思うよ?
 バチなんか、当たらないんだから。
「……お前はすぐに泣くな」
 呆れたように呟いた彼の足が、俯いたままの視界に入る。
 涙が落ちたのも見えて、自分でも情けなくて唇を噛んでいた。
「……の……よ……」
「何?」
 小さく聞きかえした彼の言葉に、顔がようやく上がった。
 と同時に、眉を寄せる。
「私が泣いてるのは、誰のせいよ! もー、馬鹿! 人がどれだけ心配したかわかってるの!? だいたいこの前、綜が『本音出せ』って言ったんじゃない! だから私っ……もぉ、好きな人の気持ち知りたいって思うのは、そんなにだめなの?」
 言っていたら、なんだかすごく腹が立ってきた。
 そうよ。
 こいつよ。
 この、人の気持ちなんて考えずにいたこの人間のせいよ!
 あーもー、腹が立つ!
 なんなのよーー!!
「なんで……っ……私が怒られなきゃなんないのよぉ……」
 ぐしっと不器用に手の甲で涙を拭うと、いつしかしゃくりを上げていたことに気付いた。
 子どもみたいだ、私。
 これじゃ、綜になんて言われても仕方がないのかもしれない。

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