……あの雑誌って……あれ?
 ひょっとして、控え室で私が読んだアレかしら。
「敵の情報、知りたかったんじゃないの?」
「余計な世話だな。そもそも、誰が敵だ。くだらない」
「違うの? 気に入らないタイプだと思うけど」
「ハナから相手にしてないヤツは、敵にならないだろう。馬鹿馬鹿しい」
 うわ。
 出たわね、綜のヤラシイ発言。
 っていうか、こういう人が『世界の中心は俺』とか言っちゃうのよ。
 でも、敵って……ひょっとして、あの特集組まれてた――。
「余裕ですね、芹沢綜さん」
 突然背後から聞こえた声で振り返ると、そこにはきちんとした正装をした男の人が立っていた。
 ……って、あれ?
 この人どこかで……。
「こうしてお会いするのは、初めてですよね」
「ええ」
 目の前の綜が振り返って、彼へ身体ごと向いた。
 口調が変わったってことは、スイッチ切り替えってことね。
 だけど、ミハエルさんに向けていたのとほぼ変わらない表情なのが少し意外だった。
「初めまして、東堂です。そして、ようこそ私のステージへ」
 今日のコンサートで指揮を務める、東堂郁武その人。
 ……だけど、なんか変なのよね。
 どこか、綜にも似たものを感じるのよ。
 なんか……あ、あれだ。
 笑顔がここにあるのに、心ここにあらずっていうか。
 なんかね、笑顔がいかにも作り笑顔って感じなのよね。
 それに、雑誌と違って印象が随分と違う。
 すごく意地悪な感じがするのよ。
 綜のフルネームを呼んだとき、いかにもわざとらしい感じがしたから。
 あ、いや、綜に比べればかわいいもんだと思うけど。
「今日の公演、楽しみにしてますよ」
「それはどうも」
「なんせ、かの天才芹沢綜……でしたかな? 羨ましいですね、前評判がよくて」
「前評判がいいのは、そちらでしょう? 多くの雑誌に取り上げられるたびに冠が変わってますね」
「そんなに私のことを読んでくださってるなんて、光栄だなぁ」
「失礼、褒め言葉ではありませんよ」
 にっこりと笑みを浮かべて綜が言った言葉は、あからさまな悪意が込められていた。
 瞬間、東堂さんの表情がピシリと強張る。
「冠が多いのは、それだけ注目度が高い証拠ですよ」
「ああ、なるほど。だから記事ごとに話している内容が違うんですね」
「っ……どういう意味ですかな」
「事実をお伝えしたまでですが」
 ちょっともう、そろそろやめてほしいんだけど。
 にこりと笑ってはいるけれど、綜の言葉はとてもじゃないけれど意地悪でしかない。
 私に向けるなら気心知れてるからいいものの、仕事で対面する人にぶつけるのは正直どうかと思うよ?
 ……何も、そんなにあからさまにしなくてもいいのに。
 それとも、何?
 綜ってばそんなにこの人のことが嫌いなのかしら。
 どういう因縁があるのか、さっぱりわからないけれど、こっちがヒヤヒヤするからやめてほしい。
「緊張しているんじゃないですか? 初めての地元公演とあっては」
「この程度の規模のオケは取るに足りませんので、ご心配なく。それより、芹沢さんこそご自分の心配をなさったほうがいいんじゃないですか?」
「……何か?」
「今日は、多くのマスコミが来てるんですよ。……無論、私を撮りにね。でも、そんな中どうしたってあなた方にも目が向く。そんなプレッシャーの中でトチらずに演奏するだけの技量が……まぁ、おありなんでしょうけれどね。なんせ、天才――」
「天才、ね。ずいぶんチャチな冠だ」
「なっ……」
「ああ、失礼。東堂さんにとっては大切なものでしたか?」
 鼻で笑った綜が、背を正す。
 ちらりと横顔を見てみると、案の定意地悪そうな顔で。
 ああもぉ、綜ってばほんとやめなさいって。
 対峙している東堂さんのこめかみに青筋が立っているように見えて、思わず綜の背中へ手を当てていた。
「そんな安っぽい言葉を遣われたことがないので、まあ、価値観の違いなんでしょうけれど。天才なんてありきたりの言葉で満足したことがないので、つい」
 さらりと言ってのけた綜は、そう言うともう一度笑った。
 そのとき、ミハエルさんを見てみると、それはそれは楽しそうに笑顔を見せていて。
 ひぇ……どういうこと。
 ていうか、そんな楽しそうにされると困るんですけど!
 だって、私は収束させたいし!
 どうするのよ、こんな不穏なところをスクープされたら!
 猫かぶり綜の一巻の終わりだってのに。
「ネームバリューでなく、ご自分の実力でオケを統べることができるようになってから、呼んでくださればいいのに。ミハエルはともかくとして、自分は一切妥協するつもりはないので」
「なっ……どういうことだ」
「どういうも何も。ひとつの舞台に、才人がそう何人もいたって仕方ないでしょう?」
 慌てて声を荒げた東堂さんに向かって、言い切る前に綜は再び背中を向けた。
 ……あー。
 あれはもう振り返る気、ゼロね。
 しかも、一生懸命東堂さんがまくし立ててるのに、聞いてないっぽいし。
 ……うーん。
 っていうか、綜ってこの世界では鼻つまみ者なんだと思ってたんだけど、意外とそうでもないのかもね。
 あ、いや、今思っただけなんだけどね。
 っていうか、ひいき目に見すぎかしら。
 ……まぁ、いいか。
 とりあえず、私も逃げよう。
 だって、いつまでもここにいるとこの東堂さんって人に絡まれそうなんだもん。
 めちゃめちゃ怒りのオーラが立ち上ってるし。
 ……ちょっとー、大丈夫なの? この人怒らせちゃって。
 だって、今日の指揮者なんでしょ?
「くっ……!」
 あー、ほらーもー!
 案の定振り返らない綜の背中を見たまま、東堂さんが思い切り怒りのオーラを出している。
 ……綜って、ほんっとに敵を作るタイプよね。
 まぁ、自業自得だからしょうがないんだけどさ。
 誰だってあんなふうに言われたら、怒らないわけがない。
 ただまあ、『ご自分の実力で』って綜があえて強調してたのがちょっと気になったけど……まぁいいか。
 とりあえず、とばっちり受ける前に逃げよーっと。
 数歩後ずさりしてから背中を向け、私もとっとと客席へと小走りで向かうことにした。


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