「うわぁー、すごいー!」
ふと思い返すのは、いつのことか。
今から数年前の、同じ時期。
大きな声で窓を見ると、隣家の屋根が真っ白になっていた。
こんな経験は、それまで暮らしていて初めてに近かったせいか、記憶に強く残っている。
たまに少し積もる程度のものはあったが、音を立てて踏みしめられるほど雪が積もった経験はしたことがなかった。
――そんなときだ。
ようやく学校が休みになって、久しぶりにのんびり寝ていたんだから、冬休みの初日ごろ。
……昨日寝たの遅いんだぞ。
眉を寄せて寝返りを打つと、また声が聞こえた。
「すご!! 雪だよ、雪! ねぇ、お父さん! 雪だるま作れるかな?」
無理だろ。
窓の外から聞こえる声に内心でツッコミを入れるも、ほどなくしてえらく大きな声が響いた。
ため息というには、大きすぎるその声。
恐らく、父親にも俺と同じようなことを言われたのだろう。
「つまんないー! せっかく、こんなに雪降ったのに!」
先ほどよりはずっと小さかったが、それでも部屋の中にいる俺にまで聞こえるんだから、デカさは相当だ。
……相変わらず、ガキはうるさいな。
だが、そのあとは先ほどまでとは打って変わって静かになった。
どうやら、ようやく諦めたようだ。
ったく。
だったら、もっと早く諦めればいいものを。
寝返りを打って目を閉じると、すぐに睡魔に包まれ始めた。
――が。
「そーーぉーーー!!!」
「っ……」
いきなり聞こえた、馬鹿デカい声。
と、同時に窓へと何かがぶつかる音。
あんなデカい声出して、こんなことを朝っぱらからするようなヤツは、知り合いにひとりしかいない。
さっきからずっと、デカい声を出してる優菜。
……しかし、俺は放っておくぞ。
まだ眠いんだ。
それに、どうせロクでもない用事を言いつけるのはわかっているからな。
「綜ってば! 起きなよー! っていうか、起きてーー!!」
「優菜元気だなー」
「あ、宗ちゃんおはよー! ねえねえ、すごくない!? この雪、すっごいよね!」
相変わらず、バンバンと窓に何かがぶつかってきていたが、どうやら宗が対応したらしく音がやんだ。
……あー、鬱陶しい。
というかそもそも、なんでアイツは宗だけ『ちゃん』付けなのに、俺を呼び捨てにするんだ。
同じ双子なのに、差がありすぎだろ。
「……アイツ馬鹿だろ」
さすがに割れないとは思うが、顔だけでベランダの窓を見ると、いくつもの白い跡があった。
瞳を細めたまま窓を見ていたら、俺の考えが正しかったことを証明するかの如く雪球が窓へぶつかる。
「ちょっとー! 起きなさいよー!! もう、10時だよー!?」
だからどうした。
と思うんだが、アイツに俺と同じ時間の概念をぶつけてもしょうがないのはわかっている。
だから、あえて相手にしない。
だいたい、このクソ寒い中わざわざ外に出るヤツの気が知れん。
俺はもう中3だぞ?
いつまでも雪ごときで、はしゃいでるような優菜とは違うんだよ。
たかが、雪。
あそこまで盛り上がれる何かがあるとは思えない対象でしかない。
……ん?
そういや、急に静かになったな。
先ほどまで続いていた叫び声と雪球がない時間が、これほど静かだとは思わなかった。
つーか、近所迷惑だろ。あの声。
欠伸をしてから布団をかぶりなおし、窓へ背を向けて再び目を閉じる。
やれやれ。
これで、ようやく眠ることができる。
――と思ったのも、束の間だった。
本当に。いや、かなり。
「ちょっと、綜! 起きなさいってば!」
「ッな……!?」
バンっとドアが勢いよく開いたかと思いきや、いきなりそんな声とともに優菜が飛び込んできた。
……ちょっと待て!
「お前、何してんだよ」
「何って、見ればわかるでしょ! 起こしに来たんじゃない」
「はぁ?」
さも当然という顔でベッドの横まで来ると、両手を腰に当てて俺を見下ろした。
白のダッフルコートを着込んで、ジーンズを穿いているこの格好。
そして、少し赤くなっているその頬が、間違いなく今まで外で馬鹿騒ぎしていたのが優菜だというのを証明していた。
「ほら、起きてよー。ねぇ、雪だるま作ろう!」
「馬鹿かお前。なんで俺がそんなことしなきゃなんねーんだよ」
「あ。馬鹿って言うほうが馬鹿なんだよ?」
「そうやって言い返すのは、子どもの証なんだよ」
「何よ!」
「なんだよ」
仕方なく上半身だけを起こして優菜を睨むと、それはそれは悔しそうな顔を見せて俯いてから――いつもと違って泣かずに、にまっと笑みを浮かべた。
てっきりそのまま泣くものだと思っていただけに、つい瞳が丸くなる。
……なんでそんな嬉しそうなんだよ。
あまりにもこちらの予想と違う態度を取られ、面食らうしかない。
「今日は、クリスマスだから許してあげる。でも、3回までだからね」
「……別に許してもらおうとか思ってない」
「そう言わないの! 仏像の顔はなんちゃらって言うでしょ!」
「言わねぇよ」
「いーから! ほら! 起きて!!」
「おい!」
ぐいっと手を引っ張られ、身体がベッドから引きずり出される。
……さむ!
うわ、信じらんねぇ。
こんな日に、誰が好きこのんで外に出ようと思うんだ?
目の前の防寒具だらけの娘とは、デキが違うんだよ俺は。
「あっ! ちょ、綜っ!」
「ひとりでやればいいだろ。つーか、人のことを呼び捨てすんな。俺はお前より年上なんだぞ」
「知ってるもん。でも、昔からそう呼んでるんだからしょうがないでしょ?」
「お前、来年から中学なんだろ? もう少し礼儀学んどかないと、痛い目に遭うからな」
「遭わないってば、そんな。世の中、綜みたいな人だらけだと思ったら大間違いだよ?」
ああ言えば、こう言う。
まさに、その字の如し。
あー……鬱陶しい。
いっこうに人の手を離そうとしない優菜を見ていても、出てくるのはため息ばかり。
だいたい、どうして冬休み初日に叩き起こされなきゃならないんだ。
おかしいだろ? どう考えたって。
「ねーってば! だから、起きてよ! 早く!」
先ほどから続いている、優菜の行動。
俺の手を引いて起こしたいらしいが、非力すぎて話にはならない。
何度目かの欠伸をしてから視線を逸らすと、暫くしてあれこれ文句を言っていた優菜が静かになった。
諦めたか、ようやく。
だから、最初からそうすればいいものを。
ため息をついてからそちらを見ると、俯いていた優菜が顔を上げた。
「うわ」
「なんでそんなふうにしか言えないのよ、馬鹿ぁ! 一緒に遊びたかったのに! もういい! 綜なんて知らない!」
バタバタと大きな音を立てて部屋から廊下に出ると、優菜は階段を下りていった。
そんな大きな音とともに聞こえるのは、もちろん――泣いている声。
……なんだよ、俺が悪いのか?
つーか、絶対人の部屋に無断で入ってきて叩き起こそうとする、優菜が悪い。
当然だろ? それは。
きっと、誰だってそう思うはずだ。
…………だが。
「……馬鹿が」
何も、泣かなくてもいいだろ。
あれじゃまるで、俺が泣かせたみたいじゃないか。
俺は、イチイチ優菜の我侭に付き合ってるほどの暇人でもない。
そして、雪ごときでテンション上げられるほどの子どもでもない。
だが……今さら改めて眠ろうという気になるはずもなく。
「……ったく」
大きくため息をついてベッドから降りると、素足に床の冷たさが直に来た。
……何やってんだか。
窓についていた雪が部屋の温度で溶けて滑り落ちるのを見ながら、再び小さなため息が漏れた。
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