「音楽は、そういうものだと思いますよ」
にこやかに、そして静かに。
あくまでも丁寧な口調で、綜は呟いた。
高そうなソファと、高そうなテーブル。
そして、それを囲んでいる『あ、この人見たことある』って思う人たち。
私にとっては、テレビの向こうで生きている人。
……だけど、それは綜だって同じなんだ。
テレビや雑誌でしか彼を知らない人だって、たくさんいるんだから。
あの甘い笑顔と声が『ホンモノ』だと信じて疑わない人たちが。
「では、ズバリ! 芹沢さんにとって『この人がライバル』という方は?」
「はは。ズバリ聞いてきますね」
「いやぁ、すみません」
幾つもの照明が向けられた先にある、笑い声と楽しそうな雰囲気。
……いいなぁ。
危うく、そんな様子を指をくわえて見てしまいそうになるから危険だ。
そんなことをしたが最後、きっと私は本気でお払い箱決定。
きっぱりと言い渡されていない今だから、それだけはなんとしても避けたい。
ここは、たくさんのスタッフの人たちと機材に囲まれている部屋。
……部屋っていうより、もっとずっと広いんだけど。
今日は、深夜枠に放送が決まっている番組の収録のため、テレビ局を訪れていた。
これまでも別に、収録とか雑誌のインタビューがなかったわけじゃない。
だけど、今はものすごく複雑な気分だ。
……だって、あの記事を嫌でも思い出すから。
「…………」
なんで、綜はあんなふうに笑っていられるんだろう。
どうして、何事もなかったかのようにこなせるんだろう。
これが、『仕事』だから?
……それとも、あのことが本当だから……?
だから、私の反応なんてまったく気にもならずに――。
「……あ……」
「どうしたの? そんな顔をして」
ぽん、と柔らかく頭に置かれた手のひら。
反射的に首を後ろへ反らすと、声と同じ柔らかい表情を浮かべたミハエルさんが立っていた。
今日は、コンサートのときと違って少しだけラフな格好。
とはいえ、やっぱり相変わらず高そうな服といい香りを一緒に纏っているけど。
「……えっと……その」
「もしかして、週刊誌の記事?」
「え。ミハエルさんも知ってるんですか?」
「うん、まぁ。ひと通りメディアをチェックする人間がそばにいるから」
少しだけ意味ありげに笑った彼を見て、思い出した。
そういえば、前回綜のインタビュー記事が載っている雑誌をくれたのも、彼だったんだっけ。
あのときは確か――。
「え?」
一瞬、ステージだけでなく会場全体がどよめき立ち、当然のように視線がそちらへ向いた。
そこには、相変わらず嘘臭さ120%の笑みを浮かべた綜と――何やら、ものすごく驚いたように瞳を丸くしている面々。
……なんだろ。
「? ミハエルさん?」
「綜らしいね」
「そう……なんですか?」
「うん」
くすくすという声で彼を見ると、私と違ってあちらの会話が聞えていたかのように彼が笑っていた。
……むむ。
何もわかってないのは、ひょっとして私だけ?
それはそれで、取り残されたような気分になると同時にちょっぴり切なくなる。
っていうか、切ない。
「あの、ミハエルさん……?」
「うん?」
「今、何か……綜が言ったんですか?」
「ああ、聞いてなかった?」
こくこく。
それはそれはしっかりとうなずいて真剣な目を見せると、少しだけおかしそうに笑った。
わずかに、キレイな瞳を細めながら。
「綜が、ライバルは誰かって聞かれてたのは知ってるよね?」
「あ、はい。そういえばそんな話が……」
「それに対して彼は『昨日までの自分自身』がライバルだって答えたんだよ」
「……うわ……キザ……」
「はは。そうだね」
一瞬だけ、時間が止まった気がした。
だけど、私よりも先に周りがしっかりと時間を取り戻す。
「それは……素晴らしいですね」
「すてきですね」
まるで『こりゃたまげた』みたいな顔をしながらも、どこかで『この人カッコイイ』って顔をしているアナウンサーらしきお姉さん。
そう。いわゆる、『女子アナ』。
そんな彼女の目は、明らかに先ほどまでの綜を見る目とは違っていた。
「昨日できたことは、今日できて当然でしょう?」
「え? あ、そ……うですね。はい」
「過去の自分を越えるためには、それしかない」
「……なるほどぉ……」
ほぅ、とため息をついた女子アナの顔は、ほんの少しだけ赤くなっていて。
……ああ、ダメ。
あれって、綜に惚れちゃった顔よ。
うーうーうー。
ただでさえ、今は厄介なことになってるって言うのに!
お願いだから、これ以上問題増やさないでよ!
にっこりと笑った綜につられて、何度も何度もうなずく彼女。
そんな彼女の雰囲気と表情をしっかりと感じ受けながら、なおも笑みを絶やさない綜。
……そして、そんなふたりをばっちりとやむことなく映している数台のカメラ。
ああ。
これって、きっと編集されることなく放送されるんだろうな。
ってことは、こんな綜の笑顔を見て『カッコイイ』なんて勘違いしちゃう人が出てくるんだろうな。
……かわいそうに。
本当はこんな人じゃないのに。
まさに『悪魔の笑み』を絶やさず浮かべているような――いや。
むしろ、笑ったりすることすら皆無なのに。
……やっぱり、メディアの魔力ってすごいのかもしれない。
『ニセモノ』だろうとなんだろうと、十分に人を動かしたり魅了したりできるんだもん。
「ですから、尊敬する人物というのもいないんですよ」
「えっ、そうなんですか?」
「ええ」
足を組み替えてから深く椅子に座り直し、ほんの少しだけ上から物を見るように顎を上げる。
……出た。
これぞ、『秘儀・口説き落とし』の術よ。
この状態でわずかに首をかしげながら見つめられたが最後、相手は一発で恋に落ちるという大技!
…………はぁああ。
お願いだからこれ以上、厄介ごとを増やさないで……。
無意識の内に女を堕とす綜センセの尻拭いは、いったい誰がやると思ってるんだろう。
先が思いやられるとは、まさにこのことだ。
「特定の人物に尊敬の念を抱けば、その人物を超えることができないでしょう?」
「え……」
「だから、尊敬する人物はいないほうが、人間大きくなれるんですよ」
「……なるほど」
「それに――自分はどんなときでも『される』側の立場であろうと思っているので」
にっこり。
そう音が聞こえるほど鮮やかに言ってのけた瞬間、どきゅーんと音でも聞えそうな勢いで女子アナが両手で口を覆った。
のっくだうん。
……ああ、アレはもうダメだわ。
もう、彼女はきっと芹沢マジックから抜け出せない。
隣に座っている司会者の男性も、ほんのり頬が色づいているような……ぎゃあ。
それは待って! ちょっと待って!
……ま、まぁ、何?
確かに気持ちはわからないでもないけどね?
でも、綜はどっちかって言うと『漢』とか『兄貴』とかって言葉からは1番縁遠い人だと思うんだけど。
我に返ったかのように、ごほんと咳払いした司会者の人を見つめながら、それなりに大きなため息が漏れた。
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