――そして、話は現在まで戻る。
「……はぁ」
べろんべろんになったソフトクリームは、もう見るも無残な姿になっていた。
あーあ。
産地直送牧場アイスクリーム、ひとつ380円。
それが今、無駄になった。
……いやまぁ、食べようと思えば食べれるだろうけど。
でもさすがに、ここまで液状化したモノを口にするだけの勇気はない。
「どうした? 元気がないな」
「……出たわね人攫い」
地面に映っていた私の影を覆うかのごとく現れた、黒い大きな影。
それで顔を上げると、自然に嫌そうな顔つきになった。
……ああ。
つくづく私ってば正直な人間だと思う。
「人攫いとはまた……随分嫌われたものだな」
「ったり前でしょうが! 帰してよ! 私を家まで! ちゃんと!!」
どっかりと隣に座った彼は、いつもと違ってぴしっとしたスーツもタキシードも当然身に着けてなかった。
だって今日は、遊園地で遊ぶにはもってこいのイイ天気なんだから。
そんな格好でいたら、それこそ浮きまくり。
ヘタしたら、妙な噂を嗅ぎつけたライターがカメラ片手に現れるわよ。
「人聞きが悪いなぁ、君も。ちゃんと家へは帰っているだろう?」
「家に帰っていたって、始終アンタと一緒にいたら自分の時間がないでしょうが!」
――そう。
あの件があってからというモノ、ことあるごとに彼は私の目の前に現れていた。
……1度、コンサートホールのトイレから出たところを待ち伏せされてて、あれはさすがにもう1発殴っておいたけど。
そんなわけで、私はこの数日間まったく自由がない状況下にいる。
っていうか、綜とも……まともに話せていない。
どんな理由があるのかはわからないけど、まったく、綜と家で会うことがないのだ。
家に帰っても綜はいなくて、逆に私が出かけているときだけ綜が家にいる、みたいな。
まさに、すれ違いの日々。
裏で、東堂さんが手を回しているのかもしれない。
でも…………もし。
もしも、あの――女優さんと会っていたとしたら?
私がそばにいないのをいいことに、今ごろ……ふ、深い深い関係になってたりしたら……?
「っ……」
そう考えただけで、心底不安でたまらなくなる。
どんなことよりも怖くなる。
……だって。
お前なんかいらない。
まるでそんな無言の圧力をかけられているような気がして、いてもたってもいられなかった。
……しかも、そこにこの仕打ち。
「っく……! これは、拉致よ拉致! 完璧な犯罪行為!!」
「ははは。相変わらず元気だなぁ」
「元気だなぁじゃないわよ、馬鹿!!」
あっけらかんと笑う彼に、再び拳が生まれる。
腹立つ……!
本気で、どうにかしてやろうかしら。
……っていうか、その商売道具であろう指の1本や2本へし折って……。
「いやぁ、しかし本当に楽しいなぁ」
「ちっとも楽しくないんですけど」
「そうか。それじゃ、次はメリーゴーランドに乗ろう。あれは楽しいぞー」
「人の話を聞きなさいってば!」
『そうか』じゃないわよ、『そうか』じゃ!
そんな笑顔で流さないでくれる!?
それに!
だいたい、今どきポロシャツにセーターを肩からかけてるなんて、その時点でありえないんだけど!!
時代錯誤も甚だしいわね。
……っく。
その真っ白いパンツとスニーカーも眩しすぎなのよ!
ああもう!
アンタは芸人か!!
「それじゃ、行こうか」
「ちょっ……! ちょっと待って!」
「ん? どうした?」
「……あのねぇ。忘れてるみたいだけど! 私、これでも一応綜と付き合ってるんだけど!」
わかってるの!? と続けながら彼を仁王立ちで睨んだ瞬間、それはそれは驚いたかのように彼が瞳を丸くした。
……ふ。
どうよ。っていうか、何?
もしかしてこの人、そんなことすら知らなかったわけ?
きょとんというよりは『え?』みたいな顔して固まった彼に、つい腰に手を当てて胸を張ってみる。
「まったく……これだから困るのよね。私、これでも綜のれっきとした『彼女』なんだから!」
さっきまでとは、形勢がちょっと違う。
綜のことを話に出して以来、少なくとも私が優位に立っている……と思う。多分。
だから、さらにここでもうひと押しくらいしておくことにした。
だって、そうすればあっさりと『ごめんなさい。許してください』とか言って、私を解放してくれそうな気がしたんだもん。
「それにね? 私たち、これでも――」
「……なんだ。いきなり何を言うのかと思えば……」
「は?」
「芹沢に恋人がいたなど、これまで一度も聞いたことはない」
「……え……?」
眉を寄せた私に、彼はおかしそうな顔で高らかに笑った。
……あ、れ?
優位に立ったはずの私が、いきなりどん底へと突き落とされたような気になってくる。
気持ちがしょげる。
……ううん。
それ以前に、まず……ありえないことを今、聞かされた気がするのは……事実なんだろうか。
「ははは。そもそも、佐伯優菜。君は付き人だろう? 何を勘違いしているんだ」
「ちょっ……ちがっ! 違う! だって……っ……だって、私は――」
「それじゃあ、芹沢の恋人だと証明でもできるのかね?」
途端。
彼は、それまでとまったく違う顔で私をまっすぐに見つめた。
「っ……それは……」
「それは?」
なんだろう、この人。
まるで私が困っているのを見透かしているかのように、ずいっと顔を近づけて、ほんの少しだけ上からものを見る仕草をした。
……感じ悪い。
でも、私だって負けないんだから!
だってだって、私はこれまでも、何度も何度も――。
「……き、キス……したわよっ」
ちょっぴり赤くなりそうになる頬へ手を当てながら、眉を寄せてしっかりと抗議する。
だけど彼はくすくす笑い始め、首を横に緩く振った。
「っ……あのねぇ! これでも私っ! 綜とは、『大人の関係』だってあるんだからね!?」
「それは証明にならないな」
「なっ……!」
「面と向かって、『愛してる』と言われたことがあろうとも、それは証明と呼ぶには足りなすぎると思うがね」
『まるで茶番じゃないか』と言ってまたおかしそうに笑われ、腹が立つと同時に頬が紅潮する。
……なんか、悔しい。
別に、私自身はなんて言われようと、痛くも痒くもないけれど。
…………でも。
でも、綜とのことを馬鹿にされるのは、すごくすごく嫌だ。
私だけじゃなくて、綜のことまでけなされてる気になる。
安く見られてる気がする。
そんなんじゃないのに。
綜がどれだけすごいか、どれだけ確かな人か、何も何もわかってないくせに……!
「ちょっと待ってよ!! だって私は、現に綜から指輪を――」
「婚約をしているというのであれば話は別だが――見たところ、そのような形跡もないようだしね」
「っ……」
証拠。
そう言われてまず思いついたのが、唯一、綜の存在を示している『物的証拠』だった。
それなのに、かざそうと手を動かした途端に、まるで嘲るような視線で彼が見つめる。
だから反射的に、そこを隠す。
……指輪を『右手にしてても何も効力はない』って昔誰かに言われたことを思い出しての、自然な自己防衛だったんだろう。
「…………」
でも……私ね?
そういう問題じゃないと思うの。
大切なのは、お互いの気持ちでしょ?
この指輪だって、綜が私にくれたとってもとっても大切なもので。
綜が私のために、私を想って、そして……私にくれたものなんだもん。
目には見えないけれど、綜の気持ちがたくさん詰まってる。
だから、『効力がない』とかって簡単に決められることじゃないし――誰かに、勝手に価値を決められる筋合いもない。
「ちょっと待ってよ!」
気付くと、抗議するために声をあげていた。
だって、このまま黙ってるなんて1番私らしくないんだもん!!
「そんなのって、ないじゃない! だって私、綜に『愛してる』って……ッ」
「自分ひとりがそう思ってるんじゃないのか?」
「ッ……」
「佐伯優菜。お前は本当に、芹沢に愛されていると言えるのか?」
彼は、私に何を刷り込ませようとしているんだろう。
まっすぐに、ただただ冷たい言葉と同じ温度の視線を向ける。
だけど、彼の冷たさは綜のモノと違っていた。
綜は、確かにいつだって冷たくて、我侭で、優しさの欠片も持ち合わせてないようなものしか、私に与えてくれない。
……だけど。
だけど、それでもやっぱり特別で。
彼は、ただ冷たいだけじゃなかった。
いつだって、そう。
散々綜を困らせたときも、問い詰めたときも、そしてこの指輪のときもそう。
最後には必ず、彼なりの優しさがあった。
まるで、パンドラの箱でいう『ひと握りの希望』のように。
「……あなたに何がわかるの……」
きゅ、と握った両手のひらに、痛いくらい爪が刺さる。
「何も知らないくせに。……私と……私と綜のこと、何も知らないクセに……!」
「佐伯優菜……?」
ほんの少しだけ、目の前の彼の表情が揺らいだ。
……今さら何よ。
謝ってくれるつもりでもあるの?
でも、悪いけど今さらどうこうしてもらったって、あなたに対する評価が覆ることなんてないんだから。
絶対に。
……絶対に、あなたが綜を越えることなんてないんだから。
「知ったような顔して、口利いて……ッ……わかったようなこと言わないで!!」
ばっと手を振り、彼を遠ざけるように精一杯のアピールを施す。
誰に言われようと、構わない。
私は彼が好きだから。
たとえどれほど傷つくようなことを言われても、遠くへ追いやられるような言葉をぶつけられても、それでもやっぱり好きなことにかわりないから。
綜じゃなきゃ、ダメなの。
綜だから、そばにいたいって思えるの。
……誰かに『やめておけ』って言われても、首を縦に振ることはできない。
だって、自分の人生なんだよ?
一度しかないんだよ?
『こうだ』って決めたら、自分で自分の背中を押しながら突き進んでいくしかないじゃない。
後悔したくないから。
絶対に、『もし』なんて言葉を遣ったりしたくないから。
「っ……佐伯優菜!?」
「っるさい馬鹿!! いちいち人のことフルネームで呼ばないで!!」
だっ、とその場から離れるように地を蹴り、ポケットにしまっていたスマフォを握り締める。
振り返りながら『あっかんべ』をしてやると、こちらに手を伸ばしたままの彼が、愕然とした表情で口をあんぐりと開けていた。
……あぁ、スッキリした。
最後の最後に、ようやく言ってやることができた。
ずっと、ずーーーっと気になってたのよ。そこ!
ミハエルさんみたいなイケメンで優しい人に呼ばれるならともかく、あの人に気安く『優菜』とか呼ばれるのも嫌だけれど、ことあるごとにフルネームで言われるのも、癇に障る。
いつ言おうかと悩んでいたけど、これでスッキリしたわ。いろんな意味で。
きっと、これから先も仕事関係で彼と会うことがあるだろう。
……でも、今後二度と声なんてかけてやらないんだから。
ていうか、顔だってまともに見てもやらないんだから!
「大っ嫌い!!」
50メートル位離れた場所でもう1度振り返ってから、舌を見せて『いーだ!』と目を細める。
もちろん、立ち尽くしたまま追いかけてくる気力すらなさげな彼に、めちゃめちゃばっちりと聞える声量で。
|