「……お前、料理できるようになったんだな」
「そりゃあね」
 卸し立ての食器に盛り付けた料理を運ぶと、珍しく感心したように綜が呟いた。
「私だってもう21だよ? ひとり暮らししてたことだってあるんだし」
「お前が?」
「……何よ。なんか、傷つくわね」
「日本はよっぽど平和なんだな。お前みたいのがひとりで生活できるなんて」
「うるさいなぁ、もーっ!」
 相変わらず、素直に『そうか』と言わないのが憎たらしい。
 憎まれっ子世にはばかるって、本当ね。
 綜だったら、あのヴァイオリンと同じくらい長生きできるんじゃないの?
「ねぇ。どーなの?」
 文句を言わずに料理をつついている綜を見て、ついワクワクする。
 綜が私の料理を食べてどんな感想を言ってくれるのか、結構楽しみだったりして。
「まぁ、普通だな」
「……普通って何よ」
「だから、普通に食えるレベルってことだ」
「失礼ね! だいたい、作った人間に対して文句言わずに食べるのが食事のマナーってもんでしょ!?」
「別に文句は言ってないだろ」
「……う」
 そ、それはまぁ確かにそうだけど。
 でもさぁ、普通は自分の彼女が一生懸命作った料理に対して、お世辞でもいいから『おいしい』とか言ってくれてもいいと思わない?
 私は、少なくともそう思う。
 ちょっとくらい言ってくれたって、罰なんか当たらないわよ。
 なんか、こー……張り合いがなくなっちゃうじゃない。
「……はー」
 はたして、初日からこんな調子で、私やっていけるのかしら。
 まぁ、文句言わずに食べてくれるのは、そりゃあ幸せだとは思うわよ?
 ……でもねぇ。
「おいしくないの?」
「だから、普通だと言ったろ」
「……つまんない」
「は? 何がだ」
「綜の反応が」
「別に面白さを求める場面でもないだろ」
「面白いほうがいいの!」
 あ、また呆れた。
 口にはしなかったけど、無言でため息をつくのを見て、今何を考えてるかくらいはわかるようになった。
 このたった数日で。
 ……くぅー。
 ホントに私のことどう思ってんのかしら。綜ってば。
 やっぱり、単なる召使いとしか見てくれてないんじゃないの?
 ふつふつと湧き上がる疑問を内に秘めながら食べるごはんは、あんまりおいしくない。
「……ん?」
「飯は?」
「え? あるけど?」
「……あるけど、じゃないだろ」
「く……わかったわよ。もー! よそってくればいいんでしょっ!」
 おかわりだったら、そう言えばいいじゃない。
 口があるでしょうが、あなたには!
 そんなねぇ、無言でお茶碗差し出されたって困るんだから。
 もうちょっとコミュニケーションを図ろうっていう気はないの?
 温かい湯気の立つご飯を盛ってリビングに戻り、彼に渡してやる。
 相変わらず、『ありがとう』のひとことも言えないの? あーたさまは。
「……んだよ」
「あ り が と、は?」
「何を言ってるんだ、お前は。当然の好意に礼を求めるのか?」
「っ……くぅー……。かわいくないっ」
「なんだ?」
「別にっ!」
 受け取ろうとしたお茶碗を離さずにがんばってみたけど、やっぱりダメだった。
 ああもう、ダメよ優菜。
 こんなことくらいで怒ったら。
 あなたはもう、立派な大人なんだから。
 イライラを身体から放出するようにゆっくりと大きく息をついて、私も食事に戻る。
 ……胃に穴が開きそう。
 ああ……今度薬局で胃薬買ってこよう。
 生まれて初めて、胃薬に頼ろうという気がちょこっと生まれた瞬間だった。

「綜ー、お風呂沸いたよー」
 洗面所からリビングに声をかけると、小さく返事が返ってきた。
 ……ああ、なんかこう、このふとした瞬間ににやけるのがたまらないんですけど。
 綜と一緒に暮らしてる自分は、夢じゃないんだ。
 そんでもってこう、新しい場所ってときめきがあっていいわよね。
 お風呂だけじゃなくて、キッチンもリビングも、もう全部の部屋がそうなんだけど。
 新雪を踏むのが楽しいっていうのも、それと一緒なのかもしれない。
 ……そういえば、小さいころの綜は、私と同じように新雪の場所を踏んで歩いてたなぁ。
 でも、彼の場合は無邪気とか純粋というよりかは、もっとどす黒い何かを感じるのはなぜだろう。
 こう……誰も手をつけてない場所を独り占めしたいっていうか、自分のモノにしたいっていうか……。
 あー、なるほど。
 それで私も自然な形として、初日の1番風呂を彼に譲ったんだわ。
 ……納得。
 って、ひとりでやってる場合じゃなかった。
「っわ!?」
「……何してんだ、お前は」
「み……見てた?」
「見た」
「……その……ちょっと……」
「なんでもいいから、そこをどけ」
「言われなくてもどくわよっ!」
 洗面所のドアにもたれるようにしていた綜の顔は、いかにも馬鹿にしてるっていうか……ううん、そんなモンじゃない。
 むしろ『憐れみ』を感じた。
 ……くそぅ。
 なんか、悔しいわね。
 そりゃあ、洗面所でひとり百面相にも似たことをやっていた私も悪いとは思うけど。
 だからって、気配殺して来なくてもいいじゃないっ。
 洗面所のドアを閉めてからリビングに向かうと、独りでにため息が漏れた。
 付けっ放しのテレビは、相変わらずニュースを映している。
 ……この時間、ドラマやってたよね。
 ソファの偉そうな主がいなくなったので、占領しつつチャンネルを変えることにした。

「……あ。出た?」
「出たからいるんだろ」
「それもそっか」
 ドラマの途中でふとキッチンを見ると、綜がグラス片手にこちらを見ていた。
 じゃあ、私ももらおうっと。
 ソファに歩いてきた綜と入れ替わるように立ち上がり、洗面所へ。
 しかしまー、綜ってば相変わらずシャツ好きよね。
 何も、パジャマ代わりにすることはないと思うけど。
 ……だいたい、そのくしゃくしゃになったシャツをアイロンするのは誰だと思ってるの?
 いい気なもんよねー。
 閉じられていた洗面所のドアを開けると、すぐに違う空気が顔に当たった。
 むっとする熱気の残る、浴室。
 それと一緒に残っている、シャンプーの匂い。
 ……なんか、綜っぽくないのよねー、これ。
 まぁ、選んだのは私だからしょうがないと思うけど。
 服を脱いでから浴室に入り、頭からシャワーをかぶってまず髪を洗う。
 「んー……」
 ……それにしても、お風呂か……。
 えーとぉ。
 一応、私たちって付き合ってるのよね?
 決して、召使いとご主人様じゃないわよね?
 ……となるとやっぱりその……今日は、記念すべき日になるのかしら。
 とか考えて、思わず焦る。
 いやいやいや、ちょっと待って。
 でも、有りえなくはないわよね?
 い、一応は……彼女なんだし?
 …………。
 でもね。
 いい? 優菜。
 よーく考えて御覧なさい。
 あなたこの1週間と3日の間、綜とふたりきりになって抱きしめられたりとか、キスされたりとかした?
 してないじゃない!!
 だから、彩ちゃんに相談しに行ったほどなんだから。
 ……あーもぉ。
 ひとりで盛り上がって、損した。
 そうだよね。
 綜が、夜になったからって豹変するワケないんだ。
 ……はぁ。
 淡い期待を抱いた自分が、愚かでものすごく恥ずかしかった。
 とほほ。ちょっぴり憧れてたんだけどなぁ。
 大好きな人との、同棲ってヤツ。
 しかも、今日は記念すべき第1日目なのに。
「……まあ、いいか」
 うん、きっとこれから変わっていくのよこの関係も!
 笑顔でバイバイできる日が来る!
 それまでがんばれ、私。
 ……ってなんか、自分で自分を励ますのってものすごく切ないんだけど。
 髪の水気を軽く絞ってから、自然にため息が漏れた。

 夜。
 夜になれば、人は眠る生き物。
 ――というわけで、例に漏れることなく私も眠ろうと寝室に向かっていた。
 ……なんだけど……。
 おっきいベッドには、すでに先客。
 そりゃそうだ。
 だって、ベッドふたつも買ってないもん。
 でも……さぁ?
 やっぱりこう、どきどきするじゃない?
 好きな人が横に寝てて、しかも手を伸ばせばすぐに届いちゃう距離で。
 ……うん。
 ひょっとしたら、ひょっとするかもしれない。
 ていうか、もしかしたら……もしかしちゃう!?
 ……うわ、ダメだ。
 顔が笑っちゃう。
 こんなトコ綜に見られたら、それこそ馬鹿にされるに決まってる。
 ぺちぺちと軽く頬を叩いてから気合を入れなおし、深呼吸してから私もベッドへそーっと入ることにした。

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