「……もー、ヤダ」
そんな言葉が漏れたのは、綜と暮らし始めて3日ばかり経ったときのことだ。
今日は華の金曜日。
普通に働いている人たちは、きっと心踊る日なんだと思う。
だけど。
ふっつーに綜の身の回りのことをこなす召使いと化している私には、まったくもって楽しいわけなんてない。
だってさぁ。
今日までの3日間、綜に抱きしめてもらったことも、キスされたこともなければ、好きだって言われたこともないんだよ?
夜だって相変わらず一緒に寝てるのに、まったく何もないし。
ずぅーっと1日中一緒にいるのに、これといって何も変化なし。
なんなの?
私のこと、ホントにどー思ってんのよ、あの人。
相変わらず別室から響いてくるヴァイオリンの音色が、少し忌々しい。
「………………」
ぶーたれたままソファにもたれ、スマフォを取り出す。
こうなったら、もう愚痴を聞いてもらうしかない。
思い立ったら、即実行。
目当ての人を履歴から探し出して、すぐに発信。
すると、ほどなくしていつも通りの声が聞こえた。
「お願いがあるの」
いきなり何を言うのかと思われただろう。
でも、もう我慢の限界。
仏の顔も三度までって言うでしょ?
3日我慢した私は、偉いと思うわよっ。
むすっとした顔のままで話をつけ、電話を切る。
そのまま向かうのは、まだまだ新しいキッチン。
早速、野菜の下ごしらえを始め、とっとと作って出発よ!
今夜は、カレー。
綜がなんて言おうと、カレー。
温めるくらい、自分でもできるでしょっ。
愛情なんてスパイスが入らないような気がするけれど、今日ばかりは構いやしない。
ざくざくと少し大きめに具を切ってザルに入れ、肉からまず炒める。
……もー、イヤ。
今日という今日は、堪忍袋も危うい。
これ以上ここにいて綜と喧嘩する前に、避難するわよっ。
でも、綜のことだから料理なんてしないだろうし、文句言わずに食べれる物って言ったらコレくらいだと思うから、せめてもの情けで作っておいてあげる。
……って、綜のことで怒ってるのに彼を心配している自分が、なんとも情けなかった。
それはちょっと妙な気もしたけれど、やっぱり……好きだし、心配だから。
……えぇいっ!
でも、今日は許さない。
もー、実家に帰りますっていう勢いなんだから。
「……はー」
ちゃっちゃか野菜を炒めて、ぐりぐりと木ベラで混ぜながらも、ついため息が漏れた。
あーあ。何やってるんだろ、私。
綜のことが好きなのに、綜からは何も言ってもらっていない。
それが不安で不安でたまらないのに、本音をぶつけるのが怖い。
こんなふうに誰かに愚痴を聞いてもらっても解決にならないことはわかっているけれど、それでも彼にまっすぐ向き合うことができなかった。
そんな自分がひどく情けなくて、耳に届くヴァイオリンの音も、今日ばかりはやけに物悲しくさえ聞こえた。
「ほらー、元気出しなさいよー」
「……うん」
「あんた、十分かわいいんだから。ね?」
「……かわいくないもん」
「またそーやって、ぶーたれる。ほらほらっ! 今日はもう、ぱぁーっと忘れて飲め飲めー!」
女3人集まればなんとやらって言うけど、今日はちょっとだけテンションが低い。
……と言っても、低いのは私だけなんだけど。
綜にカレーを作ってメモとともに残し、ひとり出かけた先は駅前の居酒屋。
突然の呼び出しにも関わらず、彩ちゃんは笑顔で迎えてくれた。
「……はぁ」
「ほらぁー。優菜、暗いよー?」
「うん」
「元気出して! いつもの優菜はどこいっちゃったのかなー?」
「……だってぇ……」
わざと明るく振舞ってくれているふたりには申し訳ないんだけれど、やっぱり……ヘコむよ。
だって、一緒に暮らしてるのに手も口も出されないんだよ?
それって、女として見られてないのと同義じゃないの?
「ひょっとしてさー、綜は恥ずかしいんじゃない?」
「……恥ずかしい?」
「そ。優菜とふたりで暮らせるようになったけど、やっぱりなかなか手を出せないっていうか……。んー……なんて言うのかな。タイミングを待ってるってるとか、そんな感じなんじゃないの?」
「あの綜が?」
「うん」
ビールを飲みながらうなずく彩ちゃんに眉を寄せると、もうひと口含んでから笑みを浮かべた。
「きっと、アイツなりに考えてるんだと思うよ? 優菜のことは、ちゃんと」
「……そうかなぁ」
「そうだってば! おねーちゃんの言うことを信じなさいって」
ぱしんっと背中を叩いて気合を入れられ、思わずこちらも笑みが漏れた。
「んー……そっか。うん。そうだね」
「そそ。アイツ、昔っから妙に照れ屋だからねー。しかも、自我が強いし」
「あー、それはある!! 一緒に暮らしてみて、それはすごく思った」
「でしょー? それに意外とケチなのよねー」
「ケチ?」
「うん。……あれ? 優菜はそんなふうに思わなかった?」
「や……どうだろ」
確かに綜は我侭だと思う。
でも、そんなにケチっていう感じでもなかったせいか、彩ちゃんについ聞き返していた。
「だって、ヴァイオリン弾かせてって言ったらすぐに否定されたのよ? ちょっとくらい持たせてくれてもいいと思わない?」
「……え」
「汚い手で触るな、とまで言われたのよ? 実の姉なのに。ひっどい弟じゃない?」
……まさかですよ、奥さん。
え、そんなことがあったなんて思わなかった。
だって私、この間簡単に触らせてもらっちゃったもん。
しかも、特に何も言われなかったし。
「いよーし! じゃあ、ここらで一発優菜の改造でもするか!」
「え!? ちょ、ちょっと待――」
「じゃあ、まずは何がいいかしらね。あ、なんなら今から私の友達よぼっか?」
「えぇえ!?」
「もれなくいろんなこと知ってる子だから……ふふふ、優菜ってば明日から人生変わっちゃうかもよー?」
「え、ちょ、どんな!?」
いうが早いか、彩ちゃんはスマフォを取り出すといじり始めた。
いやいやいや、私の許可も得てくれるかな!?
目の前で繰り広げられている、何やら怪しい匂いのするやり取り。
慌てて制そうと立ち上がるものの、気づいた彼女に、がしっと手首を掴まれた。
「ちょっ、ちょっと待って。彩ちゃんてば、顔が笑ってないんだけど!」
「ふふふ。お姉ちゃんが、いーいこと教えてあげる」
「ひぇ!」
にたぁっといたずらっぽい笑みを見せられ、思わず喉が鳴る。
きょ……今日は、できれば大人しく帰りたいんですけど!
ていうか、むしろあの、ストレス溜まっちゃうんじゃ!?
じりじりと詰め寄られ、1対1で割合は同じはずなのに、すでに多勢に無勢な気がするのはなんでかな。
しかも、ただでさえ勝てるはずない人なのに、応援を呼ばれるとか聞いてませんけども!。
心の中で大きく……それはそれは大きく叫びながら、引きつった笑顔で彩ちゃんを見るしかこのときの私にはできなかった。
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