「おはようございます」
「……ん……」
やけにテンションの高い声が頭まで直接届き、わずかな痛みが走る。
……おはよう。
ってことは、朝だ。
「っ……ぅ」
鈍く痛む背中とおしりを恨めしく思いながら瞳を開けると、途端に眩しい朝日にぶつかった。
カーテンをきちんと閉めておいたはずなのに、隙間から縦に光が差し込んでいる。
……冬なのに、眩しすぎじゃない?
なんだか、それが少し恨めしい。
「あ……れ……?」
伸びをする前に足を伸ばすと、自分がベッドへ寄りかかったまま眠ってしまっていたのだとわかった。
……どうりで、おしりが痛いわけだ。
フローリングへ直に座ったまま、抱えたクッションを枕に眠る。
そんなことをしたのは、いったいいつ以来だろう。
泣いたせいで頬が突っ張っているみたいに変な感じがして、やっぱり瞼は重い。
きっと、赤く腫れてるんだろうな。
こんなとき、『無職』で少し安心する。
「……テンション高いなぁ……」
ようやく伸ばせた腕を元に戻してから、痺れた足をゆっくり動かして硬い身体をほぐすように立ち上がる。
目の前にあるテレビからは、いかにも『朝のニュース』って感じのキャスターとお天気お姉さんが元気に喋っていた。
溢れんばかりの笑顔。
疲れを感じさせない、トーク。
……ああ、今日もまた1日が始まるんだ。
なんだか自分独りだけがすでに動き出している世の中から取り残されたままのような気がして、おかしくなる。
「っ……わ」
まず何をしようかを考えながらテレビの主電源を落とし、ドアノブを掴む。
と、まるでタイミングでも計ったかのように、テーブルへ置いたままのスマフォがけたたましく着信を知らせた。
「……うー……」
自分で設定した音量とメロディ。
だけど、朝っぱらから……しかもちゃんと眠ってないとなると、ものすごくキツイ。
頭が割れそう……。
別にお酒を飲んだワケでもないけど、そんなことが浮かぶ。
「……あれ」
かけてきた人の名前を見た瞬間、目が丸くなった。
「おはよ」
『なんだよ、今起きたのか?』
「んー……うん。……まぁ……そんなトコ」
相変わらず元気のいい声。
でも、さっきまでテレビから聞えてた声とは質も何もかもが違って、とっても落ち着く。
『なぁ』
「……え?」
『カーテン開けてみ? いい天気だぜ。今日』
「うん? うん……まぁ……うん」
唐突な展開に一瞬寝ぼけていた頭が判断を下せなかったけれど、のろのろとカーテンまで歩いていく。
天気がいいのは、なんとなくわかってた。
テレビから天気予報が流れているし、カーテンの隙間からは真っ白い光が見えているし。
……でも、なんで急にまた。
ああ、あれかな。
もしかしたら、宗ちゃんには私が泣いてたことがバレてるのかもしれない。
「おはよ、優菜」
私が『あ』と口を開けるのと同じタイミングで、スマフォとリアルの声がハモって聞こえた。
なんか不思議な瞬間。
っていうか、こういうシーンってテレビとかでしか見たことなかったのに。
「……宗ちゃん」
「お前、電気つけっぱなしで寝てたろ。珍しいと思ったらまー……きれいな顔しちゃって」
綜の部屋のベランダの手すりに腕を置いたまま、くすくすと笑う顔。
それは、綜と同じ顔なのに、まったく違う髪型と色をした宗ちゃんだった。
冬の朝の柔らかな光に撫でられて、いつもよりずっと明るく見える髪。
……優しい顔。
なんだか、天使っていうよりも神様みたいだ。
私にとって――全知全能の。
安らぐ。
笑顔が浮かぶ。
……ああ。
やっぱりこの人は、私にとってある種のビタミンなのかもしれない。
「おはよ、宗ちゃん」
涙で頬に張り付いたまま乾いたらしき髪に指を通すと、久しく忘れていたような柔らかい笑みが浮かんだ。
「もー、ホントにびっくりしたんだよ?」
「あはは。ごめんごめん」
温かい日差しの下を歩く、私と宗ちゃん。
その姿は、自宅からちょっとだけ離れた場所にあった。
のどかな公園。
……の中にある、小さな動物園みたいなところ。
そう。
小さいころからよく遊びに来ていた、総合公園内にある『ふれあい動物園』だ。
「……なんか懐かしいな……」
「まぁなー。つーか、俺らだけじゃねーか? ……カップルでここにいるのって」
「…………」
「…………」
「……っぷ」
「な?」
「あはは! ホントだ。浮いてるね、絶対」
「そりゃそーだって。フツー家族連れとかだろ、ココに来るのは」
急に真面目な顔をした宗ちゃんの視線につられてあちこち見渡していたら、思わず噴き出していた。
ホントだー。
確かに、大の大人がふたり揃って歩いてるのは、私たちしかいない。
あたたかな日差しが降り注ぐ、まさに冬には珍しいくらいの穏やかな行楽日和。
さすがに汗はかかないけれど、でも、日向ではコートを脱いでも大丈夫そうだった。
……まぁ、その下にしっかりと着込んでる私が言うことじゃないんだけどね。
「懐かしいな」
「懐かしいね」
ひとしきり笑ってから互いに息をつき、笑みを浮かべる。
……ああ。
なんか、こんなふうに和やかな気持ちになったのは、本当に久しぶり。
綜と一緒だったら絶対に得られない気持ちだ。
「……ん?」
「へへ。宗ちゃんは優しいなぁ」
「なんだそりゃ」
「いーの! お気になさらず」
ダウンジャケットをつんつんと引っ張ってから、こちらを向いてくれた宗ちゃんに笑いかける。
そう。
これだよ、これ!
私が小さいころからずっと、ずーーっと待ち望んでいた『デート』っていうのはまさにコレ。
……そういえば、綜と一緒に公園とか動物園とか水族館とかって……行ったことなかったなぁ。
綜と同じ顔だけど、やっぱり優しい笑みを浮かべてくれている宗ちゃんはまるで別人。
言葉遣いだって違うし、言葉に篭っている温度も違う。
そんでもって、纏っている雰囲気も違えば、さりげなく気を遣ってくれるところも。
……はぁ。
どうして綜はあんな風になっちゃったんだろう。
宗ちゃんと同じ物を食べて、同じように育ってきたはずなのに。
……もしかしたら、おばさんのお腹の中にいるとき、『善』と『悪』に半分からきれいにわかれちゃったんじゃないかしら。
もう、それしか考えられない。
あのしかめっ面の、こんこんちきめがっ!
「優菜?」
「ふぅあ!?」
「何? どうした?」
「いや、あの……べ……別に」
眉を寄せたままでいたら、いきなり目の前に宗ちゃんが顔を覗かせた。
「ここに皺寄せてんと、ばーちゃんになったとき残るぞ」
「……うぐ。それは困る……。だって私――」
「「目尻に笑い皺が残るおばーちゃん目指してるんだから」」
「……あれ?」
「…………くく」
眉間を中指で押しながら、情けない表情を見せた彼。
だけど、私がびっくりしたように瞳を丸くしたら、途端にぷっと吹き出した。
「あはは。優菜は、相変わらず変わらないなー」
「…………うん」
ぽんぽんと頭を軽く撫でるように叩かれ、自然と俯きながら何度かうなずく。
……なんで……?
どうして、覚えてるんだろう。
昔、本当に本当に小さいころ、口癖のように言っていたってだけなのに。
別に、何も特別な言葉でもなんでもないのに。
……嬉しい。
こんなに楽しくって、嬉しくって……いいのかな。
普段とあまりにも違いすぎるギャップに、少しだけ不安になる。
「…………」
でも、きっとこれが当たり前なんだよね。普通は。
昔からよく知ってる幼馴染で、たくさん遊んで、たくさん話して……たくさんの時間を共有した人なんだから。
ただの友達でもない。
家族でもない。
だけど、それ以上の秘密も情報も共有している間柄。
それが、私たち幼馴染だと思う。
綜と宗ちゃんの幼馴染になれたこと。
それが――私の誇りだってずっと思ってきた。
「…………」
やっぱり、『幼馴染』の枠から抜け出すような真似はしちゃいけなかったのかな。
3人でずっと一緒にお互いの道を邪魔することなく進んでいたら、今ごろはもっと違った形だったのかもしれない。
……でも、
綜とは、まったく違うタイプの表情。
ころころ変わって、見ているこっちまで楽しくなる。
「ん? どした?」
「…………」
先に歩き出した彼の隣を歩かずにその場で立ち尽くしていると、すぐに宗ちゃんは私を振り返って歩み寄ってくれた。
この優しさ。
この気遣い。
それこそが、同じ双子ながらも兄の綜とはまったく違う部分だった。
「……宗ちゃん、ありがと……」
「馬鹿だなー。何も泣くことはないだろ?」
「っ……ひっ……」
呆れたように言いながら、でも本当は違うってこと知ってる。
だって、宗ちゃんは優しいから。
綜と違って、目に見える誰でもわかる『優しさ』をくれるから。
……言葉のない、行動でも判りにくいような優しさなんて、もういらない。
いらない……って言えたら、楽になれるのかな。
「よしよし。いーぞ、泣いて」
「ひっ……く……うぇ……ふぇーん宗ちゃぁん……!」
さっきと同じように頭を撫でてくれながら、そのまま胸元へと包み込んでくれる。
綜と同じくらいの背。
綜と同じくらい長い腕。
……だけど違う。
何もかも綜と同じように見えるけれど、何もかも一緒なところなんてない。
髪型だって違うし、きれいに染められている髪色も違う。
香水だってすごく甘くて優しい香りだし、こうして――私を慰めてくれたりする扱い方も違う。
いつも優しくて、いつも庇ってくれて、いつもいつもそばにいてくれた。
だから、言ってしまいそうになる。
『宗ちゃんのことを、好きになれたらよかったのに』
よしよしって慰めてくれる彼に対して、すごく身勝手で我侭な言葉を。
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