小さいころからいつも、綜の背中ばかりを追いかけていた。
そして、それは大人になった今もそう。
再会してからも、何も変わっていない。
いつも冷たくて、何考えてるかわからなくて、いつも……いつだって私を泣かせることしかしなかった綜のことを、どうして好きになったりしたんだろう。
宗ちゃんは、今も昔も変わらずに優しいのに。
こんなにも、私のことを心配してくれるのに。
「…………」
私はいつだって、宗ちゃんに甘えるしかできないんだ。
ただただ、甘えて……すがりつくことだけしか。
……あのとき私は、好きになってくれた宗ちゃんの気持ちを知ろうともしなかったのに。
なのにどうしてそんな私が、たくさんの特権を許してもらえているんだろう。
宗ちゃんは、落差がまったくなかった。
いつも優しくて、いつも温かくて。
私をからかったりいじめたりすることなんて、一度もなかった。
……一方の綜は、正反対。
優しさは本当に気まぐれで。
冷たく突き放されていたかと思えば、振り返って手招かれる。
……でも、それがすごくすごく嬉しかった。
それがあったから、いつだって綜の背中ばかりを付いて回っていたんだ。
いつかきっと、綜が私を見てくれる。
そんなふうに、先にあるほんの少しの期待を希望にして。
「優菜はさ」
「……え……?」
ようやく、しゃくりが治まった私をベンチに座らせてくれながら、宗ちゃんが顔を覗き込んだ。
「どうして綜のことが好きなんだ?」
いつもと同じ笑顔のはずなのに、宗ちゃんはほんの少しだけ寂しそうに笑う。
なんだか、その姿にすごく違和感を覚えた。
多分、宗ちゃんのそんな顔なんて久しくどころか、記憶にないほど見たことがなかったからだ。
「……どうしてって……なんで、だろ……。……んー……ごめん、うまく言えない……」
急に向けられたとんでもない質問に、思わずどくどくと鼓動が早くなる。
これまで、そんなこと一度も言われたことはなかった。
宗ちゃんにはもちろんだけど、綜自身にも聞かれたことはない。
……ううん。
それどころか、これまでの人生の中で、『どうして彼が好きなの?』という質問をされたことがなかった。
友達がこういう質問を互いに交わしているのを何度も見たことはあるけれど、でも、自分はむしろ聞く側の人間で。
……あのとき……なんて言ってたっけ……。
模範解答がない私には、当時の友人の言葉を思い出すしかない。
「……思うんだけどさ」
「うん……?」
手を組んだ宗ちゃんが、ベンチにもたれた。
その顔はやっぱりいつもの宗ちゃんと違って、すごく寂しそうで、なんだか切なくなる。
……宗ちゃんがそんな顔するなんて、見てるのちょっとつらい。
いつだって優しい笑顔を見せてくれていた人だけに、視線が落ちる。
「言い方は悪いけど、俺と綜って同じ顔だろ?」
「え?」
「双子なんだから、声だって一緒だし、好みもそうだし、それに性格だって――」
「ッ……違う! 宗ちゃんと綜は、全然違うよ!!」
彼らしからぬ言葉に、思わず大きな声で立ち上がっていた。
「……っあ……ごめん」
驚いたような彼の顔で我に返り、慌てて座る。
……でも、本当にびっくりしたんだもん。
だって、ものすごく宗ちゃんらしくない。
あんなこと言うなんて……だって、あれじゃあまるで――。
『綜と俺は同じなのに、どうして綜なんだ?』
そう続けられてしまいそうな気がして、怖かった。
「悪い。別に、そういう意味で言ったんじゃないんだ」
「……うん」
「お前は、昔から俺たちの区別ちゃんとついてたもんな」
「もー……。当たり前でしょっ! 生まれたとから幼馴染なんだから」
「はは」
途中で声を変えた彼に続くように、私も思い切り明るく笑う。
ぐっと両手で拳を作り、ぴっと人差し指で宗ちゃんを指しながら。
小学校でも、近所でも。
綜と宗ちゃんは、いつだって『同じ』みたいに扱われていた。
みんなは、『双子』っていう先入観があるから、どうしても『まるっきり同じ』だと思い込んでいて、何かあるごとに『さすがは双子ね』って笑ってた。
ただ、言葉が重なっただけで。
ただ、好きな物が同じだというだけで。
……本人たちが、どれほどそれを嫌がっていたかなんてまったく知りもせずに、周りはいつも勝手に『双子だから全部一緒ね』なんて盛りあがって、当の本人はおいてきぼりだった。
ふたり、ちゃんといるのに。
だけど周りは、まるで『ふたりでひとり』みたいに言う。
個人個人なのに。
宗ちゃんと綜は、全然違うのに。
けれど、やっぱり何かにつけてふたりを同じ目でしか見ていなかった。
『あら、ごめんなさいね。てっきり……』と言って、綜と宗ちゃんは小さいころいつも間違われてばかりだった。
声だって喋り方だって、雰囲気だってまるで違うのに。
なのに、周りは『ふたりは同じ』だと思い込んでいるから、ほんの少しの違いに気付きもしない。
同じなんかじゃない。
ふたりはただ、『似ている』だけ。
宗ちゃんと綜が、まるで『同じ物』みたいに扱われるのをすごく嫌がってたって最初に気付いたのは、ふたりのお母さんであるおばさんだった。
ふたりのことを決して間違えなかったし、同じ物を身に着けさせることも、同じことをさせることだって、一度もなかった。
昔、一緒に買物へ連れてってもらったときのこと。
たまたま近所のおばさんが、ふたりを見てこう言った。
『あら。双子なのに、違う服を着ているの?』
さも、同じであることが当然とでも言わんばかりに。
でも、綜と宗ちゃんのお母さんはにっこりと笑ってこう答えた。
『ええ。何かおかしいですか?』
ぎゅっと、綜と宗ちゃんの肩に手を置きながら。
ふたりは違う人間なのに、どうして同じでなければいけないんだろう。
『双子=一緒』という考え方を、おばさんは一度もしなかったし、ふたりに強要したこともなかった。
だから、ふたりは救われたんだと思う。
このことがあって以来、綜と宗ちゃんはすることや言うことが『同じ』になっても、気にする様子を見せなくなった。
からかわれても反発することなく、それを普通だと笑って過ごしていた。
……嬉しかった。
宗ちゃんと綜が、ふたりで遊んでいるのをたくさん見るようになったのが。
同じ物を、同じことを、誰の目を気にするでもなく堂々とし始めたことが。
……ああ、やっぱりお母さんの力って大きいんだな……って、小さいながらに、じんとした。
だから私も、それからは何かとお母さんと一緒にいることも多くなったような気がする。
「優菜は昔から変わらないな」
「え? そう?」
「ああ。……ずーっと、小さいまんま」
「む。小さくないよー! 私、これでもまだ背が伸びてるんだから!」
「へぇ、そりゃすごい。……お見逸れしました」
「えへん」
ぽんぽんと頭を撫でられて彼を見上げると、自然に笑いが漏れる。
これって、やっぱり幸せなことだ。
えっへんとばかりに胸を張れば、宗ちゃんはやっぱりおかしそうに笑ってくれて。
……うん。
すごく、ほっとする。
その顔も、その声も。
綜とはまるで違って、優しさが溢れているから。
「…………あ」
「ん?」
思わず、とび出た声。
それに、自分でもびっくりする。
……そうか……。
わかった。
わかったよ。
私が、どうして宗ちゃんじゃなくて綜を好きになったか。
今ごろになって、やっと。
……そうだ。
そうだよ……。
「あのね?」
「おー、なんだ急に」
先ほどまでとはまったく違う神妙な面持ちで、宗ちゃんの腕をがしっと掴む。
どうしても言わなきゃいけないこと。
さっきの質問の答えが、ようやく浮かんだ。
「さっきの、どうして綜を好きになったか……なんだけど……」
「ん? ……ああ、あれか。うん。で?」
彼に見せるのは、相変わらずの神妙な面持ち。
宗ちゃんは、そんな私が少し不思議そうだった。
「あのね。宗ちゃんは――私にとって、お兄ちゃんみたいなの」
「……俺が?」
「うん。だから……多分、綜を好きになった……んじゃないかな……」
自分自身の考えを整理するようにゆっくり呟くと、すぐに続きが出た。
「宗ちゃんはいつも優しくて、いつも私のそばにいて、慰めてくれてた。だから……」
瞳をわずかに丸くした彼に、無言でうなずく。
そう。
宗ちゃんはいつだって私に優しかった。
学校までの道も、普段遊んでいるときも、そして学校で会っても。
宗ちゃんや綜と同じ学校内にいられたのは、小学生のときだけ。
でも、それでも私は宗ちゃんにこれまでの間ずっと助けられてきた。
中学で困ったことがあれば、相談に乗ってもらって。
高校で悩んだことがあれば、真っ先に話して。
駅とかで偶然一緒になると、方向が同じだからって学校近くまで一緒に行ったことだってあった。
……これまで、ずっとそう。
綜が向こうへ行ってからの間も――ううん。
綜が渡欧してからは、一層強く、宗ちゃんは私を大事にしてくれた。
すごくすごく、優しかった。
……護ってくれた。
それはまるで、本当のお兄ちゃんみたいな優しさで。
甘えてると言われたら、違うなんて言えない。
だけど、宗ちゃんは私を甘やかしたりはしなかった。
怒られたことだってあったし、厳しいことを言われたときもあった。
……でも、違うの。
宗ちゃんは、そんなときでも優しかった。
いつまでも引きずらなかった。
その場だけで納めて、『わかったならいいよ』って頭を撫でてくれた。
だから、私にとって宗ちゃんは綜よりもずっと身近な存在。
兄弟のいない私にとっては、誰よりも近くて、頼りがいがあって、とっても……大切な人。
私にとって、かけがえのない家族以上の男性。
「……だからっ……」
なぜだかわからないけれど、まっすぐに宗ちゃんを見てることができなくて、視線がいつしか落ちていた。
……でも、ダメ。
ちゃんと、宗ちゃんを見て話すの。
それは、決めたことだから。
小さくうなずいてから大きく深呼吸をして、改めて彼を見上げる。
そのとき、宗ちゃんはまるで……自嘲するかのように、困ったみたいな声で笑った。
「……はは。それは皮肉だな」
「え……?」
「小さいころ、アイツは優菜のことを『妹』としてしか見てなかったんだぞ」
「っ……え……!」
さっき感じたのは、やっぱり気のせいなんかじゃない。
私をまっすぐに見つめた宗ちゃんは、少しだけ寂しそうな顔だったから。
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