「俺は、アイツと違って優菜をずっと『女の子』だって思ってきた。だからもちろん、そうやって接してきたつもりだ」
「……宗ちゃん……」
「だから、お前が綜を好きだって気付いたときは、正直いって……なんでアイツなんだって思ったよ」
 そう言った宗ちゃんは、『悔しかった』と、苦笑を浮かべた。
 優しい顔で。
 だけど、切なくなるほどに儚げな笑みを。
「…………」
 思わず真正面からその笑顔を受け止められるだけの余裕がなくて、きゅっとコートの胸元を握り締める。
「でも……今になってみると、わかるんだよな」
「え?」
「お前が、アイツを好きになったワケ」
 宗ちゃんは、それまでとまったく違うテンションで声をあげた。
 ベンチへしっかりと背を預け、両手を頭の後ろで組みながら。
 ……まるで私を安心させるかのように、気遣うかのように、宗ちゃんは優しく笑った。

「ほら、昔から『できの悪い子ほどかわいい』って言うだろ?」

「え」
 日の光で温められた雰囲気が、一瞬ピシッと音を立てて凍りついた気がした。
「あ。誤解するなよ? そういう意味じゃないから」
「……ホントにぃ……?」
「あはは。当たり前だろ? 俺が優菜のこと『馬鹿』とか言うわけないじゃん。……あ、もちろん今のはノーカンな?」
「むー……まぁ、そういうことにしといてあげる」
「サンキュ」
 こうして交わす、冗談が好き。
 ……ううん。
 むしろ、宗ちゃんとじゃなきゃ冗談なんて交わせないんだけど。
 綜が冗談を言うなんて想像もできないし、これまで聞いたことだってない。
 だから、宗ちゃんのほうが私にずっと身近な存在だった。
 綜はどちらかというと、少し……遠くて。
 何を考えているかわからなくて。
 でも。
 ……でも、いつだって目で追うのは綜だった。
 綜の一挙一動がどうしようもなく気になって。
 唯一、ヴァイオリンを得意げに聞かせてもらえる時間が、何よりも誰よりも私にとって自慢できるときだった。
「……まー、そーゆーワケで」
「うん?」
 『仕切りなおし』とばかりに咳払いをした宗ちゃんに、身体ごと向き直る。
 すると、片腕をベンチの縁へ載せてから、首をかしげた。

「アイツは、ハタから見てもわかるくらいに、お前を大事にしてたんだよな」

 にっこりと、まるで『完敗』みたいなある種の表情。
 そんな顔を見せられた私は、言うまでもなく先ほど以上に凍りついた。
「っえぇええええ!!?」
「うっわ……びっくりした」
「うそ! うそうそうそ!! だって私、綜に優しくされた覚えなんかないよ!?」
 一瞬の間のあとで、当然の如くものすごい声が出た。
 宗ちゃんの両肩に手を置いて、そのままゆっさゆっさと揺さぶってやる。
 だって!
 そんなの信じられないし、まさに嘘八百。
 でたらめよ、でたらめ!
 本人がこう言ってるんだから、まず間違いないはず。
「だって、宗ちゃんだって知ってるでしょ!? いかに昔から綜が私のことをないがしろにして――」
「いや、だからな? 『ほかの子に比べたら』めちゃめちゃ優しかったって意味」
 興奮が一向に冷めない私を制するかのように、宗ちゃんが両手を目の前で振った。
 …………。
 ……ちょっと待って。
 なんかそれって、すごく……すごーく微妙な感じがするんだけど。
「……複雑」
「はは。まぁな」
 むぅ、と唸りながらベンチへ背を預け、眉を寄せて大きく息をつく。
 ……綜の優しさ。
 うーん。
 それって、いったいどんなものだったんだろう。
 宗ちゃんの優しさならば、幾らだって言葉に出来るし、何度も何度も実感してるから、よくわかる。
 でも、綜の優しさは……私にはわからない。
 どんなだっただろう。
 ……どんなふうにしてくれただろう。
 指輪をくれた。
 一緒に住めるようになった。
 ……でも、それは『優しさ』なのかな。
 綜にとって都合がいいだけであって、私を必要としていたんじゃないんじゃないかな。
 ぐるぐると嫌な考えほどどん底へハマり易くさせるモノで、心にも頭にも暗雲が立ち込める。
「……でも、綜は……」
「あー……」
「……? 宗ちゃん?」
 独り言みたいに、ぽつりと呟いた瞬間。
 宗ちゃんが少し困ったみたいに、大きな声を出した。
「……あのさ、優菜」
「うん?」
「さっきから……っつーか、ずーっとそうなんだけど」
「……うん……」

「今日1日、お前アイツのことしか話してないぞ」

「え」
 ビシビシビシっ。
 空間という空間、私という人間、そんなすべてのものに対して、一瞬の内に亀裂が走った音がした。
「えぇええ!?」
「はー。隣にいる俺は、ものすごくつまらないなー」
「うっそ……ご、ごめっ……! いや、あの、あのね? そういう意味じゃなくって、あの、その……っ……」
 はぁああ、と大げさに大きなため息をつかれ、慌てて両手を振る。
 ……ウソ。
 全然気付かなかった。
 っていうか、だって!
 宗ちゃんも綜の話してくれるし、何も言わずに聞いてくれてるから……っ……だからてっきり、相談に乗ってくれてるんだって思ってたんだもん!!
 ぎゃああ、なんか、急にそっぽ向いちゃったし。
 これってもしかしてもしかしなくても、十中八九怒ってるよね。
 ……ヤバい。
 ヤバイよこれは。
 ホントに本気でもうマジ――。
「……へ……?」
「あはは。お前は相変わらず正直だなー」
 肩が小刻みに揺れていたかと思いきや、突然がばっと伏せていた顔を上げて大きな声で笑い始めた。
 一瞬何が起きたのかわからなくて、動きが止まる。
 ……でも、心の中ではものすごくほっとしてた。
 ああ、よかった。
 宗ちゃん、怒ってない。
 たったそれだけなんだけど、先ほどまでと違ってものすごく安心しているのに気付いた。
「それじゃ、優菜」
「……え?」
「お前にひとつ、昔話をしてやるよ」
 ピッと目の前に出された、人差し指。
 綜と同じように、長くて、すらっとして……きれいで。
 そんな、男の人らしい指を見てから宗ちゃんを見上げると、にっこり笑ってふっと遠くを見つめるような仕草を見せた。


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