遠くにいる綜を思い浮かべて、彼に会えることだけを考えて、ただただ目的地へと急ぐ。
会えないなんて考えない。
会ってくれないなんていう選択肢もない。
……だって、ほんの少しでもそんなことを考えてしまったが最後、それが現実へと変わってしまいそうで怖かったから。
いつだって、嫌なことばかりが現実になってきた。
『こうだったらいいな』って期待を抱けば、それは無残にも泡みたいに散った。
何度も、何度も。
――そう。
9年前、綜へ自分の想いを伝えたときのように。
『なぁ優菜。あいつが今ごろ日本に戻って来た理由わかるか?』
今日、綜は横浜にあるコンサートホールで、『チクルス』と呼ばれる公演に参加しているはず。
なんでも有名な人たちが集まるらしく、テレビでしきりに特集が組まれていた。
離れていればいるほど、綜に関する情報をすべて無意識の内に求めていたんだと思う。
……本来なら、綜のスケジュールを把握しておくことなんて、付き人である私の最低限の仕事なのに。
いくら私情を挟んだとはいえ、仮にも仕事を放って出てきてしまったことに、今さらながら後悔が湧いた。
『財力も地位も名誉も。どんなものもすべて、アイツは自分の手でもぎ取った。誰の力も借りずに独りきりで単身渡欧して、自ら師を見つけて仰いで、貪るように学んだ』
綜は間違いなく横浜にいる。
彼は私と違って、仕事に穴を開けたりするようなことはない。
つまらない自分の感情なんかに、左右されることもないんだから。
「…………」
少し。
ほんの少しだけ、寂しいような気もする。
だけど、でも……それが綜だから。
私や宗ちゃんや、そしてたくさんの人たちが知っている、『芹沢綜』という人だから。
『誰のために? ……そんなの、ほかでもないお前だよな?』
人一倍プロ意識を持っていて、プライドが高くて負けず嫌いで、見かけによらず根性があって……熱い人で。
手段は選ばないかもしれない。
でも、浅はかな考えなんて絶対にしない人。
自分のせいで、誰かを傷付けたり巻き込んだりなんてことは、絶対に。
『アイツが世界で1番のヴァイオリニストになったのは、ほかの誰でもない、お前のためなんだぞ』
行動力は人一倍あるクセに、口数は人の半分以下かもしれない。
自分のことをあまり喋らないし、自分がどう思ってるかとか、そういうことすらあまり口にしない。
……だから、これまで離れていた9年間のことを私は何も知らない。
どんな先生についてヴァイオリンを学んだのかも、どんな生活をしていたのかも、本当に些細なことすら。
でも。
それでも、やっぱりそれが私の知ってる綜だから。
無駄なことなんて一切喋らない、かと言って、人に意見するときは物怖じも遠慮もせずに言う。
人からどう思われようと気にもしないで、人の動向や意見には左右されることがない。
自分は、自分の道。
自分にしかできないことがあるから。
ただそれだけを信念に持って、決して曲げずに、まっすぐ前だけを見ている人。
……本当に、まっすぐな人だと思う。
綜は、昔から。
「っ……」
横浜駅からさらに電車を乗り継いで降り立った駅の改札に向かうと、真正面の柱に大きなポスターが貼られていた。
日付は間違いなく、今日の物。
そして――大きなコンサートタイトルの下には、ソリストでありコンサートマスターである、綜のフルネームとヴァイオリンを片手に持った写真が印刷されていた。
「…………」
人が立ち止まることなく行き交う駅の構内で独り立ち止まり、ぺたん、と柱に手で触れる。
『ありがとう』
ちゃんと本人に伝えるつもりではいるけれど、でも、すぐにだってそれを言いたかった。
ポスターにある小さくも愛想のある綜に触れてから、身体の向きを変えて足早に先を目指す。
……きっと今ごろ、涼しい顔をして、笑顔を振り撒いて……最後のチェックを兼ねたリハーサルをしているんだろう。
「行こう」
口に出したのは、きっと自分に喝を入れる意味を込めたから。
自分から逃げ出して来た場所へ戻ることほど、勇気のいることはない。
……でも、行きたい。
またあの場所へ戻りたい。
離れていた今日までの間もずっとそう思っていたんだから、この気持ちは間違いないはず。
それに……苦しくて寂しくて後悔ばかりだった、この9年間と同じモノにするわけにはいかないから。
軽く頬を両手で叩いて気合を入れ、ブーツのかかとを高らかに響かせて駅の構内を進む。
綜がこれまでずっとそうして来たように、私も自分自身の居場所を切り開いて確立させるために。
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