「おい。起きろ」
「……むー……」
 ゆらゆらと、目の前に置かれているスパゲティが波打った。
 ……もー、なんなのよー。
 せっかく人が食べようとしているときに、邪魔しないでほしいわ。
「……パスタが……」
「いいから起きろ」
「んあ!?」
 呆れた声で、一気に目が冴えた。
 ……あれ?
 目の前に今まであった、たくさんのご馳走がない。
 ついでに言うと、我が家のテーブルではないテーブルが目に入る。
 ……おかしいな。
 っていうか、ここどこ――。
「うわ!?」
 ふいに左を向くと、すぐそこにあった顔。
 やたら迷惑そうながらも、宗ちゃんそのもの――より、ずっとずっと愛想のない顔。
 ……間違いない。
 今日、いきなり学校でも見かける羽目になった、芹沢綜その人だ。
「綜! 私、いろいろ聞きたいことがあるんだけど!」
「それはこっちのセリフだ。人の家に上がりこんで昼寝とは、いい身分だな」
「べ……別に昼寝しようと思って来たんじゃないわよ! 元はといえば、綜が悪いのよ? 訪ねてきたら、いないんだから!!」
「人を訪ねて来たなら、余計に寝るな。緊張感の欠片もないんだな、相変わらず」
「っ……! うるさいなぁ、もう!!」
 相変わらず、口を開けば文句ばかり。
 ……うん。
 でもまやっぱり、これが『芹沢綜』だ。
 私にとっては、憎まれ口しか叩けないこの人が綜であって、学校で見たあんな人は綜じゃない。
 まさに、似て非なる者。
「で? なんの用だ」
「あ、そうだった」
 すっかり忘れてた。
 だから、えーと……。
「つーか、お前の家は隣だろ? 着替えてくるっていう気持ちはないのか? 無駄に制服でいるな」
「何よ。いいでしょ? 別に。だって私、女子高生だもん」
「だから?」
「え? いや、だから……ね? 知らないの? 綜。最近の女子高生は、こうやって制服のままあちこちへ行くんだよ?」
「で?」
「……そ、それでっ……」
「常にほかの人間と同じ、か。個性がないなお前は」
「っ……! うるさい!!」
 ネクタイを片手で緩めながら身体の向きを変え、キッチンへと歩いていった彼の背に文句を言うものの、まったく気にしていない様子。
 ……それが、非常に頭にくる。
「だから! なんで、綜がウチの学校にいるの!? おかしいでしょ!」
「おかしくないだろ。これまで音楽で食ってきた俺が教師になった。別におかしくもなんともない」
「そ……それはそうだけど。でも! やっぱ、おかしい!! 特に、何? あの、嘘くさい笑顔!!」
「失礼だぞ。どこが嘘くさい。お前以外は、そんなこと微塵も思ってないようだが?」
「当たり前でしょ! みんなは、綜の本性知らないんだから!!」
「本性ってなんだ。あれも俺だ」
「それはそうだけど……って、だから!」
 危うく納得しかけてしまった自分を慌てて押し止めて、首を振る。
 ダメよ、優菜。
 こんなところで綜マジックに引っかかっちゃ!
 あなたが知ってる彼の姿は、今この目の前で呑気にお水飲んでる彼でしょ?
 ダメダメっ!
 あんな嘘くさい笑みを浮かべた偽者なんかに、私まで惑わされてどうするの!
「そうよ。そうだわっ……」
「何が」
「いい!? 綜はみんなこと騙せたって勝ち誇ってるみたいだけど、私は騙されないからね! 絶対!!」
「別に騙してない」
「うっ……そ、それは……そうだけど! でもいいの! わかった!?」
 びしっと彼を指差して腰に手を当て、眉を寄せて睨む。
 ……くぅっ。
 だから、なんなの? その憎ったらしい顔!!
 何がなんでも綜の本当の姿をみんなにバラしてやるんだから。
 本当は、あんなにいい人じゃなくて、ズル賢くて、口が悪くて、そんでもって性格もひねくれねじねじ男なんだってことを!!
 みんな、騙されてるのよ! この、ちょっとカッコいい顔に!!
 じぃーっと見られて下がりそうになった指を慌てて元の高さに戻し、再び彼を指す。
 負けない。
 これからの音楽の授業、見てなさい?
 私、絶対に負けないんだから!!
 大きく息を吸い込んで綜を睨み、独りうなずいてからとりあえず玄関へ。
 ……あれ? なんか、肝心なこと聞き忘れてるような気がしないでもないけど……。
 まぁいいか。
 ローファーを履いて立ち上がり、ドアに手をかける。
 見てなさい、綜。
 いくらみんなを手玉に取ろうとも、私だけは負けないんだから!
 1度リビングを振り返ってから軽くうなずき、そのまま外へと出ることにした。

「……なんだったんだ? アイツ」
 そんな優菜が出て行ったあとで、綜は小さく首をかしげた。
 どうしてここに彼女が寝ていたのかも、よくわからない状況。
「……まぁいいか。いつものことだ」
 ある意味彼女に関しては境地に至っているらしく、大して気にもかけることなく彼は部屋へと戻っていった。


ひとつ戻る   目次へ  次へ