『きらきら星』って、小さな子からお爺ちゃんお婆ちゃんまで知っている曲だと思うの。
 すごく単純なメロディーだし。
 だけど、本当に星がきらきらしてるみたいに感じるから、あの曲を作った人はすごいんだなーと思う。
 そして……私は今、そのことをすごく身に沁みて思うことになった。
 1度目のきらきら星。
 綜は、普通にそれを弾いた。
 ……だけど、2度目はまったく違う曲に聞こえた。
 ううん、事実まったく違う曲だったのかもしれない。
 メロディーラインは、きらきら星。
 だけど、あの曲はこんなにきれいだったんだろうか。
 こんなに、たくさんの音が重なっていただろうか。
 答えは、『NO』。
 ここにいる生徒たち――ううん、先生も含めて、きっとこんなきらきら星を聞いたことがある人はいないはずだ。
「うわぁー! すごい!!」
「先生、スゴーい! カッコイイーー」
 ふっと綜が弓をヴァイオリンから外すと、瞬間的に教室が歓声で溢れかえった。
「芹沢先生、すごいねぇー」
「……うん」
 満面の笑みの友人に同意を求められて、私もすんなりうなずいていた。
 ……すごい。
 綜って、こんなにすごい人だったんだ。
 無意識の内にしていた拍手を止めることなく見つめるのは、笑みを浮かべている綜本人。
 ……不覚。
 ちょっと、カッコイイとか思っちゃったじゃない。
 あのヴァイオリン、こんな音がするんだ。
 普段、私がきれいな音を出せないのは……ヴァイオリンのせいじゃないのね。
 教材用の安いヴァイオリンだからへっぽこなんだと思ってたけど……。
「え?」
 肘をつつかれてそちらを見ると、目の前に綜が立っていた。
「悪かったな、借りて」
「あ……いえ、別に」
「ありがとう」
「は!? あ、は……はぁ」
 いきなり『ありがとう』とか聞いたこともない言葉が彼から出て戸惑うと、一瞬だけ彼は人を小馬鹿にした笑みを見せた。
 っ……く……!!
「それじゃ、各自練習続けるように」
「はぁーい」
 みんなに声をかけた彼は、いつもと同じ顔だった。
 ……むか。
 なんなの? あの、態度の変化。
 あんたは怪盗二十面相か!
 温和に山口先生と話している彼を見て、ぎゅっとヴァイオリンを握ってから再び眉が寄ったのは言うまでもない。
 あーもー!
 前言撤回!!
 やっぱり、綜は綜だわっ! 腹立つ!!
「…………」
 仕方なくヴァイオリンを構え、弓を当てる。
 綜であれだけの音が出たんだから、私だって!!
 ――と意気込んだのは人一倍だったんだけど、結局へなちょこな音しか出なかったのは……いいわよね。付け加えなくても。
 とほほ。

 選択科目は楽しいから好きだった。
 ……どっかの人が先生としてここに来るまでは、ね。
「優菜、弾けるようになった?」
「……まだ」
「やっぱり」
「う。……やっぱりとか言わないでよ」
「あはは、ごめーん。だって、優菜ってばちょっぴしヘタなんだもん」
「ぶ! それって、なんかフォローになってないよ?」
「気のせい」
 いよいよ、例のきらきら星の中間発表がある本日の午後。
 それを前にした休み時間という休み時間には、音楽を選択に取っていた生徒たちがこぞって音楽室へ足を向けていた。
 山口先生だけのときには、見られなかった光景。
 これぞまさに、芹沢効果ってヤツだ。
 ……まぁ、私も例に漏れず足繁く通ってるんだけど。
 だって!
 綜ってば、酷いのよ?
 『これが弾けなかったら、成績はつかないと思え』
 とか言うんだから!
 これって、絶対の絶対に横暴よね。ね!?
 本気でやるとは思わないけど……まぁ、用心するに越したことはない、ってワケで。
 素直に言うことを聞いてる私は、本当に生徒の(かがみ)だわ。
 ……かわいそうに。
 お弁当を手早く片付けて向かうのは、音楽準備室。
 そこにある棚からヴァイオリンを出して、授業が始まるまでは自由に練習していい……んだけど。
「……ん?」
 準備室に向かう途中にある、ピアノ練習室。
 ここは、入り口は1箇所だけど中に入るといくつかの部屋にわかれていて、それぞれにピアノが置いてあった。
 ……そんな場所に、綜らしき人物が見えた。
 彼がこんな場所にいるはずないのに。
 だって、彼はヴァイオリンの担当でしょ?
 ピアノは範囲外なハズ。
「ゆーな? どーしたのー?」
「……あ、ごめん。ちょっと先行ってて」
 準備室からひょっこり顔を覗かせた彼女に苦笑を浮かべて手を振り、そちらへと近づいてみる。
 そして、バレないように薄く開いているドアから中を伺う――と、やっぱりそこには綜の姿があった。
 ……ん?
 こちらへ完全に背を向けている彼の向こうから、見えた見覚えのあるもの。
 あれは、間違いなくウチの学校の制服だ。
 ……っていうか、こんな場所で何してるの?
「っ……!?」
 瞬間、心臓が飛び上がるかと思った。
 いきなり、綜に制服を着ている子が抱きついたのだ。
 ちょ……ちょっと待って!
 え、何? どっきり?
 っていうか、昼メロ!?
 思わずどきどきしながらも目を凝らしていると、相手が隣のクラスの委員長だということまでわかった。
 ちょちょちょちょっとぉ!
 彼女ってば、ものすごく真面目で堅いって有名な子だよ?
 めちゃんこ大胆じゃない!!
 ……はた。
 今になって、ふと我に返った。
 ……ひょっとして、これってば……ものすごくデバ亀状態?
 などと思っていたら、綜が身体を動かした。
 ヤバイ!!
 このままここに居たら、バレる!
 慌ててドアから身体を離し、準備室へとあとずさ――。

 どがしゃーん!!

「わぁ!?」
 くわんくわん、と音を立てて転がっているのは丸い蓋。
 うわ!
 あとずさりすると同時に、すぐ後ろにあったゴミ箱を倒してしまったらしい。
 ぎゃああ。
 散乱している、ゴミというゴミ。
 ヤバイ!
 これを片付ける暇なんて、今の私には――。
「佐伯」
「ひゃい!?」
 慌ててゴミを拾っていると、背後にそれはそれは重くて冷たくて恐ろしい声が聞こえてきた。
 ぎぎぎ、と音が聞こえる首をそちらへと向ける。
 ……うわ。
「……な……なん……デスカ?」
「それはこっちのセリフだ」
「で、ですよね」
 凍てつく視線に射られたまま、私はその場から動けなくなってしまった。
 ……怖い。
 綜が、怖い。
 あ、いや、それは昔からそうなんだけど。
「話がある」
「はぃっ」
 ひやりとした物が背を伝い、私はこくこくとうなずくしかできなかった。
 み……見るんじゃなかった……!
 教官室へ向かった彼の背中を見て激しく逃げたい衝動に駆られながらも、仕方なくあとを付いていくしかできなかった。


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