「お前、あそこで何してた」
椅子に座って足を組むなり、彼が私を見上げた。
本日、山口先生は出張中らしく、この部屋にはほかに人影はない。
右隣にある準備室からは、思い思いに弾いているヴァイオリンの音が聞こえてくる。
……そりゃそうだ。
だって、次の時間はテストなんだから。
「何って……。綜と隣のクラスの委員長が抱き合ってるの見てた」
「そういうのは行儀のいい女子高生がすることじゃないだろ」
「……うるさいわね。わかってるわよ」
頬杖をつきながら見上げられ、思わず眉が寄る。
何よ、その顔。
いかにも私が悪いみたいな顔をされ、なんとなく気分が悪い。
私が悪いの?
あんな場所で、生徒と抱き合ってるほうが悪いんじゃない。
自分のしたことを棚に上げないでほしいわ。
「……話はそれだけ? なら、私戻りたいんだけど」
「元から、俺のほうは別にない」
「……な……。は? 何よそれ。別に、私だって何も――」
「ないのか?」
「っ……」
鋭く向けられた、視線。
……その顔、嫌い。
何もかもわかってますみたいな顔しないでよ。
確かに、綜の言う通りかもしれない。
だけど。
……だけど、どうしていつもいつも私のことわかってるみたいな顔するのよ。
何も知らないくせに!
「綜には関係ないじゃない」
「それは、俺だって同じだ。俺が誰と抱き合ってようと、お前には関係ないことだろ?」
「っ……それは……そうだけど」
「じゃあ、どうして覗いた」
「……だから、それは……」
「それは、なんだ」
立ち上がってこちらに近づいてくると、そのまま上から見下ろされた。
……腹が立つ。
そんなふうにしないでよ。
何? その顔。
「……偉そうに」
「…………なんだと?」
「あ」
つい、思ったことが口に出ていた。
ぴくっと反応を見せた綜に慌てて首を振るも、今さら遅い。
ずいっと迫られて思わずあとずさりするけれど、すぐに棚へと背中が当たった。
ガシャっと小さくガラスの音が響く。
……な……何よ。
ギリギリまで顔を近づけられ、情けなくも顔が赤くなるのがわかった。
途端に、彼が口元を上げる。
……ものすごく悪人の笑みね、それ。
悔しくて唇を噛むと、簡単に顎を取られた。
「……な……」
「なんだその顔。……期待した?」
「っ……!」
ふっと鼻で笑われたかと思いきや、聞こえたのはいつもの彼ではなく、嘘くさい綜の声。
つい小馬鹿にしたように笑われたのが頭にきて、悔しさが先に出た。
「馬鹿!!」
どんっと力任せに彼を突き飛ばす。
――が。
「精一杯の抵抗のつもりか? それが」
「うるさいわね! 関係ないでしょ!?」
綜は、一歩後ろに下がった程度で、まったく効果はなかった。
でも、途端顔色を変えて真剣な顔をされ、どきりとする。
っ……何よ、その顔……。
ひときわ大きく鼓動が響いたものの、視線を逸らすことができない。
いつも、そうだ。
……悔しい。
なんでも知ってる顔して、私が何もできないって思ってて。
「期待なんかしてないわよ! 私は、綜の思い通りにはならない。ほかの子とは違うんだから!」
口から出たその言葉は、強がりだったのだろうか。
言ってから我に返り、なんとなく気まずさが浮かんでくる。
ううん、ダメよ。
そんな弱気じゃ、この人に勝てない!
「っ……!」
「有言実行、してみろよ」
「……は……。は!?」
「俺の思い通りにはいかないんだろ? だったら、態度で示してみろ」
「な……何――……ッ!」
ぐいっと肩を掴んで引き寄せられたかと思った、途端。
いきなり唇を塞がれた。
身体を押しのけるものの、しっかり腕をつかまれているせいか、まったく身動きができない。
深くまで舌で撫でられ、身体から力が抜ける。
な……によ、コレ。
耳に届く、荒い息遣いと濡れた音。
それで、今自分が彼にキスされているんだということを実感させられる。
「っ……ふぁ」
ようやく解放されたときすでに、ちゃんと立てなくなっていた。
足が言うことを聞かない。
背中から腰のあたりがびりびりして、変な感じが抜けない。
……何? これ。
「キスでこの程度じゃ、お前の思い通りになんていきそうもないな」
「っ……な……によ、偉そうに。そんなことない、もん。……ちょっと、身体がついてかないだけ」
半ばもたれるようにしながら息をつくと、綜が小さく笑った。
その顔は、やっぱり腹が立つ顔。
だけど、ちょっとだけカッコよく見えた。
「上等だ、佐伯優菜。……俺に屈せず耐えてみろ」
やけに余裕綽々で言い放ったその顔は、今まで見たどんな彼よりも楽しそうな顔だった。
「ん、んっ……!」
ぞくりとする何かが、身体に広がっていく。
それが、綜に触れられた場所からということだけはわかった。
服の擦れる音が耳に入るたび、それだけで頭が朦朧とする。
思考が、うまく働かない。
ちゃんと、身体が動かない。
だけど、今自分がどういう状況に陥っているのかだけは、ちゃんと理解している。
「……は……ぁ、んっ……!」
隣からは、相変わらず音のバラついたきらきら星。
そして、それに交じって聞こえてくる、楽しそうな他愛ない会話。
いつもならば話に混ざる私だけど、さすがにこの状況下では身動きが取れなかった。
「……どうした? 随分すんなりと言うこと聞いてるな」
「き……いてなっ……い……! ただ、力が……入らないだけだもん」
黒い革張りのソファに身体を預けながら彼を睨むと、小さく笑ってからネクタイを外してボタンを外した。
……頭が、馬鹿になってるのかもしれない。
そういうひとつひとつの仕草が、イチイチ目に付いて離れなくなっていた。
しかも、それを見ながらちょっとイイ男とか思っちゃってるんだから、もう手に負えない状況なのかも。
「とても、純な女子高生とは思えない格好だな」
「……誰のせいよ……」
「自分のせいだろ」
「何を――っ……ひぁ!?」
びくっと身体が震え、たまらず声が漏れる。
ホックを外されるとき、背中に当たった彼の手。
ただ触れられただけなのに、やけに身体が妙な反応を見せる。
言うことを聞かない。
自由にならない。
今まで味わったことがない状況で、自分自身もいろいろなことに順応できなかった。
「っ……ぅ……」
綜の顔が近づいたかと思いきや、いきなり首筋へ唇が当たった。
途端に、身体からがくっと力が抜ける。
な……っ……!?
自分でも、びっくりするくらい息が上がって、身体が重くなる。
「……ぁ……やぁ……」
抵抗するように、彼に当てられている手のひら。
だけど、力が入らないせいでわずかに震える程度の抵抗のみ。
それがもどかしいんだけれど、自分ではどうしようもなかった。
「あっ……ん……!」
耳をいきなり舐められ、変な声が漏れる。
……うーっ……!!
「……ちゃんと目を開けてろ」
「む……りっ」
「……ほぅ。それじゃあ、その時点でお前の負けだな」
「な!? ちょ、ちょっと! それはちが――」
「じゃあちゃんと開けてろ」
「っ……わかったわよ!」
平然と言われて彼を睨むも、まったく動じずにブラウスを脱がされた。
「なっ!?」
「邪魔だ」
「じゃ……!? は、っ……ぁ……!」
腕を折っているので、そこで引っ掛かったブラウス。
だけど、ブラはとっくにホックを外されているワケで。
「っわ……!?」
「……イチイチうるさい」
「そ、そういう言い方、な――……ぃん……っ」
喋り終える前にキスをされ、言葉が途切れる。
と同時に、身体が震えた。
突然胸に感じた、違和感。
やんわりと胸の輪郭を指でなぞられてから、包まれるように手のひらが当たる。
……こんなの、知らない。
っていうか、これって、あの、その――……いわゆる、えっちってヤツでしょ?
あんなキスしたのですら初めてだという私に、普通の反応なんてできるはずない。
「っん……! んっ……あ」
口を塞がれた状況ながらも、漏れる声。
微妙にそれがくぐもって聞こえて、余計淫逸に聞こえた。
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