翌日の月曜日。
 朝礼では、当然のように校長先生が母の日を題材に話をした。
 最近の子どもたちってのは、抱えているモノが様々。
 離婚していたり、再婚であったり、中には死別なんてのもあったり。
 この学校のそばには児童養護施設があるので、そこから通う子もいる。
 虐待であったり、家庭環境であったり、様々な理由から。
 ……それでも。
 生んでくれた人がいるから、自分は今ここにいる。
 そのことをわかってほしい、と昔からこの校長先生は口にしていた。
 命の大切さ。尊さ。
 同じものは決してない。
 君という名前を持つ人間は、世界中どこを探してもひとりしかいないんだから、と。
 子どもたちにこの言葉の大切さ、重み、伝わるといいよな。
 そう思うから、この手の話のあとはほかの教員もクラスに戻ってから少し自分なりに話をすることがあった。
 かくいう俺もそう。
 せっかくだから、俺の場合は昨日あったお袋の電話を少し絡めて話をした。
 もちろん、葉山の名前は出さずに。
「……ちょっといいか?」
 2時間目が終わった、中休み。
 子どもたちの声が響きだした中1階の相談室へ向かうと、まだ相談に来てる子はいないらしく、葉山が窓際で校庭の様子を見ていた。
「おはようございます」
「おはよ」
 俺を見てにっこり笑ってくれた葉山に、やっぱり人をすんなり受け入れてくれるな、と感心する。
 だから、相談室を利用する子どもがあとを絶たないんだろう。
「昨日、お袋から電話あったよ。わざわざ、カーネーションとマグ送ってくれたんだって?」
「ほんの少しなので、申し訳ないんですが……お電話までいただいてしまって」
「いやいやいや。すっげー喜んでたよ。ものすごい勢いで朝っぱらから電話してきた」
「……着いてすぐに連絡くださったんですね。嬉しいです」
「ありがとな。気を遣わせて、悪い」
「とんでもない! 喜んでいただけたみたいで、本当によかったです」
 ドア口にもたれたまま笑うと、すぐ目の前まで歩いてきてくれた葉山が両手を胸の前で重ねて嬉しそうに微笑んだ。
 心底ほっとしてるような表情に、人柄がよく表れている。
「お袋、夢だったんだよ。あんなふうに、自分好みの母の日プレゼント貰うの」
「そう……なんですか?」
「ああ。昔、結婚してたっつったろ? そんときはさ、一切そーゆーのやんなかったから。ムダに憧れてんだよなー。誕生日とか母の日とか、嫁から貰うってのに関して」
 まぁ、当時一切やらなかったから余計そうなっちまったってのもあんだろーけど。
 今回は葉山からとはいえ、恐らくお袋にとっては嫁から貰った同然みてーに思ってんだろうな。
 嬉々として花に水をくれてる姿が目に浮かんで、ちょっと笑えた。
「結婚したときいろいろ揉めてさ、ずっと実家に寄り付かなくなってんだよ、俺。こないだは……何年ぶりだ? それこそ2年ぶりくらいに帰った」
「そうなんですか?」
「ああ。……親父に嫌われてんだよ。俺」
 親父。
 その言葉を口にするだけで、苦笑が浮かぶ。
 ずっとまともに姿を見ていないせいか、思い浮かぶのは後ろ姿だけ。
 頑固で、クソ真面目で、曲がったことが嫌いで。
 だから許せなかったんだろう。
 軽はずみな一時の感情で、結婚式を挙げた俺が。
 金を無駄にして、相手の家もウチの身内も傷つけた、なんて責任感じてるんだろうな。
「……お父様、鷹塚先生のことずっと心配なさってるそうですよ」
「え?」
「毎年、父の日にはお酒をプレゼントされてるんですよね?」
「……あー……」
 そんな話までしたのか、あのお袋は。
 確かに、一応の義理みてーなモンで父の日と母の日には何かしら送っている。
 就職してからは、ずっと。
 さすがに誕生日には何もやってないが、お袋にはメールで『おめでとう』ぐらいは言ってやっている。
 ……親父にはしてねーけど。
 つか、親父がメールを使えてるかどうかすら俺は知らないから。
「毎年送られてくるお酒、楽しみにしてるそうですよ」
「っ……親父が?」
「はい。毎日、大事そうにちょこっとずつ飲んで……終わってしまっても、瓶は捨てずに取ってあるって仰ってました」
「…………嘘、だろ……?」
 まったく知らなかった、驚愕の新事実とはまさにコレのこと。
 にっこり笑う葉山を見ながら、目を丸くして口に手を当てる。
 ……あの、親父が?
 散々親不孝だの顔も見たくないだの言った、あの、親父が?
 楽しみにしてるって…………マジか。
「ご存知なかったんですか?」
「ああ。……全然知らなかった」
 あまりの反応に、葉山も驚いたんだろう。
 こちらの顔を伺うかのようにされ、何度もうなずく。
 すると、1度唇を開いてから、にっこりと結び直した。
「酔うと、いつもお母様に話すんだそうです。いつ帰ってくるんだ、って。ちゃんとやってるのか、って」
「っ……」
「お父様、鷹塚先生のことをとても気にかけてらっしゃるそうですよ」
 ……あの親父、が。
 俺のことを呆れたように見たのに。
 遠ざけて…………煙たがってたのに。
「っ……鷹塚せんせ……!」
「……わり」
 んだよ。そんなの全然知らねーぞ。
 つーか、直接言えよ。
 ……無理だろーけど。
 ……………それでも。
 俺の知らないところで、俺のことを考えてくれていた。
 親ってのは、やっぱり偉大なのかもしれない。
 こんな――……親不孝しかしてない息子なのに。
 孝行らしいことなんて、何ひとつできてないのに。
 口ではいつだって憎らしいようなことしか言わないのに……なんだよ。そんなふうに思ってたのかよ。
「……わり。カッコ悪いな」
 思わず零れた涙を拭い、目を閉じる。
 ……年かもな。
 いい加減、ヤキが回ってるのかもしれない。
 この間の結婚式でさえ、まったく涙なんて出なかったのに。
「そんなことないです」
「…………」
「いいご家族ですね」
「っ……」
 聞こえるのは、穏やかで優しい言葉。
 温もりのある、声。
 ……コイツはすごいな。
 慰められたら、どんどん泣きそうだ。
「……はー……」
 手の甲で目元を拭い、顔を上げる。
 それからふと葉山を見ると、笑顔にも関わらずその瞳が潤んでいた。
「……なんで……」
「た……かつか、せんせ……」
「お前が泣いてどーすんだ」
「……すみません」
「っは。……優しいな、ホント」
「鷹塚先生が、優しいからですよ」
 瞬間、ぽろっとドラマか何かみたいに涙が頬を伝った葉山の頬に手を伸ばす。
 何泣いてんだよ。
 今誰かが見たら、間違いなく俺が泣かしたって思われるだろ。
 どんだけ優しいんだ、お前は。
 ……でも、共感ってのはこういうことなんだろうな。
「はー……。しょーがねーな。素直じゃねー親父持つと、息子は大変だ」
「すてきだと思いますよ?」
「葉山は見てねーからンなこと言えんだぞ」
 すてき、なんて言葉は似合わない。
 頑固一徹で、それこそまるであの有名野球漫画の親父みてーなんだから。
「ホントはさ、今年は煎餅でも送ってやろうかと思ったんだけど……それじゃ、酒にしとくか」
「今から待ってらっしゃるみたいですから」
「……ったく。素直じゃねーな」
 いつもと同じ顔とテンションに戻し、笑ってから――……葉山の頭に手を置く。
「ありがとな」
「っ……とんでもないです」
「とんでもあるって」
「……鷹塚先生」
 よくできた嫁になるぞ、お前。
 案の定べらべらと余計なことまで喋り倒したお袋には、あとでひとこと電話しとくか。
 あんまし余計なこと喋んな、って。
 ……まぁでも、恐らくは電話した途端葉山の褒め言葉が羅列しそうな気がするんだけどな。
「ホント、お前はすげーよ」
「そんなことないですよ! ……そんな……もったいないです」
「いやいやいや。小枝ちゃんが褒めてたぞ? 若いのにしっかりしてる、って。プロだな、プロ」
「……ありがとうございます」
「また、何かあったら頼むな」
「私でよければ、いつでも仰ってください」
「サンキュ」
 にっこりと微笑んでうなずかれ、当然悪い気はしない。
 軽く手を上げてから離れ、職員室へ。
 そのとき、後ろから『葉山せんせー』という大きな女子の声が聞こえて振り返ると、ほかのクラスの6年女子が楽しそうに葉山の前で輪を作っていた。


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