「……あのなー。もう勘弁してくれよ」
 母の日があった週の、土曜日。
 昨日の夕飯は、冷蔵庫が空っぽでカップ麺だった俺。
 あるのは、調味料だけというまるで何かのチャレンジでもしてんのか、と突っ込みそうになる……が。
 財布に金が入ってなかったのが致命的だったのかもしれない。
 ……まぁ、別にカードで支払いしてもよかったんだが、カップ麺があるならいいかと買い物に行かなかった……のが、悪かった。
 食ったは食ったが、ものすごく腹が減って結局寝るに寝れなかったほど。
 そこで、ようやく出た給料を早速下ろしがてら服でも買うかと近所のモールへ行ったら、とんでもないヤツに捕まった。
 金髪くるくるパーマ。ショートパンツ。そしてそして、極めつけはパンダみてーな顔。
 なんなんだお前は、と思わずつっこんでしまいたくなるような格好をしている、見たまんまのギャルに。
「つーか、何。お前暇なの?」
「え、暇。ちょー暇」
「……あ、そ」
 土曜日の昼すぎとはいえ、当然まだまだ客足は多い。
 家族連れしかり、友人連れしかり、恋人しかり。
 ……だが。
 少なくとも俺はそのどれにも分類されないツレを連れている。
 というか、無理矢理ツレになられてる。
 ……なんでだ。ここには俺ひとりで来たのに。
「あのな。腕に絡むな。歩きづらい」
「えー、いーじゃん。ね、ね、こうしてるとさ、恋人みたいじゃない? あはは! ウケるー!」
「うけねーよ」
 ATMで金を下ろして、そんじゃ服屋へ――……と通路に出た途端、正面遠くのほうから『あーー』というものすごくデカい声とともにコイツが走ってきた。
 見つかった、とは思っちゃいなかった。そのときは。
 一瞬、何が起きたかわからなかったんだから。
「つか、俺まだメシ食ってねーんだよ」
「え、じゃあさ、マック行こうよ。マック」
「なんでお前とマック行かなきゃなんねーんだよ。やだよ、俺は」
「えー、いいじゃんいいじゃん。ねー、せんせーってばー」
 先生。
 ……そう。
 この、俺の左腕にしがみつくようにしてズルズル歩いているのは、俺の元教え子。
 …………教え子。
 最近その言葉でピンと来るのは葉山なんだが、あの教え子とは発育課程で随分と大きな違いがありすぎる。
 仰る通り、先生でした。俺は。
 でもな。
 数年前はお前だって、つやつやのおかっぱおめめぱっちりのかわいい素直なヤツだったのに。
 どうした。
 いったいこの数年の間に何があった、と聞きたいが聞いていいのか正直迷う。
 ……までもなく。
「お前、どうしたんだよ。卒業式ンときは泣いてただろ? 昔は、あんなに素直でかわいかったのに」
「えー。何それー。それじゃ、今じゃ素直でかわいくないみたいじゃん」
「かわいい……かぁ? なんだその顔。まつげすげーな」
「あ、コレ? ツケマ」
「……は?」
「ツケマ。やだ、先生知らないの? 付けまつげだよー」
「あー……そう」
 俺にとってはどーでもいい情報をありがとう。
 ツケマでもなんでもいいんだが、すげーな。ばっさばさしてんぞ。
 しかも、目の周りはぐりぐりと塗りつぶされたかのように黒い。
 ……パンダだな。パンダ。
 そう思うと、新しい生き物のように見えてかわいく見えないこともないが。
「化粧に目覚めちった」
「目覚めなくてもよかったんじゃねーのか? いっぺん落としてみ? 多分、普通にかわいいから」
「えぇ!? やだよ! つか、無理! マジ無理!! スッピンとかありえないから!」
「なんでだよ。そんな化粧ならしねーほうがいいぞ」
「いいの! ウチはコレが好きなの!」
「あ、そ」
 そっちに向き直って顔に手を伸ばすと、いきなり慌てたように思い切り首を横に振った。
 落としたほうがいいと思うんだけどな。
 目ぇぱっちりしてんだし、問題ねーだろに。
 そもそも、まだ高校生だろ?
 化粧いらねーじゃねーか。
「……つーか、あんまべたべたくっ付くなって」
「いーじゃん、別にー。ね、ね、彼女いないの? まだ?」
「うるせーな、いいだろ別に」
「よくないっしょー! 可哀想だから、ウチ付き合ってあげよっか? え、なんだっけ。ボランティア?」
「ボランティアかよ! どんだけ俺はかわいそうなんだ。つか、かわいそうじゃねーし!」
「えー、なんでー。ダメー?」
 とんでもないセリフで、思わず噴き出す。
 かわいそうって失礼だぞ、お前。
 俺は別に彼女がいないからってなんとも思っちゃいないし、ああ俺ってかわいそうなヤツだなんて思ったこともない。
 そう思ってないヤツに対して『かわいそう』なんて、失礼至極だ。
「だいたい、俺がギャル連れてたら『いかにも』だろ?」
「だよねー。せんせーって、先生らしくないよね。なんか、ガテン系ってかオラオラ系ってかー。あ。なんか、大工とかやってそー」
「あー。よく言われる。まぁ、知り合いには多いけど。左官屋とか」
「あ、やっぱし? え、じゃバイトとかすんの?」
「あのな。俺がバイトしたら教師クビだっつの。公務員はバイトしちゃいけないの」
「そうなの? えー、マジで。じゃあ先生、貧乏じゃん」
「貧乏じゃねーよ。失礼だぞお前」
 マジうけんだけどー、と言いながら器用に腕を組んだまま手を叩くのを見て、思わず顔を指差して眉を寄せる。
 だが、まったく気にしない。
 ……あー。この辺は昔から変わってないのかもな。
「だからー。くっつくなって! ギャルは嫌いなんだよ、俺」
「えー! なんでー? かわいいじゃん」
「いや、かわい……くねーだろ。なんでこんなに目の周り真っ黒なんだよ。パンダか!」
「あはははは!! パンダだって! ちょ! ウケるー」
「いやいやいや、ウケねーし」
 あっはっは、と思いきりデカい声で笑うのを聞いてか、通行人やら何やらからの注目がハンパない。
 やめろって、ホントに。
 わんさか山のようにとはいわないが、教え子がこれでも割といる現在。
 まだ地元であるこの辺をウロウロしてるとしたら、見つからない確率は低い。
 イコール、妙な誤解されるだろ?
 相手が教え子でそいつに絡まれてるとわかればいいが、これじゃものすごい年下のギャルに手を出した、もしくは援助交際? 的な。
 あーーーーめんどくせ。
 そうは思うが、まぁいいかと半ば諦めているのもある。
 相手が教え子だからこその考えだろうが。
「えー、じゃあ先生ってどんな子がいいの?」
「そうだな……ほら、かわいい子」
「すっごいアバウトじゃね? ウチだってかわいいじゃん」
「そーゆーかわいいじゃなくてもっと、こう……キレイかわいい子」
「あー、アレ? 姉系ってヤツ?」
「いや、知らねーけど」
 分類やら呼び方はまったく知らないが、格好でいえば……そうだな。
 この辺の店の服とかを着こなすようなタイプがいい。
 ギャルじゃない。ジャラジャラしてない。原色じゃない。妙な英語がプリントされていない。
 如いていえばこんなところか。
 ぱっと見て目を惹かれるような、ねーちゃんがいいんだよ。
 ……まぁ、一歩間違えたらどっかの店のねーちゃんになっちまいそうだが。
「……あ! ほら。ああいう人でしょ? あーゆーおねーさん系」
 ふーん、とか言いながら腕に掴まってあたりをキョロキョロしてると思ったら、デカい声でびしっと指を差しやがった。
 人を指差すな、って昔俺教えなかったか?
 慌ててその指を掴んで下ろすものの、とりあえずそっちに顔が向く。
 かわいらしい、ハートやら何やらを象った雑貨がずらりと並ぶショップ。
 その店先に、こちらへ背を向けて立っている子がひとり。
 つやつやしてる、長い髪。タイトなミニスカート。
 そして――……そこから伸びる長い足。
 ……うん。
 もう少し前に屈んだら、危うく見えるぞ。
 なんてことを考えながら見ていたら、『でっしょ?』と腕を引かれた。
「……あー、そーそ。ああいう子。ああいう感じにさ、きれいにしてんと――……」
 くるり。
 今まで見ていたその子が、こちらを振り返った。
 手に、白いマグカップを持って。
「うわ!?」
 思ってもない人物に、思わずデカい声が出るとともに足が止まる。
 ……マジか。
 どっかで見たことあるな、って思ったんだよ。
 もしかして、って思ったんだよ。
 ……俺が好きな格好してたから。
 後ろ姿からして、俺が好きなタイプのかわいい顔してるだろうな、って思ったから。
「え? なになに? 知り合い? もしかしてっ!」
「なんでお前が楽しそうなんだよ! あ、おい、離れろって!」
「えー、いーじゃんいーじゃん。こうしてたら、ウチら付き合ってるみたいに見えるよ?」
「見えねーって! よせ!」
「いーじゃん!」
 絡んでいる腕を解こうとしたら、かえってしがみ付いてきた。
 わしっと爪を立てるように掴まれ、窮屈というよりは痛い。ハッキリ言って。
 しかも、なんだその顔。
 まるでどっきりテレビみてーなものすごく楽しげな顔に、ため息と一緒に呆れが出る。
 だが、目標を定めたコイツは止まらなかった。
 俺を引っ張る形で、ずずいとそちらへ歩み寄る。
 ……そう。
 ひとりで買い物を楽しんでいる、葉山その人へ。
「……っ……え。鷹塚先生……!」
「よ。奇遇だな」
「こんちはー」
「こんにちは」
 さっき手にしたマグカップを元に戻しつつも何やら考え込んでいた葉山の隣へ、引きずられる格好で登場。
 途端、驚いたように瞳を丸くして俺とコイツとを見比べた。
 ……それでも、コイツの偉いところがひとつ。
 俺だけじゃなく、コイツにもちゃんと笑顔で『こんにちは』を言ったところだ。
「え、と……妹さんはいらっしゃらないですよね?」
「えー、ひどーい。彼女だしー。妹じゃないしー」
「どっちも違うだろ、お前は」
 ぶーぶーと唇を尖らせて反論したのを見て、すかさず額にデコピンする。
 いい音したな、お前。
 『いだーい!!』と両手で額を押さえたのを見て、思わず苦笑が浮かぶ。
「いーじゃん! 彼女になってあげるってば!」
「あー、ダメダメ。俺、教え子に手ぇ出さない主義だから」
「えー! なんで! だって、ウチもう高校生だよ!?」
「何歳なっても同じだっつの。気持ちの問題」
 食ってかかってきたのを片手で制し、肩をすくめる。
 それから葉山に向き直り、ぽんぽんとパンダ……じゃなかったギャルの頭に手を置くと、やっぱりまた苦笑が浮かんだ。
「教え子だよ、コイツも。葉山とは随分違うけどな」
「……あ……。えっと、一緒にお買い物とか……ですか?」
「いや。全然違う」
 普通の顔で普通に聞くな、そんなことを。
 つーか、よくもまぁこの状態を見て普通の考えが浮かぶな、お前は。
 いろんな意味で動じないってのは、すごい。
「…………」
「…………」
「……えっと……じゃあ、私はこれで」
「あ!? いや、待て! 待て葉山!!」
「きゃ!?」
 にっこり笑ってアイコンタクトを送っていたつもりが、どうやらまったく届いていなかったらしい。
 不思議そうな顔をした葉山がぺこりと頭を下げそうになったのを見て、慌てて腕を掴む。
 相変わらず細いな、お前は。
 食ったモノはどこに蓄積されるんだ。
「わり。中山、これから俺用事あんだ」
「えー。なんのー? てか、今この人めっちゃ帰ろうとしてたじゃん」
「いやいやいや、これから……なっ! メシ食い行くんだよ。メシ!」
「えー! ウチも行くー!」
「行かない。お前は帰れ」
「なんでー!? ずるいじゃん!」
 な、と葉山の顔を覗き込んで強引に迫ると、苦笑を浮かべながらもうなずいてくれた。
 さすがは、空気を読む達人。
 俺の事情は理解してもらえたらしい。
 だが、一向に『はい』と言わず一歩も食い下がろうとしないギャルに、果たしてどう言ったらいいんだろうか。
 何を言えば諦めるか。
 ……と考えてはみるものの、そう簡単に答えは出ない。
 …………。
 あ。
「だからー、こっから先は大人の時間なんだよ」
 ようやく空いた両手で葉山の肩を掴み、顔を寄せて『な』と笑う。
 すると、曖昧な表情ながらも俺を見て小さく笑った。
「大人ぁ……? え、なんかヤらしくない? それ。うっそ、え、そゆこと?」
「そゆこと。じゃ、そゆことで。またな」
「えー、先生やばいんじゃない? いいの? ヤっちゃうの?」
「うるせーな。連呼すんな! 恥ずかしい!」
「まじで! うっそ、ウケるんだけど!」
「だから、ウケねーって!」
 一気にテンションアップ。
 わくわくきらきらという眼差しで見られた上に、これまたでっかい声のおまけ付き。
 たまらん。
 なんだこの生き恥は。
 ここを教え子やら同僚やらが通っていたら、とんでもないことに発展しそうだ。
 ……まぁ唯一の救いは、すでに葉山が成人しているという点か。
「っ……あ……」
「行くぞ」
「え、あ、はい……?」
 せんせーがんばってねー! と、後ろから聞こえたような気がしないでもないが、葉山の腕を取ったままずんずんと振り返らずに進む。
 とりあえず、一難去った。
 ……つってもまぁ、肝心の買い物は何ひとつできてねーんだけど。
 そして――……この、彼女。
 人がいい所に付けこんで、ものすごい無茶をさせてしまった。
 …………反省。しても、しきれない。
「…………」
 ちらりと首だけで後ろを振り返ると、ギャルな教え子の姿は見えなくなっていた。
 さすがに尾行したりはせず、大人しく自分の行動に戻ったらしい。
 ようやく胸を撫で下ろし、早足だった歩みがゆっくりと……止まる。
 今、まず俺がしなければいけないことはただひとつ。
 この、手を引っ掴んだまま無理矢理時間を奪い取った葉山に、謝ることだ。


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