「……っとーにごめん!」
 パン、と手を叩いて合わせ、下げた頭の上にする。
 だが、葉山は慌てたように声をあげた。
「あの、本当に大丈夫ですから。気にしないでください」
「いやいやいや、気にするだろ! ごめんな、無理矢理あんな猿芝居に付き合わせて」
「いえ。少しでもお役に立てたのなら、それで……」
「っ……お前、ほんっといいヤツだな」
「えっ。そんなことないですよ?」
「いやいやいや。あるから。マジで」
 笑みを浮かべたままゆっくりと手を振る姿を見て、思わずため息が漏れる。
 どんだけいいヤツなんだ。
 それとも、俺に甘いのか。
 どちらにしろ、ものすごく助かってるワケだ。
「ありがとな。すげー助かった」
「よかったです」
 身体を起こして笑みを見せると、葉山も笑ってうなずいた。
 ずんずんと随分歩いてきてしまい、最初に葉山がいた店からはかなりの距離がある。
 つーか、モールってなんでこーもデカいんだろうな。横に。
 歩き回るだけで、いい運動だぞ。軽く。
 ここは、その中でも各通路ごとにある案内図が置かれている、少しだけ広くなっている空間。
 ……さて。
 俺の勝手で連れ回すワケにはいかねーが、ここまでした責任は取る必要がある。
「葉山。今日はひとりか?」
「はい。……私、買い物はひとりじゃないとダメなんです」
「……そうなのか?」
「そうなんです……おの、あちこちのお店をふらふら見ながら行くので、途中で見た商品と比べてやっぱり……ってなると、元のお店に戻ってしまったりして。……人を待たせるのはあんまり好きじゃないんです」
「へぇ」
 てっきり、友人らと買い物に来るんだとばかり思っていたので、意外だったといえば、意外。
 だが、後者は納得。
 人を思いやって、人のためにと思うところはやっぱりコイツらしい。
「でも、アレだぞ。あんまお前、ひとりになんねーほうがいいぞ」
「え?」
「自覚したほうがいい。すげぇかわいいし、きれいだし……人目惹くだろ? 声だってかわいいし、仕草も――」
 は。
 まっすぐ見つめたままさらさらと出て来た言葉に、我ながらびっくりした。
 ……なんだコレ。
 これじゃまるで、告白してるみてーじゃねーか。
「っ……だからつまりな? ナンパされんから、気をつけろって話」
 ふいと顔を逸らし、口をつぐむ。
 すると、葉山が小さく笑って『気をつけます』とうなずいたいたのが目の端に見えた。
「で? 今日は何か目的があって来たのか?」
「……え、と……実は、卒業して初めていただいたお給料で、何か買おうかなって思ったんです」
「あー、なるほど」
 初任給。
 そういえば、遠い昔に俺もそんなモノを貰った覚えがある。
 ずっとわくわくしてて、すげー楽しみだった。
 額がどうのっていうよりは、バイトと違う、『先生』で貰える給料ってのがミソだったんだよな。アレ。
「それで、せっかくだから何か形に残るものを……と思って探してるんですけれど、なかなか見つからなくて」
「……なるほど」
 優柔不断ですね、なんて苦笑を浮かべた葉山を見て、こっちは笑みが浮かぶ。
 俺もこういう顔してたのかな。
 こんなふうに、楽しみでうずうずしてるって顔を。
「俺も買ったよ。昔、初任給で」
「え、そうなんですか?」
「ああ。コレな」
 そう言って見せるのは、右腕にある腕時計。
 ずっと右利きなんだが、板書する際あからさまに時計を見ることができないため、教師になってからはずっと右手に腕時計をはめている。
 さすがに秒針の音は聞こえてこないが、当時流行だったクロノグラフ。
 新任が持つにはちょっとばかしイイ値段だったが、それでも、この先何十年も使うと決め込んで給料をはたいてしまった。
 だが、今はそれでよかったと思う。
 壊れることなく、10年以上も俺と一緒に何人もの児童のために働いてくれてるんだから。
「……あ。もしかして、私たちに見せてくれた……」
「お。さすがは葉山。よく覚えてるな」
 そう。
 これを購入した翌日、教室で咳払いをしながらちらちらと右腕をアピール。
 子どもたちは最初ものすごく訝しがっていて、ただ単に『先生、風邪?』とか言うヤツも中にはいたが、ひとりが気付いてしまえばあとはこっちのもの。
 伝染するようにデカい声が響き、すぐに『見せて!』と集まってきた。
 ストップウォッチ機能を教えれば、男子は『触らせて』と弄り倒し、女子は女子で『デザインが』とか『色が』とか口にしていた。
 そのとき、葉山は――……どうしてたかな。
 …………あれ。
 そういやあンとき、葉山……来なかった、よな。
 ほかの子たちが、わーっと集まってきたとき。
 なんか、目を輝かせて近寄ってきてたイメージがない。
「葉山さ、あンときって……もしかして我慢してた?」
「はい?」
「ほら。俺が時計自慢したとき」
 先日彼女が話してくれた、当時の彼女が自分なりに定めたルール。
 それを思い出して訊ねると、わずかに目を丸くした。
「なんかさ、葉山はあとで来た気がするんだよ。ほかの児童がいなかったときに」
「……鷹塚先生、よく覚えてますね……」
「まぁな。ほら、確かコレ外して着けたろ? ぶっかぶかだなー、なんて言った覚えがある」
「っ……パーフェクトです」
 思い出そうとすれば、より鮮明に浮かんでくる記憶。
 多分、昼休みか放課後のどっちか。
 教室で日記の感想書きしてたところに葉山が来て、ひとこと『時計かっこいいね』なんて言ってくれたんだよ。
 それで気をよくした俺は、時計を外して着けさせたんだよな。
 『いいよ!』って遠慮する葉山を、まあまあと説き伏せて。
「……っ」
「効果絶大だな、お前の作戦は」
「……褒められて、ますか?」
「褒めてるよ?」
「ありがとうございます」
 頭を撫でると上目遣いで苦笑を浮かべた葉山に、それはそれは大きくうなずく。
 すると、ようやく小さく笑ってから彼女らしい感謝を表した。
「つーワケでだ。ヘタな置物とかにするくらいなら、時計とかいいぞ。仕事でも絶対使うし」
「そうですね……時計。そういえば、持ってなかったです」
「だろ? ときどき、携帯で時間チェックしてたの、俺は知ってる」
「っ……! ご存知だったんですか?」
「まぁな。ダテに葉山先生チェックしてねーぞ」
「……ぅ。恥ずかしいです……」
「まぁ、学生ならそのクセ抜けなくてもいいんだけどな」
 職員室に居るときはほとんど見られないが、それでも何度か葉山が携帯で時間をチェックしたり、壁にかかっている時計を見上げたりしているのを見たことがあるから、つい手首に目が行って。
 だが、そこになかった腕時計。
 それでまぁ、合点が行ったワケだ。
「時計にします」
「いいのか?」
「はい」
 ここまで半ば無理矢理に勧めておいて『いいのか?』ってのはねーだろと思うが、一応本人の意思最終確認。
 それが済んだら、あとは実行のみ。
「っ……あ」
「向こうに、いい時計屋があるぞ」
「そう、なんですか?」
「おー」
 肩を叩いてそのまま引き寄せ、通路を挟んだ向こう側の道を戻る。
 時計屋というか、貴金属店といったほうが正しいかもしれない。
 ほかにも、アクセサリーなんかを扱っている店だった。確か。
「……お。アレな」
 ちょうど曲がり角にある、大きなスペースの店。
 余計な壁や柱がないせいか、一層大きく見える。
「……わ。沢山ありますね」
「だろ? 大いに悩めるぞ」
「あはは」
 幾つものショーケースは、品物ごとに分かれていた。
 店員らが常駐している前にあるケースには、高そうなアクセサリーが。
 そして、少し離れた店の入り口付近にはアクセサリーとともに、色とりどりの腕時計がある。
 メンズ向けのごっついのもあれば、当然ファッション性が高い女性向けまで。
 一瞬、ブレスレットと見まごうようなモノまであって、へぇと感想が漏れる。
「どんなのがいい?」
「えっと……あんまり小さくなくて、はっきり文字盤が読めるのがいいです」
「……らしいな」
「え?」
「葉山らしいよ。そーゆートコ」
 コイツならば、恐らくは今目の前にあるような腕時計は選ばないだろうと思っていたが、まさにソレ。
 ファッションよりは、機能。
 きちんと秒針まで付いているのを欲しがるんじゃないかと思ったが、読みどおりで笑みが浮かんだ。
 葉山のことなら、想像がほぼ当たりってわけか。
 我ながら、少しデキるな。
「ちょっと待ってろ」
 カウンター内で作業している、スーツ姿の店員。
 その内の、ひとり。
 懸命に帳簿と睨めっこをして在庫整理らしきモノをしている、にーちゃんの前に立つ。
「…………」
「……うわっ! 先生!?」
「よ」
「よ、じゃねーよ! うわ、すっげーびっくりした!」
 じぃーっと見つめたままでいたら、ようやくこちらに気付いた。
 だが、驚きすぎてものすごい顔とともに声をあげる。
 ……ま、ソレくらいやってくれたほうが俺としては嬉しいんだが。
「真面目に仕事してんじゃねーか。偉いぞ」
「当たり前っしょ。もう2年目」
「だよな」
 両手を腰に当てたまま褒めてやると、若干照れたような顔をしながらもこちらへ出て来た。
 コイツは、葉山のあとに受け持った教え子。
 今年成人式で、誕生日が来たら酒を一緒に飲む約束をしている。
 コイツもマメで、卒業後ずっと俺に年賀状だけは送ってくれていた。
 一度途中で途絶えてはしまったものの、そんなとき、偶然カラオケで会って。
 『先生、年賀状戻ってきたんだけど』って言葉に慌てて住所を教えなおし……たら、律儀にその後も送ってくれるようになった。
 そして、コイツが高校卒業の年にくれた年賀状へ書かれていた、就職先。
 それもあり、ちょくちょく顔を出すようになった。
 実際、この時計のメンテナンスなんかもしてもらっている。
「今日は別にからかいに来たんじゃねーぞ? 時計欲しいんだよ。女物の」
「え。何、先生やっと彼女できたの?」
「うるせーな。俺のじゃねーよ。ツレのだ!」
 そいつを連れたまま葉山の元へ戻ると、それに気付いて先に葉山が会釈した。
「どーも……って、え。えっ!? マジ!? 先生の彼女!?」
「そーそ。彼女」
「っえ……!」
「うわ、何。すっげぇかわいいじゃん! 先生やるね、やっぱ!」
「まーな」
 ものすごく驚いた顔をして葉山と俺とを見比べるヤツに、うんうんと胸を張ってうなずく。
 がっ。
 ひとり、葉山は違ったらしく慌てたように手を振った。
「ち、違います! そんな……彼女、じゃ……」
「…………」
「ぶ! 先生、すっげー否定されてんじゃん。うわ、ウケる」
「うけねーよ!」
 小さいながらも、しっかりと否定された言葉。
 途端にコイツが噴き出し、ばしばしと俺を叩き始めた。
 ……ち。
 黙っていればいいモノを。
「っ……!」
「なんだよ。あ? そんなに嫌か? 俺が彼氏じゃ不満か?」
「やっ、ち、違いますっ……けれど……あの、私なんかが……」
「なんか、じゃねーだろ! それは関係ない!」
「すみません……っ」
「……ったく」
 あんな思いっきり否定しなくてもいいと思うぞ?
 それに、こないだ言ってただろ?
 俺が初恋だった、って。
 現在彼氏募集中なら、素直に俺の彼女になってろっつの。
 ……ったく。
 正直すぎるのも問題だろ。
「で、だ。文字盤がハッキリ見える秒針つきのかわいい時計ってねーか?」
「秒針つきの? ……あー。それなら、こっちっすよ」
 こちらの注文を伝えると、途端に顔つきが変わった。
 すんなり案内されたのは、少し離れた場所にあるケース。
 その中から、いくつかを引き出して直接見せてくれた。
「こんな感じのとか……どーすかね?」
「……わ。かわいいですね」
「でしょ? 結構人気あるんすよ」
 当然だが、コイツも昔は背が低かった。
 それが、今では俺の肩より上になっている。
 ……で、目の前の葉山よりもデカいワケで。
「っうわ!」
「お前、成長したなー。ホントに」
「ちょ、何してんすか! 勘弁してくださいよ!」
「いやいやいや、マジで。なんか感動した」
 普通の顔して葉山に営業しているのを見たら、ああコイツは本当に大人になったんだなとしみじみ実感。
 じわじわと、まるで親みてーな気分が溢れてきて、ついつい頭を撫でていた。
「……ったく。ちょ、先生邪魔っす」
「何? 失礼だぞお前」
「今営業してるんスから、邪魔しないでくださいよ。成績あるんで」
「……あ、そ」
 しっしと手で払われ、仕方なくその場から離れる。
 ……楽しそうに話しやがって。
 言っとくけど、そいつも俺の教え子だからな。
「…………」
 あれこれと指差しながら話す葉山に、笑顔で受け答えする教え子、中沢。
 その様子を見ながら、なんとも不思議な気持ちになった。
 絶対にとは言わないが、それでもそう簡単に出会うことのないふたり。
 だが、まったく共通点がないように思えて――……実はある。
 どちらも、鷹塚級の児童だということだ。
 出身校こそ違うが、担任は俺で間違いない。
 そう思うと、不思議な……というか、なんだか達成感のような満ち足りた気分になる。
 多少なりとも、影響を与えただろうか。
 当時過ごした時間は、無駄にならなかっただろうか。
 自分と同じように年を経て、それでも自分とは違う劇的な変化を見せる、教え子たち。
 徐々に大人になる。
 当時子どもだった彼らは、みな一様に。
「………………」
 ……あー、なんか泣きそう。
 最近こんなんばっかだな。
 もしかしたら、年のせいかもしれない。
 そういえば昔、お袋もテレビの動物番組でよく泣いてたっけな。
「…………お」
 あちこちのショーケースを見ていたら、ふと目が留まったネックレス。
 値段も手ごろで、ぱっと見てある人物が思い浮かんだ。
 似合うな、って。アイツがしてたら、らしいよなって。
 そう思ったら、即行動。
「中沢ー」
「っ……なんすか」
「コレ、簡単でいいから包んでくれよ」
 姿を探すと、レジで会計しているところだった。
 どうやら、葉山も決まったらしい。
 椅子に座って何か記入しているその背中が見える。
「え? 何、プレゼントってヤツ?」
「そーそ」
「うわ、先生やるじゃん。これ、1本しか入って来なかったんだよ」
「へぇ」
「値段の割に造りが凝ってる、って先輩が言ってた」
「だろ? 俺もそう思った」
「あはは。相変わらずっすね」
「まーな」
 丁寧に、ショーケースから引き出してトレイへ載せてくれたネックレス。
 そのままレジへ向かい、会計を済ませる。
「決まったか?」
「あ、はい。……でも、鷹塚先生の知り合いだからって言って、少し引いてくれたんです」
「へぇ。よかったな」
「でもっ……! なんだか、申し訳ない気がして……」
「平気だって。サンキュ。あとで俺からも言っとく」
「お願いします」
 財布をバッグへしまった葉山の隣へ並ぶと、申し訳なさそうな顔を見せた。
 ちょうどそこへ彼が戻って来たので、早速声をかける。
「ありがとな。社割してくれたんだって?」
「まぁね。先生の彼女って言うから」
「っ……それは……!」
「サンキュ」
「こっちこそ、お買い上げありがとうございまっす」
 葉山が慌てたが、まぁその辺は冗談半分のリップサービスって所か。
 小さな手提げを両手で葉山に渡し、店員らしく感謝を口にする。
 大きくなったな、ホント。
 ……あー、やっぱ俺の場合は教え子の成長を見るのが一番の楽しみかもしれない。
「あ、はい。先生のも」
「お。ありがとな」
 ぽん、と手渡しされた小さな箱。
 それこそ片手で握れるほどの物だが、ご丁寧に青いリボンがかかっている。
「袋はいらないんだよね?」
「ああ。さすが、常連のことは覚えてるな」
「まーね」
 通路まで葉山を伴って出た所で、足を揃える。
「またな」
「ありがとうございます」
「こちらこそ。どうも、ありがとうございましたー!」
 最後に、にっと笑ってから大きな声で頭を下げられた。
 しっかりと、最後まで丁寧な接客。
 それが、この店のモットーだそうだ。
「……まぁ、何かあったらたまに使ってやってくれ」
 大事そうに袋を眺めた葉山を見て、小さく笑う。
 すると、コイツらしい笑みとともに『もちろんです』とうなずいてくれた。


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