「何がいい? ……つっても、烏龍茶しかねーけど」
「あ、いえ。おかまいなく」
「まぁ、そう言わず半分飲め」
 風呂上りに買ってきた、自販機の烏龍茶。
 茶の国に住んでた人間だからか、正直ペットボトルの緑茶はうまいと思ったことがない。
 だったら、烏龍茶か何か別のモノを飲む。
 何にこだわったところで、結局は大量生産。
 濃い緑だから緑茶なワケであって、茶色だったり薄い緑だったりの液体は緑茶じゃないだろう。
 ……まぁ、昔から深蒸しのお茶を飲んで育ったクセに、今じゃまったく家で淹れることのないトップを飾る飲み物だが。
 どの部屋もそうなのかはわからないが、自分に充てられた部屋はシングルベッドがふたつ並んでいる洋間と、その奥にテーブルが置かれている6畳ほどの和室がセットになっている。
 1番奥にある窓からは、海の縁を走る道の外灯が等間隔で並んでいるのが見え、幾つもの旅館と思しき建物の明かりがぽつりぽつりとついているのが見える程度。
 昼間だったら海が見えたんだろうが、着いたのもすでに日が暮れたあと。
 まだ薄い青の空が残っていたが、その下の海と昼間の強烈な日差しの下に広がる海とはまるで別物。
 俺が好きなのは、どこまでも遠く広がる澄んだ濃い青の海だ。
「すみません」
「いや。これしかねーしな」
 グラスの半分まで烏龍茶を注ぎ、彼女の座った斜め右に腰を下ろしてから置く。
 ……お前が教えてくれたんだよな。
 人と座るときは、目的によって座る位置を変えるのが正しいんだ、と。
 ビジネスや敵対を好む相手ならば、正面。
 仲良くなりたいと思う相手なら、斜め。
 より親密を求めるときは、隣。
 ……果たして、お前はそれに気づくか?
 さすがに、ほかに座る人間もいないこの状況で隣に座ることはしないが、だからあえて斜めに座る。
 気づけよ。
 俺がどう思ってるか。お前とどうなりたいか。
 相手はまったく鈍くない専門家だからこそ、グラスを見つめている横顔をうかがうように視線を向ける。
 あえて逸らしてるのか、それとも本当に何かほかのことを考えているのかは、わからない。
 ……だが。
「指輪はどうした?」
 すらりと細い指を絡ませるようにして、テーブルの上に置かれた両手。
 そこには、これまで何度も何度も目につくたびイラつく原因になっていた、あの指輪がなかった。
 俺が指摘したことに対して驚くかと思ったのだが、意外にも彼女の反応はあっけないもの。
 一瞬唇を開いたかと思いきや、そのまま笑みを残して結ぶ。
 意味ありげ。
 まさに、それ。
「外してきました」
「理由は?」
「必要ないから、です」
「…………」
 このときはまだ、葉山のセリフの意図がわからなかった。
 先日の自分の指示かとも思ったのだが、どうやらそれだけではない理由とやらがあるらしい。
 それも含めて話す、か?
 彼女の揺るぎない表情に、それ以上追求はしない。
 俺にできることはただ、待つのみだ。
「……ずっと、話さなければと思っていました」
 グラスに口をつけることはおろか手を伸ばすこともせず、葉山が俺をまっすぐ見た。
 いつもと違う顔。
 言うなればこの顔は、仕事モードってところか。
 ……俺のカウンセリングか? コレは。
 話してるのは俺じゃないんだけどな。
 だが、いつも葉山がしてくれたように、今度は俺がただ黙って見つめたままの相づちをくり返す。
 そうすることで、彼女の『話したいこと』がスムーズに出てくるだろうと思えたからだ。
「…………」
「っ……な……!?」
 ずっと合わせられたままだった視線がふいに落ち、彼女が両手を髪へ伸ばした――……途端。
 目が丸くなるどころか、驚きで声が詰まった。
 なんで、とか。どうして、とか。
 そんなセリフは出ない。
 ……そりゃそうだろ。
 ずっと『なくなった』と思っていたモノが、今、目の前にあるんだから。
「……お前……どういうことだ」
 ごくり、と小さく喉が動いた。
 高い位置に纏められていた髪を留めていたらしき、シュシュ。
 それを外した途端、さらりと音を立てて髪が肩へ落ちた。
 ……そう。落ちたんだ。そこに。
 今まで……いや、つい先日消えてなくなったとばかり思っていたモノが。
「……なんで……だ? 切ったんじゃなかったのか?」
 彼女の長くてキレイな髪が短くなったあの日のことは、かなり鮮明に覚えている。
 驚いたというよりは、衝撃だった。
 今までなんの素振りも見せなかっただけに、信じられなかったし信じたくなかったというのも正直、ある。
 何度も触れた、弄った、すくった髪。
 長くてキレイな髪が好きだった。
 ……ただの長い髪じゃない。
 大事な教え子で、いつしか大事な女だと認識した相手のモノ。
 だから好きだったんだ。どうしてもその髪が。
 ……葉山のモノだから。
「先日の夏祭りのこと、覚えてますか?」
「……ああ。あの神社の祭りだろ?」
「あのとき実は、鷹塚先生に会うことをまったく予想していなかったので、正直……とても驚いたんです。だって……先生に指摘されたとおり長い髪の……いえ、ウィッグをつけず、地毛のままだったので」
 その言葉は事実だろう。
 あの日、姿を現したとき葉山は心底驚いていた。
 なんでここに。
 戸惑った表情は、確かにそう言っていたから。
「あのときは、あの長い髪がウィッグだと言ったんですが……すみません。ずっと、嘘をついていました」
「…………」
「髪を切った、と言って見せていた短い髪のほうがウィッグで、切ってはなかったんです。なので、あの夜鷹塚先生にお会いしたときは……本当にどうしようかと思って……とっさに、嘘をつきました。……いえ、ずっと嘘をついていたので、嘘の上塗りですね」
 ひどく申し訳なさそうな顔で頭を下げたのを見て、つい手が伸びた。
「っ……」
「……なるほどな」
 わしわし、と手のひら全体で彼女の髪の感触を楽しむように触る。
 以前感じた違和感のない、さらさらと心地いい感触。
 触れていると、1本いっぽんに光が当たってはっきりと艶が見える。
 ……これだよ。
 コイツの髪を弄りたくなる理由は、コレだ。
「よく言えたな」
「っ……」
「嘘をついてたのは悪い。が、正直に話せたのはすごいことだ。……よく言ってくれたな」
 コイツにこんな口調で言うのは、もしかしたら『違う』と叱られるかもしれない。
 子ども扱いするなと言われるかもしれない。
 ……それでも、今のは“教師”の俺だから仕方ない。
 子どもが同じことをしたときと同じ対応が、つい出た。
「……鷹塚先生……」
「理由があったんだろ? 嘘をついた理由。それはなんだ?」
 児童に対するのと同じように呟くと、目を丸くした葉山が表情を和らげた。
 理由がなければ、嘘なんてつかない。
 どんなヤツでもそうだろうが、葉山ならば特にそうだ。
 そこまでして、どうしても嘘をつかなければならなかった理由はなんだ。
 自分のため? それとも、ほかの誰かのため?
 ……嘘、か。
 果たしてコイツが抱えているのは、それだけか?
 テーブルの上に置かれたままだった両手を足の上へ戻したのを見ながら、問うようにまた彼女の顔へと視線が向いた。


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