「お疲れさまです」
「いや? つか、それはお前も同じだろ」
「っ……あ」
「悪かったな。お前も仕事だったのに、こんなことまで頼んで」
「いえ、そんな……平気です」
 ぽん、と頭に手をやってねぎらうと、途端に慌てた様子で手を振った。
 こんなふうに応えてくれる女を、かわいいと思わないはずがない。
 ……コイツは、ほんっと素直だな。
 そういうところは、昔から何も変わってないように思う。
「……あー、やっぱウチか」
「え?」
「いや、外ですげーイイ匂いしてたんだよ。すげぇウマそうな匂い。どこの夕飯だと思ったら……まさか、ウチとはな」
 車を停めて階段を上がったときに匂った、『隣の晩ごはん』ふうのモノ。
 ウマそうで腹が動いたんだが、まさか普段水回りとしてしか使われてない我が家からとは。
 そこに立つ人間が変わると、まったく違う空間になるんだな。
 まぁ、間違いなく今の葉山がしてくれていることこそ、正しい台所の使い方なんだろうが。
「……あー、ウマそう」
 リビングのテーブルに置かれている、まさに夕食といった感じのする皿。
 色とりどりの野菜が見えて、給食以上に栄養バランスが整ってるように思える。
 そのあたりはやはり、作り手の愛情の差ってのもあるんだろうな。
 給食はウマいが、自分のための手作りはもっとウマい。
 人間の心理ってのも関わってくるんだろうが、そーゆー小難しいのは俺にはわからなくて。
 だが、自分のためにここまでしてくれることは、素直に嬉しいし、ありがたいし、何より――……。
「っ……」
「サンキュ」
 ゆでたまごの殻をむいていた葉山を後ろから片手で抱き寄せ、耳元でささやく。
 わずかに腕の中で反応した彼女が、かわいいと思った。
 ……ま、全体的にかわいいとは思ってるけどな。そりゃ。
 なんつったって、俺のとっておきだった期間はどの児童よりも長いから。

「いただきます」
「どうぞ」
 リビングへ場所を移し、ローテーブルを挟むような形で座ってから、軽く頭を下げる。
 家でこのセリフを言うことになるとは、正直思いもしなかった。
 きっと、ずっと独りでメシを食い続けた揚げ句、このテのあいさつはまったくせずに終わるんだろうと思っていたから。
 ……それがどうだ。
 相手のいるメシどころか、手作りとは。
 夢まぼろしではない、確かなモノ。
 ありがたいという言葉だけでは、言い表せない。
「っ……うま」
「よかったです」
「いや、ホントうまいぞ。コレ。……酢、入ってるか?」
「そうですね。ほんの少しですけれど、黒酢が入ってます」
「……うまい」
「ありがとうございます」
 久しぶりに食う手料理。
 ……といっても、彼女の手料理は初めて。
 ケーキは食ったことがあるが、あれは果たして手料理に入るのか?
 いや、やっぱ違うよな。
 料理と菓子とはまた別物。
 もちろん、そこに気持ちはこもっているだろうから、ありがたさや嬉しさは同じかもしれないが。
「……? どうしたんですか?」
 茶わんによそってくれた、白飯。
 テーブルに並べられた、種類豊富なおかず。
 それらを作ってくれたのもそうならば、今、一緒にメシを食っているのも彼女で。
 ……優しい、なんてひとことではとてもじゃないが片付けられない。
 それ以上の感情があるからこそだと思うし、だからこそこちらも期待する。
 それは、当然。
 彼女が了承してくれた時点でそうだったが、改めてその思いは大きくなる。
「ありがとな」
「っ……いえ、そんな!」
「いやマジで。……すげぇ嬉しい」
 今回のことは単なる思いつきであり、俺のわがまま。
 だが、彼女は文句を言うどころか笑顔でここまでしてくれた。

『おかえりなさい』

 あの言葉は、帰ってくるのを待ってくれていた人間がくれる言葉。
 必要とされている、とそう実感できる言葉だ。
 だからこそ俺は、プラスの感情を抱いてもらえている相手に違いない。
 そう思うからこそ、彼女に対して――……当然、それ以上のコトを望んでいるワケだが。
「っ……」
「…………」
 身体をずらして葉山へ寄り、頬に手を伸ばす。
 普通じゃないのはわかってる。
 彼氏がいる相手にメシを作ってもらうのはアウトだろ。完全。
 だが、無理強いはしてない。
 最初に、『断ってくれて構わない』とは言った。
 ……それでも葉山は、ここに来ることを自ら選んだ。
 ということは――……ということ、だろ?
「…………付いてんぞ?」
「っ……あ」
 唇ではなく、その少し横。
 わずかに付いていたソースを中指で拭い、ぺろりと舐め取る。
 すると、少しだけ驚いたように目を丸くしたものの、目が合った途端照れたように笑った。
 ……そんな顔するから俺がつけあがるんだってことを、そろそろ自覚したらいいぞ。
 こうしてる今でさえ、着々とお前を追い込んでるんだから。


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