「えー、それじゃあ先生方。そろそろ切りあげて行きましょうか」
17時を回ってすぐ、教頭先生が立ち上がって声をあげた。
今日はこれから、熱海まで泊まりに行く。
普通の企業がどうかは知らないが、教職員連中はこれが一般的。
旅行とはいえ普通に金曜の授業をこなした上で、夕方から1泊して翌日の昼前には解散というのが通例。
ま、中学や高校だとまた違うのかもしんねーけど。
だから、参加するどの職員も今朝は割と大き目のバッグを手に出勤してきた。
無論俺もそうで、更衣室のロッカーに詰め込んでおいたバッグをさっき取ってきたばかり。
さすがに、このスーツ姿で行くってのもな。
……ま、悪くはねーけど、せめて着替えだけは持っていっておきたい。
個人的に、旅館とかの浴衣が死ぬほど似合わないと思ってるから、寝るときはいつだってジャージ持参。
宿泊学習でもそうだったし、秋にある修学旅行も毎回そうしているように当然今年もそうするつもりだ。
「バスも校門前に待ってますから、支度ができた先生から先に乗ってください」
教頭先生の声にそれぞれが返事をし、ゆっくりとした動作でドアに向かい始めた。
こういうあたり、子どもとはさすがに違うよな。
『どうぞ』と言われた途端、我先にとダッシュを開始する様子はさすがに大人同士だと見られない。
……と思ったら、ただひとり。花山だけがダッシュで廊下を駆け抜けたのが見えた。
それはもう満面の笑みで。
「……はー」
子どもか、アイツは。
アイツなら確かにやりかねないとは思ったが、まさか本当にするとはな。
軽く目まいがして、立ち上がったもののうっかりまた座るところだった。
「…………」
今日は金曜。
つまり、葉山の勤務日ではない。
……が。
本人に今日のことを聞いたら参加予定だと言っていたので、変更はないはず。
姿は見えないが、もしかしたら先にバスへ乗り込んでいるのかもしれない。
ようやく空いてきた出入り口から職員玄関に向かい、校門へ。
今回の参加人数は、20人弱。
まぁ、妥当といえば妥当な人数だ。
確かに親睦が目的だとはいえ、好きじゃない人間は参加しない。
強制じゃないんだし、当然だが。
「…………っ」
マイクロバスかと思いきや、それより少し大きめの中型バスがハザードを焚いて停まっていた。
ゆっくりと乗り込んでいく人々……の、列の隣。
そこに、両手で小さめのバッグを持った葉山の姿があった。
乗り込むべく並んでいたが、俺に気づいたらしく目が合ってすぐ頭を下げる。
こちらも少し手をあげてそれに応えると、嬉しそうに笑った気がしたんだが……気のせい、じゃないんだよな? きっと。
「こんばんは」
「昨日ぶり、だな」
「……ですね」
昨日は彼女の勤務日。
ウチのクラスの子が昼休みに行ったらしく報告を受けたが、それ以外は特に個人的な触れ合いなど当然なかった。
最近、ことあるごとに何かしら理由をつけては彼女に触れていたせいか、何もできなかったというのが正直不服なんだがまぁ……仕方ない。
職場、だしな。
むやみやたらに無節操を繰り広げるわけにはいかない。
「一緒に座るか」
「いいんですか?」
「ああ。全然、問題――」
「だめよ」
じゃあ……と唇が動きそうだったところで、小枝ちゃんが真後ろからぴしゃりと口を挟んだ。
振り返ると、不機嫌そうなというよりは、『何言ってんの?』とでも言いたげな表情で短く笑う。
「瑞穂ちゃんは、私と一緒。当然でしょ? 鷹塚君なんかの隣に、座らせられるはずないじゃない」
「なんでそーなるんだよ」
「ただでさえ薄暗い車内なのに、みすみす手を出してくださいと言わんばかりの行動でしょ? そんなこと、わかっててできるワケないじゃない」
ひとりだけ3泊すんのか? と聞きたくなるようなデカいボストンを持った彼女が、しっしと追い払うように手を振った。
フン、と鼻で笑われ当たり前だがいい気はしない。
なんでイチイチそんな人を見下げるような態度とるんだよ。
損こそしても、何ひとつ得なんてしないっつーのに。
「さ、行きましょ?」
「あっ、はい」
ぱっと彼女の手首を取って、小枝ちゃんがバスのステップを上がる。
そのとき目が合った葉山は、『すみません』と唇だけでつぶやいてから苦笑した。
……性格の差だな、間違いなく。
小枝ちゃんなら、ぜってーしねぇ。
「……ち」
仕方なくふたりのあとに続いてバスに乗り込むと、後ろから2列目の席に座った花山が『先輩、こっちですよぉ!』と相変わらずデカい声でアピールしてきた。
が、もちろん無視。
聞こえなかったことにして、手近に空いていたひとり席へ座ると、未練たらしく『なんでですかぁああ!』という叫び声がバス内に響き渡って、やれやれとため息が漏れた。
……恐らく、同じ種類のため息をついたのは俺だけじゃなかっただろうが。
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