冬瀬から熱海までの、ちょっとした距離。
だが、週末のラッシュとカブったせいか、普段自分がドライブで行く時間よりもずっとかかった。
結局、宿に着いたのは19時手前。
バスから降りてロビーに集合したところですぐ部屋の鍵とパンフレットが配られ、教頭先生が両手を口元に当ててこのあとの予定の指示を飛ばした。
まさに、引率の先生そのもの。
ああいうところ、ホント管理職だよなと思う。
熱海といえばここ、と言われるくらい有名な老舗の旅館。
だが、ここの建物は昨年リニューアルされたお陰か内装も外装も新しく、いかにも熱海という感じではなかった。
食事は、8階の宴会場でのお座敷食。
海が一望できるらしいが、まぁ、夜じゃな……と個人的には思いもするが、ほかの面々は喜んでいたので当然口にはしない。
この宿の売りは、やたら広い露天風呂。
……と、貸切にできる露天風呂もあるらしい。
いわゆる、家族風呂という名の個別利用可能なモノ。
そこは治外法権のようなモンだから、予約して金さえ払えば問題はない。
…………誰と入ろうと、どう使おうと、な。
「先輩、何号室ですか?」
「……なんでお前に部屋番号聞かれなきゃなんねーんだよ」
「いいじゃないですか、別に! 減るわけじゃないんですから!」
「減らなくたってヤなモンはヤだろ。寝込み襲う気か」
「そんなことするわけないじゃないですかぁ! するなら、もっとかわいいぴちぴちの子にします!」
「……そーゆー問題発言をデカい声でするんじゃない」
馬鹿が。
わしっ、とそのツラをつかんでやろうかとは思ったんだが、さすがに公共の場。
えぇえええ、とわずかに引いた一般客の反応がわかっただけに、これ以上の揉めごとは避けたい。
仮にも教職員ご一行様。
どこで誰が見聞きしてるか、わかったモンじゃない。
「瑞穂ちゃん、部屋どこ?」
「あ、私は5013です」
「あら、隣ね。私は5012」
鍵にぶら下がっている部屋番号が刻まれたキーホルダーを回しながらの会話が目と耳から入り、改めて自分の鍵へ視線を落とす。
6011。
……階も別となると、これはこれで行動しにくいな。
「ち」
そんなことを考えていたのが小枝ちゃんにバレたのか、ちらりと目だけで俺を見た彼女が口角を上げた。
ヤな顔するな、ホント。
小川先生に改めて聞いてやる。
いったい、どこがどうよくて好きになったんだ、と。
「うわぁああ! すごいですね、修学旅行みたいです!!」
部屋に荷物を置いてすぐ指定された宴会場へ向かうと、ずらりと並んだお膳を見て花山が狂喜乱舞しそうな勢いだった。
必死になだめている教頭先生の顔は、疲労が濃い。
……大変だな、ホント。
普段は自分の役回りであることが多いだけに、こうしてはたから見てるだけだとものすごく気がラクでいい。
今度からは、できればああやって管理できる立場の人間に管理してもらいたいもんだ。
俺のストレスが減るし。確実に。
しかも、なんでもう浴衣に着替えてんだ。アイツは。
旅館名が入っている灰水色の浴衣に着替えた花山は、いそいそと上座にほど近い席へ座った。
いつものことながら、空気を読まずに平気で行っちゃうヤツだな。
まぁ、別にウチの管理職はそこをうるさく言わない人たちばかりだからいいが、ヨソに行ったら苦労するぞ。アイツ。
そんな花山のそばに座った教頭先生は、あからさまに深いため息をついていた。
「わぁ、おいしそうですね」
「あらホント。意外といいわね。当たりじゃない、小川センセ」
「そうですか? そう言ってもらえて、うれしいです」
「さっすが幹事ね。雰囲気でてるわ」
あえて花山の向かいの席へ座ったところで、出入り口のほうから小枝ちゃんの声が聞こえた。
葉山と小川先生も声からして一緒なんだろうが、なぜか小枝ちゃんの声が1番よく通る。
腹から出てるのか? もしかして。
まぁなんにせよ、お陰ですぐどこにいるかわか――……。
「っ……」
あぐらをかいて振り返ってすぐ、目が丸くなった。
アップにまとめられている、髪。
……だけじゃない。
小枝ちゃんと葉山の格好が、まるで近所の祭りにでもこれから行くかのような浴衣姿だったから。
「な……。は?」
「あら何よその顔。鷹じゃなくて鳩みたいよ?」
嫌味たっぷりに俺を見下ろした小枝ちゃんが、小さく笑って隣へ腰を下ろした。
……といっても、すぐ隣じゃない。
ひとり分席を空けての着席。
そのあからさまな態度に、眉が寄――……るが、彼女に促されるようにして進み出た葉山がすんなり腰を下ろしたのを見て、開いた口を一文字に結ぶ。
高い位置でまとめられた、ポニーテール。
それは、先日のあの祭りでの彼女の姿とダブって見え、つい喉が動いた。
「変……ですか?」
「いやまったく。つか、そーじゃなくて。……なんで浴衣なんだ? 持参?」
「あ、いえ。実はこの浴衣、この旅館のレンタルなんです」
「レンタル?」
「はい。男性のお部屋はわからないんですが、女性用のお部屋には案内が置いてあったんです」
そう言った彼女が、ちらりとあたりを見渡した。
……なるほど。
確かに、葉山と小枝ちゃんだけでなく、ほかの女性陣もふたりと似たような色柄の浴衣をまとっていた。
着替えずに私服のままここへ来たらしき人も見かけたが、逆に彼女らは『どうして着てないの?』と着替えている人間に問われている。
「そんなサービスがあるのか」
「すごいですよね」
にっこり笑ってうなずいた彼女に視線を戻し、しげしげとその姿を改めて見つめる。
俺とは違い、きちんと足を揃えて正座している姿。
しゃんと背が伸びていて、見ていてとてもキレイだと思う。
……が、その一方でつい思い出してしまうのは、この熱海という場所柄のせいなのかわからないが、あの――……無理やり彼女をラブホへ連れ込んだときのこと。
あのときも、ホテルには女性用に浴衣が用意されていた。
色も違えば、柄もまったく違う浴衣。
それでも、“浴衣”というくくりの中では同じモノ。
「…………」
さすがに口には出さなかったが、いろんなことがうっかり出そうになり、それを避けるべく彼女から視線を外して、『葉山先生ステキです!』なんて目を輝かせている花山を呆れることにした。
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