「失礼しまー」
「……ちょっと。『す』が足りない」
「いーじゃん別に。誰もいねーし」
「私がいるでしょ」
「養護の先生は、人数に入らないんだよ」
「……なんでよ」
「ある意味保健室にあって当然っつーか……あってこそ、っつーか」
「あのね。私は物じゃないんだけど」
 とある日の昼休み。
 ガラ、とノックもせずに引き戸を開けると、パソコンで保健通信を書いていた小枝ちゃんが俺を睨んだ。
 つーか、相変わらずこの部屋は雰囲気が違うな。
 妙にまったりしてて、急に眠たくなる。
「てゆーか、なんの用なワケ? 暇そうな鷹塚先生」
「ひとこと余計」
「あーら、そお? でも、鷹塚君、いっつもそんなふうに見えるけど」
「失礼だぞ。俺はちゃんと仕事してる」
 昼休みの、いかにも眠くなる時間。
 普段だといろいろ理由をつけてここにいたがる子も多いんだが、今日は誰もいなかった。
 ……まぁ、そのほうがいいんだけどな。
 せっかく天気がいいのに、中で遊んでるなんてなんかもったいないし。
 つっても、最近は学校が終わったあと、みんなで集まって外でDSなんて『は?』な遊び方もあるだけに、外にいりゃいいってモンでもないんだが。
「で? なんなのよ」
「胃薬欲しいんだけど」
「……はぁ? あのね。毎回毎回、ここに胃薬貰いに来る先生なんて鷹塚君だけよ? だいたい、ここは児童のための保健室なの。先生のためじゃないの。ドラッグストアと勘違いしないで」
「でも、この間校長先生だって貰ってたじゃん」
「……なんで知ってるの」
「見たから」
「………………」
 あ。今、『ち』っつったろ。ち、って。
 うわー、こえー。
 つーか、俺何かした?
 ただ、見たっつっただけなのに。
 相変わらず、小枝ちゃんはよくわからん。
「はい。どうぞ。飲んだら帰ってよね」
「言われなくても」
 じゃらじゃら音を立てて瓶から薬を何粒か蓋へ出した小枝ちゃんが、ぶっきらぼうに突き出した。
 ……って、なんか多くね?
 うわ、適当だな。
 つーか、こえー。
 なんちゃら法違反ってヤツなんじゃねーの?
 ……まぁいいけど。
「…………はー。ごっそさん」
「薬を食べ物みたいに言わないでよね」
「言ってねーって」
 なんで、こうもツンツンと俺に当たってくるんだ。
 いわゆるツンデレでは決してないんだが、なんか特に俺に対してきっついよな。
 ……やっぱアレか。
 昔の痛手が引っかかってるのか。
 別に俺が悪いワケじゃないのに。
 つーか、紹介したのだって俺じゃないし。
「……そーいや小枝ちゃんさ」
「あによ」
「いや。だか――」
「失礼します」
「あら。いらっしゃーい」
「……あれ。葉山?」
「えっ。鷹塚先生……?」
 キッと睨んでいた顔が嘘のよう。
 コンコンとノックされて開いた戸を見るやいなや、小枝ちゃんの表情が一変した。
「どうしたんですか? どこか具合でも……」
「あー、違う違う。この人の場合は、飲みすぎ」
「……うるせーな」
「ねー。信じらんないわよねー。普通、平日に飲み会する? 馬鹿じゃないの、って言ってやって」
「ほっといてくれ」
 つかつか歩いて来た彼女が、葉山に同意を求めるかのごとく首をかしげた。
 ……って、なんだよ。
 まるで『邪魔なんだけど』みたいな顔して睨まれ、ついでに手でシッシと邪険に追いやられる。
 代わりに、彼女が迎えるのは葉山。
 それこそ俺とは雲泥の差で、椅子をすぐに勧めた。
「ほら。用が済んだ人はとっとと出て行く!」
「わーってるよ」
 何を話すのか多少気にはなる。
 ……いや、別に決して変な意味じゃないんだが。
「失礼しました」
 仲良さげに話し込むふたりを見つつ、一応声はかける。
 だが、反応したのは葉山だけで。
 しかも、その彼女に向かって小枝ちゃんは『いいのよほっとけば』なんて俺にも聞こえる大きさで言い放った。
 ……たく。
 どーしてあんな酷い扱いしてくる小枝ちゃんと葉山が仲いいのか、俺にはわからん。
 女ってのは、やっぱり謎だ。

「ほらー。しっかり掃除しろよー」
「はーい」
 その日の掃除の時間。
 昇降口でほうき片手に野球をやり始めていた児童を注意すると、やる気のない返事が聞こえた。
 ……ま、いいか。
 ちゃんと遊ぶのやめたし。
 だが、女子は俺がそれ以上何も言わなかったのが気に入らなかったらしく、すぐさま取り囲むようにして集まってきた。
「ちょっと、先生! もっとちゃんと怒ってください!」
「……えー?」
「えー、じゃなくて! だって、いっつも遊んでるんだから! 毎日!」
「毎日? ……あー。そりゃダメだ」
「でしょ!? だから、ビシっと言ってやってよ! ビシっと!」
 たまに……いや、常々思う。
 本当にこの子たちは、俺よりもずっと年下なんだろうか、と。
 口調といい単語といい、なんかこー、保護者と話してるような気になるんだよな。なんか。
 そこまでいかないとしても、女子高生風ではある。
 ……そのせいか。
 最近、タメ口で喋られるとより一層年の差が縮まったように感じるのは。
「ほらー、言われてんぞ。……お前たち、しょっちゅうそんなことしてんのか?」
「違うって! 先生、女子に惑わされすぎ!」
「……そうか? どー考えても、なんか、お前たちのほうが不利だぞ?」
「いや、だっ……でもさ! 違うんだって! だから!」
「何が」
 相変わらず、やっぱり男子のほうが弱いっちゃ弱い。
 咄嗟の判断に迷いがあるというか、正直というか。
 慌てて言い訳を探し始めた彼らを見ていた女子は、まるで『してやったり』的な表情を浮かべてにまにましていた。
 ――……そんなとき。
「きゃあ!」
「わぁ!?」
「……あ」
 一陣の風が吹き込んで来て、彼女らの足元をすくうように通り抜けた。
 途端、スカートが半分ほどめくれかけ、慌てて両手で押さえる。
「ちょっと! 男子!」
「見たでしょ! 今!」
「えぇえええ!?」
 そんな事態は、俺たちの真正面で起きていて。
 俺ともども、一斉に非難の眼差しを向けられるハメになった。
「ていうか、先生も! 見たでしょ!」
「いや、全然見てねーけど」
「嘘つきっ! 見たって! 絶対!」
「いやいやいや。見てねーって。ホントに!」
 矛先が急に俺へ集中しだしたのを感じ、慌てて首と手を振る。
 だが、相変わらず彼女らはそう簡単に許してくれそうにはなかった。
「ドキドキした?」
「……は?」
「だからっ! スカートがひらりーん、ってなったとき。どきどきした? 先生」
 にやにやにや。
 どんな返事を求めてるのかまったくわからないが、なぜか彼女たちは嬉しそうな顔していたずらっぽく俺を見た。
「まさか。それはない」
「えー! なんで!」
「……いや、なんでって言われても」
 当然の答えだろ、それこそ。
 苦笑どころか困惑の表情一色で固めながら首を振ると、なぜか逆に不満そうに詰め寄ってきた。
 ……ええー?
 なんなんだよ、いったい。
 つか、俺にどうしろっつーんだ。
 この位の年の子たちは、難しい。
「でも! 先生見たよね? 今」
「いや、だから見てな――」
 ……と、そのとき。
「っ……!!」
「……あ」
 一陣の風が吹いて、今度はそこを通ったひとりのセンセの足元をすくった。
 子どもたちに詰め寄られてる俺を、苦笑いしながら通り過ぎようとした人物。
 ……そう。
 相談員の、葉山センセ。
「…………」
「…………」
 軽い素材だったことが、余計に悪い方向へコトを運んだ。
 ふんわり。
 ……というよりは、ワリとすごい勢いで。
 彼女も咄嗟に両手でスカートを押さえはしたんだが、若干間に合ってなかった……ような気もする。
 ……いや、ほんの少しだけど。
「あ……あはは」
「……はは」
 目が合ったままながらも、何も言えないみょーに気まずい間。
 何を言えばいいんだ、っての。
 見てゴメン、なんて口が裂けても言えねーのに。
「そ、それじゃ、失礼します」
「……あ? あーうん」
 そんな気持ちが伝わったのか、彼女は困ったように小さく笑って俺に一礼すると、その場をあとにした。
 後ろ姿を見送る、この場にいた数人。
 そのまま彼女が職員室に入る寸前で小川先生に呼び止められるまで、ついついあとを追ってしまった。
 ……なんというか………いや、儲けなんて思っちゃいないけど。もちろん。
「先生」
「ん?」
「どきどきした?」
「うん……って、違う」
 瞬間的に思わずうなずいてしまい、慌ててその子に眉を寄せる。
 だが、俺の隣に居た男子数名は、ちょっと固まっていたように見えた。
 ……うん。
 気持ちはわかるぞ、お前たち。
「ほら。それじゃ、ちゃんと掃除しろよー」
「あ。先生逃げるの?」
「違うって。俺は教室に戻るんだよ」
 いい機会とばかりに手を叩いてその場から離れると、背中にはまだ『決着がついてない』とかなんとか言う女子の声が聞こえた。
 だが、ひらひら手を振ってそれらをかわすだけに留めておく。
「…………」
 階段を駆け上がりながらも、どうしたってさっきの光景がまた蘇る。
 ……白か。
 って、いやいやいや。
 これじゃただのオッサンだろ、オッサン。
 …………。
 ……否定できないあたり、少し切ないが。
「…………」
 ため息をつくよりも前に、軽く自分の頭を小突いておく。
 ……とはいえ、しばらくはやっぱり頭から離れてくれない光景でもあった。




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