いつから変わったんだ。
 それとも、いつの間にかすり替わったのか。

 ――……お前は俺のモノじゃなかったのか?

 ずっと、昔から。
 最近は特に、俺にべったりくっ付いてたクセに。
「………………」
 土曜の昼どき。
 当然のように混んでいる134号を、ひたすら葉山方面に向かってひた走る。
 ……葉山、ね。
 俺のすぐ隣にいるコイツも、同じ名前。
 そっちに向かうってのも、あながち笑えないカブり方。
 まぁもっとも、そのカブせをするために三崎に行こうと言ったワケじゃないが。
 昼メシ食いに行こうぜ。
 どーせだったら、ここだろうと三崎だろうとほとんど変わんねーし。
 だったら、ウマい鮪奢ってやるよ。
 駐車場へ降りて車の鍵を開けながらそう言った俺は、そのときもやっぱり葉山を見ていなかった。
 嘲るように笑ったクセに、目線はまったく違う方向。
 ……やっぱり、意気地がないのか。
 いや、どっちかっつーと、ズルいって方が正しいかもな。
「…………」
「…………」
 FMをつけてはいるものの、ほとんど音のしない車内。
 お陰で、エンジンの音がよく聞こえる。
 ……とはいえ。
 さっきから、ずっと引っかかってることがある。
 疑問に思ってることがある。
 ただ口にしないだけで。
 口にしたら――……間違いなく今の関係が壊れるとわかっているから。
 ……ああ、やっぱり俺はズルいんだな。
 わかってて、逃げる道を選んでいるんだから。

「………………」
 三浦半島の1番どん突き。
 三崎漁港目の前の産直センターにある駐車場へ車を止め、キーを外してそのまま外へ出る。
 カモメの鳴き声なんて、久しぶりだ。
 冬瀬には港がない。
 だから当然、漁船もなく、野良猫やカモメがうじゃうじゃいる光景はないので、空を何羽ものカモメが飛んでいるのは不思議な感じがした。
「腹減ったろ。メシ食おーぜ」
「……あ……っ」
 隣へ来た葉山の手を取り、相変わらず振り返らずに歩き始める。
 小さくて、柔らかくて……温かい手。
 少しだけ力を込めて引くと、気のせいか、彼女もまた握り返したような気がした。
「……ここも人がすげーな」
 建物の中に入ると、わっとした大きな音に正直驚いた。
 人、人、人のすごさ。
 もっとも、外には何台もの観光バスが停まっていたので、混んでるだろうことは最初からわかっていたんだが。
 鮪だけでなく、海産物が安いとあってか、おばちゃんたちが何パックも手にしていたり、両手から袋をぶら下げていたりと、ある意味土産屋ならではの光景があちこちにある。
 声をかけるにーちゃんたちも、気合入りまくり。
 だが、ぱっと見たところで俺には果たしてここの鮪とスーパーの鮪と大差があるのかもわからなかったし、値段に違いがあるのかどうかもわからなかったが。
「……安いのか? ここって」
 思わず、手を引いて葉山を引き寄せ、耳元へ囁く。
「安いですよ、すごく。それに……やっぱり、いい鮪です」
 すぐここでうなずかれ、ふわりと甘い香りがした。
 魚クサさが漂っているせいか、一層甘くいい匂いに思う。
 ……久しぶりに真正面から見た。
 唇を開きかけた姿を見て思わず顔を逸らし、そのまままっすぐ――……ドアへ。
 その先は、外。
 海のすぐそばで階段状になっている石段へ腰を下ろした人々が、思い思いのモノを手にしていた。
「……ふぅ」
 正直、別に鮪を買いたいと思って来たワケじゃない。
 あくまでも、ドライブの一環。
 ……そう。
 ただあのまま帰るのは釈然としなかっただけ。
「……ちょっと待ってろ」
「え?」
 手を離し、ぽんと肩に手を当てて囁いてから、独り館内へ戻る。
 とりあえず、簡単に食えるモノ。
 あとは……コーヒーでも飲みたい気分だ。
 手近にあった店で『とろまん』と称されている鮪肉まんと、アイスコーヒーふたつを購入。
 受け取ったガムシロとミルクを握ったまま、紙のトレイですべてを持つ。
「…………」
 自動じゃない、ガラスの扉。
 身体でそれを開けてから外へ出ると、青い空に青い海がキレイだと思った。
 ついでに言うなら、白い雲。
 夏はもう目前。
「………………」
 すぐそこに、見知った後ろ姿。
 階段に腰を下ろして、風になびく髪を片手で押さえる。
 そんな彼女が、ふいに横を向いた。
 目線の先を辿ると――……小学校低学年くらいの子どもが、デッキで野良猫数匹に何かをあげている。
 ……その横顔は、優しかった。
 独りでに笑みが漏れた……いうなれば、そんな感じ。
 その姿を見て、ついこっちにまで笑みがうつる。
 ……あーあ。
 なんで俺は自分のことしか考えらんねーんだろな。
 運転中の空気は、なんと重かったことか。
 多分、葉山はものすごく気まずくて居づらくて耐え難いモノだっただろうに。
 ……腹が減っててイライラしてたワケじゃない。
 むしろ、もっとずっと子どもめいた理由のせい。
「悪い。待たせた」
「……あ」
 葉山の隣へ腰を下ろし、アイスコーヒーを手渡す。
 ミルクとガムシロ、そしてストロー。
 それから『とろまん』を合わせて渡してしまったのだが、それでも彼女は嫌な顔ひとつせずに笑って『ありがとうございます』と口にした。
 ……どんだけ素直なんだ、お前は。
 律儀で真面目で大人しくて。
 俺にはないモノばかり目に付く。
「いいよな、海って」
 プラスチックのコップにガムシロとミルクを放り込み、ざくざくと細かい氷を上から刺すように混ぜてひと口。
 このときはもう、視線は海へ向かっていた。
 山と海。
 冬瀬にはない組み合わせで、だからこそまるで小旅行にでも来たような感覚になる。
「……どうしても海のそばに住みたかったんだよ。俺」
「そうなんですか?」
「ああ。学生ンときは、サーフィンにもハマったし」
 あのころは、暇さえあれば砂浜にいた。
 お陰で、学生は暇でいいよな、とサーフショップの店長に散々ぼやかれたほど。
「お前も知ってるだろ? 実家、海から遠いの」
「ですね。近道って教えていただいたのも、山道ルートでしたし」
 ご名答。
 つーか、そういやお前は俺の実家も知ってたもんな。
 ……それも初めてだ。
 男友達ですら、実家なんぞに案内した覚えはない。
「大学卒業して静岡の教採受けてもよかったんだけど、それじゃ海ねーし。まぁ、そりゃ最初の年はどこに飛ばされるかわかんねーけどな? それでも……やっぱ、神奈川が好きで。だから、教採ンときは必死だった」
 横浜でもない、川崎でもない、神奈川。
 どうしても、自分が遊び倒したある意味の『地元』で先生をやりたかった。
 あの場所が、好きだから。
 ……だから、ホントに神様がいるんじゃないかと思った。
 鵠沼からほど近い、冬瀬に初年度の赴任が決まったときは。
「…………葉山」
「はい?」
 海を見たまま大き目のひと口を頬張り、飲み込んでから名前を呼ぶ。
 すぐに返事をくれる彼女は、いつもと同じ。
 アイスコーヒーを飲みながらそちらを見れば、いつもと同じ笑みをくれる。
 ……優しいな、お前は。
 俺みてーなヤツにも、態度を変えずに付き合ってくれる。
 たまには嫌な顔しろよ。怒れよ。
 そうは思うが、口に出したところでコイツがうなずくワケがない。
 それは知ってる。
 だが――……その誰に対しても優しいっていうのは、罪だと思うぞ。
 何人にも『自分だけが特別だ』と勘違いさせるだけだ。
 平等だと思うんじゃない。
 なぜ、という不満がお前の元へ集まる。
 ……そう。
 俺みたいに決して上品じゃない、がっついてるヤツの本音が。


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