「……あー、疲れた」
自分でもびっくりするようなデカい独り言が出て、ああ疲れてんだなと可哀想になった。
伸びをしながら首を動かすと、ゴキゴキ鈍い音がする。
どんだけ凝ってんだよ、俺は。
大丈夫か?
「……はー……」
児童たちが一斉下校した、現在。
放課後のこの時間はものすごく静かで、誰も居ない教室内も心地よかった。
今日の5時間目にやった席替えは大成功。
子どもたちも今まで経験したことのなかった席替えに、先生すげーなんて声まであげてくれた。
……だが、本当にすごいのは俺じゃない。
もう10年以上前だというのに、はっきり覚えてくれていた教え子の葉山センセ。
…………アイツは、どうしてそーなんだ。
俺に対して、甘すぎる。
一昨日だってそうだ。
あんなふうに無茶苦茶な方法を取ったにも関わらず、文句も嫌な顔もせず、付き合ってくれた。
『ありがとうございました』なんて、俺にはまったくそぐわない感謝の言葉までくれて。
なんで、だ。
そんな問いが巡り巡るが、ただ――……理由を聞くことを拒んだのは、俺。
聞こうとしなかったズルいヤツ。
俺はアイツにどんな態度を取ればいいんだ。
どうすれば正解なんだ。
ただ、その答えは――……誰に貰えるモノでもないんだよな。
出すのも怖いのか。俺は。
「……ズルいヤツ」
は、と嘲笑が漏れ、たまらずため息を漏らす。
何やってんだ、俺。
馬鹿じゃねーの。
「……あーあ」
日誌を途中でやめ、ペンを挟んだまま閉じてしまう。
来週の時間割も作らなきゃいけないし、授業計画も見直さなきゃならない。
仕事は山。
決してなくならない。……のだが。
「……………」
一服してーな、と思うのが正直なところ。
だが、学内すべて禁煙。
灰皿なんて、皆無。
…………はぁ。
コーヒーで我慢するか。
重たい腰を上げて荷物を片手に抱え、教室を出る。
日が暮れた廊下は、薄暗く人の姿もはっきりしない。
こーゆー時間帯は、子どもたちしたら『お化けが出そう』とかって言うんだろうな。
ときどき聞こえる時計の針が動く音がやけにデカく感じて、思わず苦笑が漏れた。
「……ん?」
階段を下りて1階のフロアが見えたところで、話し声が聞こえた。
小さな、ぼそぼそというモノ。
おおっぴらにしている話ではなく、まるで秘密めいていて――……。
「っ……」
悪口ではないらしいことが、すぐわかった。
そして、より一層『秘密』らしい話だとも。
「…………」
職員室のほぼ前にあるこの階段の、柱の陰。
そこにいたのは、葉山と小川先生。
……またこのペアか。
一時期から見る機会が増えたふたりだが、週明けにもまた目にしてしまい、内心げんなりする。
なんなんだ、ふたりして。
くっ付くならくっ付くで、もっとハッキリしろよ。
そうすれば――…………そうすれば、なんだ?
俺は、どうする?
……馬鹿だ。
笑って『そうか。よかったな』なんて言えるワケねーのに。
「…………」
アイツはここに遊びに来てるワケじゃない。
仕事しに来てるんだ。
しかも、いろんな人間の相談に乗るという、特定の人間とだけ話をしてればいいワケじゃない職業。
俺とは、違う。
だから――……小川先生と話し込んでたって、何も不思議はないのに。
……なのに、なんでだ。
どうして、ここまで気になる。
……いや、正確には気になってるワケじゃない。
イラついてるんだ。俺は。
あのふたりがペアで揃ってるのを見るたび、聞くたびに。
「……ドライブなんか、どうですか?」
「あ、とってもステキだと思います」
「それじゃ、ドライブにしましょう」
「今の時期、あじさいがとってもきれいなところがあるんですけれど……小川先生、ご存知ですか?」
「あ、いえ。……どこですか?」
「滝脇口から山をずっと上っていくと、わかれ道があるんです。案内看板も出てるんですけれど、その湖の方向へ行くと……」
…………何?
耳に届いた囁きに、目が丸くなった。
うっかり荷物を落としそうになり、慌てて抱き直すと、小さく紙の音が響いた。
だが、それは向こうへ届かなかったようで、笑い声は途切れない。
「それじゃ、週末楽しみにしててください」
「もちろんです。お待ちしてますね」
にっこり、と音が聞こえそうなくらいの笑顔が見えた。
ここ数日、俺には向けられていない眩しい笑み。
……ふぅん。なるほど。
小川先生が葉山に頭を下げて職員室へ戻ったのを見て、ようやく身体が動く。
「…………」
きびすを返して彼とは違う相談室の方向へ歩いて行った葉山を見たまま、瞳が細くなる。
お前は、俺を特別扱いしたんじゃなかったのか?
十分すぎるほど。
俺だけを、俺だけに、してくれたことがあんなにあったじゃねーか。
……なのに、今度はほったらかすのか。
小川先生に鞍替え、か?
「……ち」
なんでこんなふうにしか考えらんねーんだ。
アイツの人生はアイツの自由だ。
俺には関係ない。微塵も。
なんで、俺じゃなくて小川先生なんだ?
まるで子どもみたいな自己中心的な疑問が、危うく出そうになったのを力で押さえ込む。
つい今しがたそこでされていた、ふたりの会話。
耳に残る笑い声。
どれもこれもが気に入らず、奥歯を鈍く鳴らせて職員室へ向かう――……前に。
そのまま、葉山を追うようにして相談室へと足が向いていた。
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