同僚になればいいのか。
それとも、これまでと同じ師弟関係がいいのか。
……俺は何を期待してる。
アイツに、何を求める。
「…………」
アイツが来ない、水曜日。
正面の机に座る人間はおらず、お陰で仕事がはかどる……のか?
さっきからやらなければ、と思っている書類は手付かずのまま。
確認したはずの授業計画にも、1箇所ミスがあった。
……とっとと来週の時間割作らねーと。
コンコン、とペンをこめかみに当てたまま、もう1度ため息をつく。
「最近、鷹塚先生の機嫌が芳しくないのね」
「……なんだよ。急に」
「そーゆー話があるから。いろんなところから」
「ふぅん」
コーヒーを飲みながら正面に立った小枝ちゃんが、まるで何かを確かめるかのように俺を見下ろした。
ちらりと一瞥こそしたものの、すぐに視線は落ちる。
今日中に書いて、校長先生に許可をもらわなければいけないコレ。
時間はあまりない。
「今日の飲み会、行くんですって?」
「悪いか?」
「別に? でも、体調あんまよくなさそうなのに、そんな状態で飲んだら潰れるわよ?」
「へぇ。……俺の心配ね。そりゃどーも。優しいこって」
「一応ね」
別に鷹塚君を思ってのことじゃないわよ?
ツンデレか、とつっこみたくなるようなセリフを吐いた小枝ちゃんに肩をすくめ、ペンを回して書類を見つめる。
こんなふうにペンを弄ってるときは、まったく集中できてない。
いわゆる、時間の持てあまし状態。
「…………」
つーか、余計なことべらべら言ってくれなくてイイっつの。
『ま、がんばってね』なんてまったく気持ちの篭ってないセリフを残して小枝ちゃんが移動したが、今度は代わりに花山が隣へ戻って来た。
……あー、全然集中できねぇ。
すべては自分のせいなのに、どうしても誰かのせいにしたくなる。
こんなヤツ、最低だろ。
教師としても、人としても。
「あ。生中3つ追加でお願いしますー」
空いた皿を下げに来た店員を捕まえて、花山が声をあげた。
平日に飲み会、ってワケじゃない。
いつもの恒例の、『食事会』ってヤツ。
だから、飲みが主体じゃないぶん、車で直接ここへ来てる人間は半分以上。
集まる人間も、独身者のみ。
……まあ、そうだろう。
何もわざわざ週の真ん中に、職場の人間とメシなんて食わなくたっていいんだし。
「…………」
長いテーブルを挟んだ向かいの、隅。
相変わらず、そこがまるで定位置だと言わんばかりに葉山の姿があった。
……そして、小川先生は人ひとり挟んだ隣。
無意識のうちにそのふたりを目で追っていて、我ながら呆れる。
つーか、なんで葉山がここにいるんだ。
お前は今日休みだろ?
なのに、なんで……そんな約束したか?
誰だ、お前を誘った人間は。
「…………」
「……ちょっと。飲みすぎじゃない? 鷹塚君」
焼酎のグラスを無言で空けた途端、離れた場所にいたはずの小枝ちゃんが寄って来た。
しかも、ご丁寧にボトルを遠ざけながら。
……ンなことしたって意味ねーって、わかってるクセに。
「いーだろ別に。車じゃねーし」
「そーゆー問題じゃないでしょ」
瞳を細めてわずかに彼女を睨んでから、ボトルに手を伸ばしてグラスに注ぐ。
半分より下。
その位置で空になり、自然と舌打ちが出る。
「……るせーな。ほっといてくれよ」
「どーしたの? ……なんか、いつもの飲み方と全然違うわよ?」
「別に」
心配してくれてるんだかなんだかわからないが、肩をすくめて小さく鼻で笑う。
視線はすでに、ドリンクメニュー。
ちょうどよく、さっき花山が頼んだビールを持って店員のにーちゃんが入って来たので、手を上げて彼を呼ぶ。
「ちょっと! ねぇ、もうよしなさいったら!」
「いーだろ別に!」
メニューに手を伸ばして来た彼女を手で制し、新たに注文を飛ばす。
すると、大きくため息をついた彼女が呆れたように小さく呟いた。
「……そんなに心配なの? 葉山先生のこと」
「っ……」
まるで、何もかも知ってるみたいな口ぶり。
一瞬反応しそうになって、そのまま壁にもたれる。
「何言ってんだよ。そんなんじゃねーって」
「嘘つき。ちーっともそんなふうに顔に書いてないじゃない」
「るせーな。小枝ちゃんに関係ないだろ!」
イライラしてるワケじゃない。
ただ、どうしようもなくて。
……自分自身が、一番ワケがわからない。
どうすればいいのか、誰か教えてほしいくらいだ。
飲めばあのことに関してワケもわかんなくなるんじゃないか、って頭があった。
だが、わからなくなるどころかより一層感覚が澄んでいく。
イチイチ目に付いて、しんどくなる。
勘ぐる。
……クソ。
来るんじゃなかった。
「………………」
膝を立て、そこに肘をついて頭に手をやる。
自分でも無性に機嫌が悪いのが、わかっていた。
誰かに当たるワケにいかない。
ただ、気分が悪い。
だから――……本当は、さっさと帰ればよかったんだ。
葉山と小川先生が出席する、って聞いた時点で。
「………………」
そんなとき。
反対側のテーブルの隅に、ひとり動いたのが見えた。
隅。
そこに誰がいた?
……なんだソレ。
平然とした顔で小川先生が葉山の横に座ったのを見て、反射的に立ち上がっていた。
そんな俺に気付いた小枝ちゃんが、止めるように声をかける。
……だが、妙な響きを持って聞こえたせいか、ハッキリ何を言ってるかはわからなかった。
ただ――……わかったこと。
それは、ギリ、と噛んだ奥歯が鈍く音を立てたことだけ。
「ふたりとも、ホント仲いいっすね」
愛想のない低い声が出て、小川先生と葉山のちょうど間に割り込む。
驚いた顔を見せたのは、ふたりとも。
……なんだよ。似てるな。
だから惹かれるのか?
「いーんじゃね?」
「……鷹塚先生……?」
「優しい小川先生と、優しい葉山センセ。似合ってるよ」
「っ……先生……」
さすがにコレばかりは、葉山をまっすぐ見つめて口にすることなどできなかった。
は、と短く笑ってから立ち上がり、その場を離れる。
我ながら絶望的だ、と思った。
言っちゃいけない言葉なんて世の中にごまんとあるが、これもそのひとつ。
確かめたいがために相手を試して、人の気持ちを弄ぶだけの言葉。
……知ってンのに。
コイツが誰をどう思ってるかなんて、ずっと前から。
最低だ。
お前、ホントに教師かよ。
してることが、えげつなさ過ぎる。
「……はー。ごっさん。先上がります」
「え……」
「お疲れっした」
散々飲み食いした挙句、早々のリタイア宣言。
ひらひら手を振り、危うくよろけそうな足を踏みとどまらせ、壁に手を着いて身体を支える。
「ちょっと、鷹塚君。大丈夫? 送ってこうか?」
「へーきだって。歩いて帰れる」
「帰れないでしょ! もー。せめてタクシーで帰りなさいよ!」
まるで、ウチのお袋みてーに世話を焼きに来た小枝ちゃんに腕を取られたまま、靴を踏んでから履き、大きくため息をつく。
酒クサさなんて、微塵も感じられない。
身体が酔ってることに間違いはないが、頭がしっかりしすぎてるって状態はキツい。
……これじゃ、全部覚えたままじゃねーか。
それどころか、嫌なことが増えただけ。
「大丈夫ですか……?」
つま先を床で叩いて靴を履き、歩き始めたとき。
耳慣れた甘い声が、すぐ後ろで聞こえた。
「あっ、ありがとー。葉山先生。もー、すっごい助かるわ。この人、酒癖悪すぎよね」
「別に絡んでねーじゃん」
「絡んでるでしょ!」
ぽん、と背中を叩かれてそちらを見ると、小枝ちゃんのすぐ隣に葉山が苦笑を浮かべていた。
すぐ近く。
腕を伸ばせば、簡単に捉えられる。
「なあ、葉山」
「っ……はい」
「そんな心配してくんねーでいいぞ」
「……え……?」
「ただの同僚だろ? 俺たち」
「っ……」
「なんでもねーのに、あんまべったりしてんの見られたらマズいだろ。俺もお前も」
「……ど、うしてですか? そんな……」
「他人に、誤解を与えかねないことは避けよーぜ」
は、と短く嘲笑し、彼女をまっすぐに見つめる。
この俺のセリフをどう取るんだ、お前は。
本音か、建前か。
……それとも――……強がり?
センセイはどんな判断を下す?
「なー、小枝ちゃん」
「ちょ!? 何するのよ!」
「いーじゃん。同い年同士、俺と付き合おーぜ」
「馬鹿言ってんじゃないわよ。無理。絶対、むーりー」
腕を伸ばして捉えるのは、葉山ではなく小枝ちゃんのほう。
これまで何年も一緒にいたし、お互いある意味さらけ出して来た関係。
だが、一度たりともこんなふうに彼女へ触ったことはなかった。
理由は簡単。
小枝ちゃんは、俺に似すぎてて恋愛対象になり得ない。
「いーじゃん。俺のこと好きだろ?」
「あー、やだやだ。その目嫌いなのよね。下心丸出しの、狩りの目っていうの? ギラギラしてて、すっごいヤだ」
「なんでだよ。俺と居たらぜってー楽しいぜ? 多分飽かない」
「飽く飽かないの問題じゃないの。だいたい、誰がいつ好きだとか寝ぼけたこと言ったのよ。悪いけど私、鷹塚君に手ぇ出してほしいなんて思ったこと一度もないから」
「なんでだよ。ンなこと言って、ホントはいいかなーとか思ってんじゃねーの?」
「自信過剰もいいトコね。病気よ? 度がすぎると」
彼女の首筋すぐ近く。
笑いながら呟き、腕に力を込める。
だが――……ないんだ。ソコには。
俺が欲しい、甘い香りが。
口づけたくなるような、色が。
「なんで。いっぺん寝てみれば満足すんと思うけど。多分、アイツよりうまいし」
「はァ? バッカじゃないの。誰がそっちの話しろっつったのよ。ねぇ? 葉山先生。もー、この馬鹿に何か言ってや……葉山先生……?」
ずっと、わからなかった。
気付きもしなかった。
なんせ、最初から俺は葉山を見ていなかったから。
……いや、見てなかったんじゃない。
見れなかったんだ。
どうしようもなく、怖くて。
「ッ……」
そのとき初めて見た彼女は、口元に手を当てたまま泣いているように見えた。
大きな瞳を見張り、どうしていいかわからないような顔で、俺と小枝ちゃんとを交互に見つめる。
「え、ちょっ……! 葉山先生!? ちがっ……違うのよ! 全然! 全然違うから!!」
ばっ、と俺の腕を簡単に振り解いた小枝ちゃんが、慌てて彼女に駆け寄った。
だが、そんな姿を見てもなお、何も言えなかった。
それどころか……身体が動かず、強張ったまま。
「……あ……す、みません。あの……っ」
「ちょっと! 鷹塚君もこっち来なさいよ!」
「大丈夫です! あの……違うんですっ」
何が違うんだ。
何がどう大丈夫なんだ。
目元を簡単に拭った彼女が、寄り添った小枝ちゃんに首を振って笑みを浮かべた。
……何、がんばってんだよ。
なんでお前が泣いてるんだ。
そうじゃないだろ。
なあ。そーじゃねーだろ……!
「ッ……!」
ぶつけて来いよ、俺に。
怒鳴れよ。罵れよ。
俺のせいだ、って言えよ……!
「ちょっと! 鷹塚君!!」
「……っ」
大きな声で呼ばれ、思わず喉が鳴った。
小枝ちゃんに肩を抱かれ、まっすぐ俺を見つめる――……葉山。
もう泣きやんでいるはずなのに、また……今すぐにでも、泣いてしまいそうなほど弱い表情。
「……悪かった」
「っ……」
「お前を……お前を、泣かせるつもりはなかったんだ」
両膝に手を当てて、頭を下げる。
まさか泣くなんて。
誰がそんな行動を予想する?
ただ、ジャレただけなのに。
試してみた……だけ、なのに。
…………最低だ。俺は。
コイツの気持ちをただ弄んで、その結果何もしてやろうとしないんだから。
「……すみません」
背を正すと同時に聞こえた、小さな小さな声。
……だから、なんでお前が謝るんだよ。
悪いのは俺なのに。
お前は何もしてないのに……っ。
結局、その後葉山をまっすぐ見ることはできず、小枝ちゃんにあとを任せて独り歩いて家まで帰った。
逃げた、んだ。俺は。ズルいから。
……アイツを無意味に傷つけたままで。
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