男は競争心の塊だ、と言われる。
ほかの男と話してるのを見るだけで妬くし、そっちを褒められればますます妬く。
花山が典型。
……俺はそんなことねーと思ってたんだけどな。
どうやら、葉山に関してはまったく違うらしい。
少し前までは、アイツがかわいいと褒められれば素直に嬉しかった。誇らしかった。
理由は簡単。
俺が育てた、みたいに思ってたから。
担任だってだけなのに、まるで自分のことを褒められたかのように嬉しかった。
自分のクラスの子が褒められると嬉しくなる、単純なモノ。
それと同じように、たとえ成長を遂げて言わなければ俺の教え子だとわからないようになった今でも、やっぱりその想いは変わらなかったのに。
なのに――……いつからだ、それが変わったのは。
なんでお前があいつを見てるんだ、なんて敵意を抱くようになったのは。
俺の、教え子なのに。
俺だけが、何を思っても許されるのに。
なのに、なんでアンタが――……。
「……はー……」
二日酔いもここまで来れば慢性的な病気かもしれない。
朝からずっと、この調子のため息だけ。
しっかり酔いを醒ましてから寝ればよかったんだろうが、うっかりそのまま布団へダイブしてしまい、朝気付いたときには猛烈な胃のムカムカが襲ってきた。
結局朝から何も食えず、コンビニで買ったドリンクゼリーでなんとかしのいだ……が。
忘れてたよ、今日授業変更で体育入れてたこと。
自分で吹くホイッスルが強烈に頭に響いて、何度その場へしゃがみこんだか。
……だっせーな。
子どもたちに『先生大丈夫?』『救急車?』なんて心配されて、情けなさすぎてどうしようもなかった。
「…………」
今日は、葉山が普通に学校へ来ていた。
だが、木曜は空き時間がないので、職員室に戻ったのはあえて給食を終えた昼休み。
いつもは顔を見がてら中休みや給食前に職員室へ行くんだが、断固として勝手に拒否した。
まるで、子ども。
いや、それよりもずっとタチが悪い。
この年になって何を恐れてるんだか知らないが――…情けねーよな。
まさか、アイツを泣かせたことでこんなにも肉体的精神的に支障をきたすとは思わなかった。
「…………………」
給食の、あと片付けをしてから戻った職員室。
だが、すぐに腰を上げて保健室へ向かう。
結局、葉山だけじゃなく、小枝ちゃんとも今日はまだ顔を合わせていない。
いや、正確には顔を合わせこそしたものの、話を一切してないというか……まぁ、怒ってるんだよな。彼女は。
あんな失態をやらかした翌日の彼女の機嫌の悪さは計り知れない。
……まぁ、それも当然だろう。
俺が昨日しでかしたのは、彼女にとって『よっぽど』なことだったんだろうから。
葉山を預けて帰ったので、もしかしたらそこで何か話を聞いたのかもしれない。
俺と――……アイツの、関係あたりを。
……だとしたら、怒るだろうな。
何してんだ、って。
みっともねーぞ、って。
……あー。
小枝ちゃんなら言いかねない。
「…………はー」
小枝ちゃんのあのキツい眼差しを思い浮かべたら、途端に胃がキリキリしてきた。
それでも、胃薬を貰って飲んでおかないと、6時間目の理科で1時間立ちっぱなしは無理。
もう1度ため息をついてから廊下へ出ると、空気がひんやりと心地よかった。
普段日が当たらないせいで、冬は厳しすぎるものの、この時期はやっぱり心地よくて好きだ。
夏が近づいてきたせいでどんどん暑くなって来ているので、Tシャツ1枚でも暑く感じる俺にはありがたい場所。
「…………」
保健室前のドアで足を揃えると、靴が鳴った。
その音が聞こえたのか、ドアの窓越しに彼女が俺に気付く。
「……失礼します」
「二日酔いとか言わないでよね」
だが彼女は、いつもそのままの調子で声をかけてきた。
こっちを見ず、書類を整理しながら。
「小枝ちゃん。昨日は――」
「彼女ならいいじゃない」
「……え?」
「何をためらうの?」
曲げていた腰を伸ばした彼女が、まっすぐに俺を見た。
怒ってるワケじゃない。
だが、厳しさがある表情だ。
「……別にそういうワケじゃ…」
「だいたい、鷹塚君がもっと早くビシっとしないから、こんな面倒くさいことになったんでしょ?」
「っ……それは……」
「そもそもの原因は、あなた。自業自得」
「…………」
スッパリと切り捨てられ、二の句も継げなかった。
確かに、言う通りだ。
……わかってるよ、そりゃあな。
でも、しょうがないだろ――……と、いつものように俺らしくもない言い訳が出そうになって、つい口を閉ざしていた。
「聞いたわよ。葉山先生、教え子だったんですって?」
「…………」
「だったらなおさらよ。何、みっともないことしてるの? 守ってあげるのがあなたの立場じゃないの?」
「…………それは……」
「あんなふうに試したりして。みっともないわね。らしくないわよ、全然」
「……だよな」
自分でもわかっているだけに、は、と短く笑いが漏れた。
昨日のアレは、間違いなく試していただけ。
アイツの気持ちを弄んで、軽々しく扱ったいじめのようなモノ。
俺が1番やっちゃいけないことだ。
昔と今のアイツを知っている……俺は。
「何を気にしてるの? もしかして、教え子だからとか?」
「……それはまぁ」
「まあ、じゃないわよ。あのね、たとえ教え子って言っても、彼女はもう成人してるのよ? 何も高校生に手を出すとかじゃないんだから、何も問題なんかないじゃない」
「それはそーなんだけど」
「だけど、何」
「……別に」
なんでこうも説教されてる気分になるんだ。
いや、もちろん実際説教されてることに変わりはないんだが、思わず彼女から視線を外し、組んだままの腕へ落ちる。
そんな姿を見てか、小枝ちゃんが思いきりため息をついた。
「彼女は、弘香と全然違うじゃない」
「……そりゃな」
「でしょ? ただかわいい、だけじゃないのよ? しっかりしてるじゃない。若いのに!」
「……ばーちゃんみてーなセリフを……」
「何?」
「いや、何も」
両手を腰に当てたまま子どもを叱るみたいに続けた彼女に小さくつっこむと、ギラリと眼鏡が光った。
こえー。
彼女の耳はすこぶる快調らしい。
「……わかってるよ」
性格も、見た目も、喋り方も、物の捉え方も。
何もかもが、元嫁とは違う。
見た目はかわいくて。
愛想もよくて。
ついでに、気が利く。
「…………」
三十路目前ってこともあって、お互いが焦ったから得た結果。
体裁を繕うためだけに、『絶対そうだ』と自分で思い込んで迎えた結末。
それが、あの離婚劇。
俺も悪かったからこそ、アイツだけが悪いとかは言えないし言わない。
何より、あのときの経験があったから今の俺はここにちゃんとあって。
痛い目に遭うことも浅はかな行動に出ることも、アレ以来一度もなかった。
――……少なくとも、葉山と再会するまでは。
「この間、葉山先生に相談に行ったんですってね」
「っ……」
「心配してたわよ。すごく」
こっちに歩いて来た小枝ちゃんが、ため息混じりに俺を見た。
途端に変わった表情をばっちり見られ、『まったく』なんて再度ため息をつかれる。
「そばにいたのに何も気づけなかった、って。何も力になれなかった、って。……すごく後悔してた」
まるで手に取るようにわかる、そのときの状況。
……余計な心配させた。
つらい思いさせた。
それがわかって、何も言えなくなる。
「何か変わったことありませんでしたか? って。毎日のように聞きに来てたんだから」
「…………アイツが?」
「当たり前でしょ! ほかに、アンタのこと心配してくれる人なんているの!?」
「っ……それは……」
表情。
仕草。
相談と銘打った他愛ない話に付き合ってくれたときの葉山の顔が浮かんで、ふと視線が落ちた。
「しっかりしなさいよ、鷹塚壮士!」
「っ……」
途端、小枝ちゃんが俺の腕を叩く。
弾かれるようにそちらを見ると、キッと眉を寄せて一層怖い顔になった。
「あのね。めんどくさいのよ、そういうの見てると!」
「……は?」
「どっちつかずって、私1番嫌いなの。わかる?」
「…………いや、それは……」
「だからハッキリして! わかった!?」
「あー……。……いや、でもな?」
「でもじゃないの! わかったら、早く行く!! もうすぐ5時間目!」
「うわ、やべ」
ハイハイ、と言いながらくるっと背中を向けさせた小枝ちゃんが、そのままどーんと勢いよく押した。
危うく躓きそうになりながら、戸に手を置く。
だが、そこで振り返ると、再度しっしと手で追いやって。
……相変わらずだな。
それでも、彼女がこーゆー人間だってことは、よく知ってる。
唯一、俺が弘香と結婚するって決めたときに、アイツの友人だったにもかかわらず忠告してくれた人物。
そんなこともあって、彼女は嘘や誤魔化しをするようなヤツじゃないってわかってる
「あ」
「……何よ。もー、早く行きなさいよー」
「ワリ。胃薬……」
「あのね!! ウチはドラッグストアじゃないんだけど!!」
「ッ……!」
ドアを閉めようとしていた小枝ちゃんに慌てて戻り、ノブに手をかけた途端。
すぅ、と思いきり息を吸い込んだ彼女が、身体全体でデカい声を出した。
耳どころか、頭をぐらんぐらんと揺さぶるモノ。
超音波的な、ヤられそうな音。
「……申し訳ない」
そのせいか、まったく、と両手を腰に当てながら棚へ戻って行った彼女を見て、力なく頭が垂れた。
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