「悪いな、いきなり呼びつけて」
「いえ。大丈夫です」
 ……大丈夫、か。
 お前にそう言われるといつも『本当か?』と不安になるんだが、今日はそれをしないでおく。
 大丈夫じゃなくとも、俺に付き合うと決めてくれた以上、何も問わない。
 今日だけは、今からしばらくの間だけは、俺だけのモノでいてもらう。
 ……お前に選択肢はないから。
「お天気、持ちそうですね」
「そうだな」
 助手席から空を見上げた彼女が、にっこり笑った。
 予報だと、午後から雨。
 今の時点ではパラつく程度だと言っているが、実際はなってみなきゃわからない。
 今日は、友人らが集まってのバーベキューが予定としてあった。
 ――……ただし、どいつもこいつも嫁か彼女連れでの参加。
 連中からして、どうせ独り身の俺をからかうか見せつけてやりたくて声をかけてきたんだろう。
 ハナからわかりきっている悪乗りに付き合うつもりはないし、めんどくせってのが1番の理由から、先週声をかけられた時点で断った。
 ……が。
 人数合わせのために来いとか、ビール持ち帰らさせてやるから来いとか、子どもが来るから子守に来いとかいろいろ言いたい放題のうえ何度もしつこく連絡をしてくるので、『考えとく』とだけ返事をして終えていた。
 以来、まったく電話がかかってこなかったんだが――……前日、つまり昨日の夜、最終確認の連絡が来たので、少し考えた上で答えたのだ。

 『彼女の予定が空いてたら、行ってやってもいい』と。

 途端、電話の向こうから絶叫めいた声が聞こえたが、あえて無視。
 まぁ、そりゃそうだろうな。
 ヤツは俺に彼女がいないことなど百も承知。
 なんせ、5月のGWに結婚式を挙げた、アイツなんだから。
 ……で。
 朝イチ、葉山の予定を聞いたワケだ。
 友人連中がバーベキューやるっつーんだけど、どうだ? と。
 市内他校で教員やってるヤツもいるから、行かないか? と。
 ――……ただし。
 あの時点で、『俺の彼女として』とは告げていない。
 だから今家まで迎えに行き、隣に乗せているのは騙したようなモンだ。
 詐欺だな、詐欺。
 だからもちろん、ちゃんと言う。
 これから向かうバーベキューでは、どんな立ち位置でいてもらいたいかって要望を。
「瑞穂」
「っ……はい」
 どうやらまだ慣れないらしく、赤信号でギアを戻してから彼女を見ると、少しだけ驚いた顔をしながらも返事をした。
 今日も今日とて、裾にレースのあしらわれたショートパンツに、胸元にリボンの付いた薄地のブラウスという、いでたち。
 素足の白さが眩しくて、うっかり手が伸びそうになる。
 ただ――……昨日の夜とは違い、今隣にいる彼女の髪は最近になってもまだ見慣れない長さに戻っている。
 ……ウィッグ、ね。
 最近は便利なモンがあるんだな。
「…………」
 相変わらずかわいいな、お前は。
 ……ただ、胸元に光っているネックレスと、太ももの上に置かれている右手の指輪に俺色を感じなくて、視界に入るとどうしても面白くないが。
「頼みがあるんだけど」
「え?」

「今日1日、俺の彼女でいてくれ」

「っえ……!」
 小細工なしの、直球勝負。
 コレでダメなら、引き返すし彼女をどうにかしようなんて思いもしない。
 最初に言わなかった俺が悪いんだから。
 だから、NOならすっぱり諦める。
 ……だが。
 まっすぐ瞳を見つめると、わずかに白い喉が動いた。
 その仕草はまるで、考えあぐねているようにも見える。
 そのとき、信号が変わってしまい、仕方なく視線を前に戻してからギアをトップへ。
 車体がスムーズに動き、エンジンの振動が足から伝わってくる。
「もちろん、そんなつもりないのはわかってる。でもな、ほかの連中にどうしてもって頼まれてさ。断りづらくて」
「……でも、何もできませんよ……?」
「何もしなくていい。ただ、ほかの連中に『彼女』って紹介させてくれれば」
「っ……」
「俺のそばに居てさえくれれば、それで十分だ」
 むしろ、それだけでいい。
 彼女にとっては、不服だろうし素直にうなずけないようなことを挙げているのも、わかってる。
 だが、ひとことだけ。それだけでいい。
 別にこれで既成事実云々だとかは思っちゃいない、から。
「頼む。……今日だけ、俺の彼女になってくれ」
 前の車が詰まったのを見てギアを上げ、ちらりと彼女を見ると視線が合った。
 ……だが。
 今度は、表情から戸惑いが薄れているように見えた。
「…………」
 はい。
 小さく小さく、そう聞こえたような気がしないでもない。
 だがそれよりも大きな意思表示として彼女がうなずいてくれ、『サンキュ』と言うと同時になんともいえないモノが胸の奥から湧き出したのもわかった。
 ……優しいなお前は。
 それと同時に、昨日の夜の彼女のセリフが再び蘇る。

 『どうするかを決めるのは……私ですか?』

 あのときの瞳は、迷っていなかった。
 戸惑っていなかった。
 まるで……そう。
 彼女の意思はとうに決まっていたかのように。
「…………」
 車線が増えて流れ始めた134号を、アクセルを踏み込んでスピードを上げる。
 目的地までは、もう少し。
 ……彼女を連れて行くのは2度目だな。
 この道を通るのも、そう。
 今日のバーベキュー会場は、新江ノ島水族館にほど近い鵠沼海岸だった。


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