「……まさか、お前が教え子に手を出すとはな。……すげー秘密握っちゃった気分」
「うるさい。黙れ」
隣に並んだまま、つい喉から笑いが漏れた。
リーチが連れてきた彼女は、学園大附属高に通っていたコイツの“元教え子”らしく、当然ながら同じ高校に勤める新藤とも顔なじみだった。
『まさか、高鷲センセが“あの”宮崎とデキちゃうとはねー。人生ってホントわかんないわ』と笑いながら言われた途端、リーチは盛大なため息をついていたが、彼女はいたって平然と『うらやましいでしょー』なんて彼の腕を取って笑っていた。
「……というかそもそもお前に言われる筋合いはないぞ」
「は?」
「なぜお前が葉山と一緒に居る」
結婚式のときといい、今日といい、お前たちだってそういう関係なんだろう?
目は口ほどにモノを語るようで、腕を組んだまま俺をみたリーチは、明らかに“同類”を見るような顔をしている。
……ま、黙っておくけどな。
キスまではしっかり済ませた関係。
たとえ正式な付き合い云々のステップを踏んでないとはいえ、デキてることに変わりはないはずだから。
「……ま、そーゆーことだな」
「…………まったく。まさかあの葉山がお前なんかと付き合うとは……」
「あ? どーゆー意味だそれ」
「そのままの意味に決まってるだろうが」
眼鏡越しにインテリ特有の眼差しを見つけ、思いきり睨み返してやる。
……は。
こちとらお前と何年付き合ってると思ってんだ。
弱みなんて知り尽くしてるっつーのに、ケンカ売る気か? ……だとしたら、それを浅はかっつーんじゃねーの?
俺に勝てないって知ってるクセに。
……ま、俺もコイツの知識にだけは勝てねーけど。
それでも、こんなふうに――……。
「ねぇ里逸。炭酸とお茶、どっちがいい?」
「っ……穂澄、お前っ……!」
「……ねぇ。どっち? どっちがいいの?」
「ッ……だから……! こういう場所でベタベタと――」
「だって! さっきから鷹塚先生とばっか喋ってるじゃん。つまんない。……私も構ってよ」
「っ……」
ぎゅむ、と前触れもなく横から来た彼女が、リーチの腕にべったりと身体を密着させて見あげた。
途端、当然のように中断。
……にしても、コイツおもしれーな。
いかにもってくらいの煽られ方をして、まるで模範解答並みの反応をする。
…………あー、だからあえてこういう態度取るんだろうな。この子は。
リーチ。お前、この先もずっと主導権取れねーわ。
彼女もまたファーストチルドレンこと、俺の初代教え子のひとり。
宮崎穂澄こと、『ほずみん』。
当時は苗字が今と異なっており、いわゆる大人の事情ってヤツに振り回されたひとりだ。
……かなり不安定だったんだよな。一時期は。
個人的にかなり話を聞いた覚えがある。
もしかしたら――……彼女はまだ、今もそうなのかもしれない。
普段……というか、こんなふうに人の前だとテンションも上げることができるし、天真爛漫な振る舞いを見せて周りすべてを巻き込んでいく。
……が、それはあくまでも“人前”の姿。
本当の彼女は――……いや。
ほかの誰もいない“ひとり”になった彼女は、そこまでテンションが高いわけでもなければ、喋り倒すわけでもない。
それこそ、葉山とほぼ変わらないような、大人しい女の子になる。
……いや、『なる』って表現は間違いだな。
本来の彼女は、そうなんだから。
リーチは果たしてそこまでわかっててやれてるのか?
……ま、相談してきたら乗ってやらないこともねぇけど。
「ほずみん。お前、キレイんなったなー」
「え、まじですか? やった、ちょー嬉しい」
「マジだよ、マジ。……つーか、リーチでいいのか? お前。世の中にはもっといい男いんぞ?」
「やだもー。鷹塚センセ、それ言ったらダメですよ。……同じこと、みぃにも言える?」
「っ……」
「ね? そゆこと」
一瞬見せた、いたずらっぽいというよりはそれこそ核心をつくかのような笑みに、たまらず喉が鳴った。
……いい女になったな、間違いなく。
強さどころか、何ものも手に入れる実力を垣間見せられた気がして、次の瞬間たまらず噴き出していた。
「にしても、まさかお前まで“先生”やってるとはな」
両手に持ったドリンクをしげしげ見比べていた彼女に笑うと、目を合わせてから満面の笑みを見せた。
「もうねー、毎日すっごい楽しいの。やばいよ。子どもたち、ちょーかわいいんだから!!」
今はまだ補佐だけどね。
そう言って舌先を見せたが、いやいや、十分それは“先生”の顔だ。
彼女もまた葉山と同じく今年大学を卒業し、この春から学園大附属幼稚園で教師をしているらしい。
毎日大変で時間に追われるようなことも多いらしいが、それでも話してくれているとき見せていたのは、やっぱり充実している顔。
昔とは違う、がんばってる人間の顔を見て、また嬉しくなった。
「ほらぁ、里逸。どっちがいいの?」
「……じゃあ、炭酸をもらおう」
「ほんっと、好きだよねー。炭酸」
「普段は飲まないだろう」
「そーだけど」
今俺に見せた顔とはまるで違う表情をリーチへ向け、満面と言っていい笑みを浮かべる。
……ああ、お前ホントにコイツのこと好きなんだな。
それはそれはもう『楽しくてたまらない』顔を見てしまい、つい自分も笑みがうつった。
「いい匂いですね」
「ん?」
さくさく、と音がしてそちらを見ると、葉山がにっこり笑って隣に並んだ。
「でも、やっぱり手つきがいいっていうか、慣れてるっていうか……。上手ですね。さすがです」
「あー、まぁな」
ようやく、肉の焼けるいい音と一緒に脂のうまそうな匂いが漂い始めた。
火が点いたのを見ていきなり『ここからは俺らがやるからいいし』なんて場所を取られ、追い出された現在。
……ま、いいんだけど。
うまい肉食わせてもらえりゃ、それで。
「……っ」
「平気か?」
「え? と……何が、ですか?」
「いや、暑いだろ? 座ろうと思っても砂がかなり熱いしな。……キツかったら、早めに言え」
「ありがとうございます」
ぽん、と彼女の頭に手を乗せると、驚いた顔をしてからにっこり笑った。
……その顔。
お前、ホントかわいいよな。
反応が素直で、かつ俺が欲しいモノをくれる。
「…………」
ふふ、と笑った彼女が首をわずかにかしげた途端、首筋に赤くなっている箇所を見つけた。
虫刺され、なんて野暮なモンじゃない。
あざの類に入るソレは、昨日の夜が現実だったという証。
……であり、俺のモノのしるし。
「っあ……!」
「お前、ここどうした?」
「……え?」
ぐい、と肩を引き寄せ、耳元で囁く。
顔は見ない。
ただ明らかに瞳が細くなり、口角は上がっていた。
「赤くなってんぞ?」
「っ……!」
つつ、と中指でソコを撫でると、腕の中の彼女が小さく震えた。
くすぐったさ、だとは思う。
違うほうであれば、なおのことイイけどな。
ただ、実際はどっちでもさほど変わらず、彼女が反応してくれたことに意義がある。
白い肌に残る、赤紫色のあざ。
誰が見ても、ココにあるというだけでイコールで弾き出されるのは蜜事。
あからさまな場所だから、誰の目にも触れる。
……えろいな。
同僚がキスマークなんぞ付けて来た日には、間違いなく『え』ってなる。
気づけよ、って。
隠せよ、って。
それ以前に思うのは、『何もンな所有印つけなくたって、誰もとらねーっつの』という、男に対する嘲り。
……なのに、まさか自分がするとはな。
よっぽどか? と、思わず鼻で笑えた。
「痕、残ったな」
ぼそり、と吐息交じりに耳元で囁く。
このときばかりは、顔を覗き込んだ。
どんな顔してるか見たいってのが、1番。
次に――……いたずらっぽく笑った自分を、見せ付けるため。
「っ……!」
「……隠すなよ?」
頬を染めて目を丸くした彼女の頬へ口づけ、目を合わせたまま呟く。
首へ当てようとした手は、握って捕捉済み。
揺れる毛先の間からキスマークが見えるからか、このときばかりはこの短い髪もまだ許せる気がした。
「……っと。そういや、飲み物何がいい?」
「え? あ……え、と……」
腕を解き、盛り上がっているコンロを一瞥してから向き直る。
相変わらず赤いままの顔。
だが、両手を頬へ当ててクールダウンを図っているらしい姿に、つい頬は緩んだ。
「なぁ、飲み物何ある?」
「お前に飲ませる酒はねぇ!」
「……誰がモノマネしろっつった」
「うわ、こわ! お前怖いよ! だから!」
本気で睨むなって!
慌てたようにうちわを振ったヤツを見てから舌打ちすると、きゃー、なんてまるで女の子みてーに両手で作った拳を顎元へ当てた。
……気持ちわり。
だが、そんなヤツの隣には彼女だと思われる子が楽しそうに笑っていて。
幸せモノだな、お前は。
そんなギャグでも笑ってくれる人間がいて。
「えっとー、緑茶とウーロン茶、あとはお酒とオレンジジュースならあるよ」
「……だってよ」
瑞穂ー、と声をあげた新藤の嫁さんが声をかけてくれたお陰で、葉山の意識もそちらへ向いた。
だが、反応こそしたものの、少しだけ困ったように改めて俺を見つめなおす。
「どうした?」
「た……え、と……壮士さんは、何がいいですか?」
ちゃんと言い直したな、お前。
そーゆートコ、偉いと思うぞ。素直に。
……つーか、かわい。
「っ……」
「俺は平気だ。なんでも飲むから。だから――……あ、酒飲めよ? せっかくだから」
「え? でも私は……」
「いーから。……酔った瑞穂は、えろかわいいって気づいてねーだろ?」
「っ……そん、な!」
「だから。飲め」
ぼそり、と呟いたのがちゃんと伝わったらしい。
かぁっと顔を赤くした彼女を見て、つい笑いが漏れた。
……あー、おもしれ。
コイツはホントに反応がいいな。
それこそ――……いろんなモノの。
昨夜聞いた甘い声が一瞬頭に蘇り、危うくまた口元が緩みかける。
「江崎ー、アセロラとウーロン茶。くれ」
「あ? これ?」
「そ」
アイスボックスを開いていたヤツの手近にあったチューハイとペットボトルを指差し、放ってもらう。
がっつり氷にまみれていたお陰で、受け取るとかなりの冷たさが心地よかった。
「ほら」
「……あ。ありがとうございます」
濡れた手でそれを渡し、自分は自分でペットボトルのキャップをひねる。
こっちもかなりの冷え具合。
つってもま、個人的にはペットボトルのお茶類よりよっぽど急須で淹れた緑茶のほうが好きなんだけど。
「んじゃ、乾杯」
「……乾杯」
コン、と互いに当て、ひとくち呷る。
いい音はしなかったが、大事なのは気持ちだ。
「おーい。肉焼けたよー」
顔を合わせたまま小さく笑ったところで、背中からデカい声が聞こえた。
肉の焼けるいい音は、依然として続いている。
が、俺の仕事は食うのがメイン。
「っし、んじゃ食うか」
「いただきます」
ふふ、と笑ってうなずいた彼女を見て、やっぱコイツといると面白いよなと改めて実感した。
|