「バーベキューにしては、なかなかいい肉だったな」
「なかなか、というよりは『かなり』だろう? なんでも、新藤先生が知り合いの肉屋から卸してもらったらしいぞ」
「へぇ」
 ウーロン茶を呷って何気なく呟いたら、しっかりと情報を得ていたらしくリーチもうなずいた。
 素人のバーベキューで焼くにはもったいない、サシのキレイに入った牛肉。
 の、厚切り。
 ……久しぶりにうまい肉食ったな。
 つーか、ヘタな焼肉屋では相当な対価を払わないと食べられないような、本当に柔らかくて肉汁たっぷりだった。
 こーゆー肉が食えるなら、バーベキューも悪くない。
 つってもま、車じゃなかったらいつもはほとんど食わずに飲んで終わるからこそ、今回は久しぶりに食うのがメインのバーベキューだった。
 最後のシメは、海鮮塩焼きそば。
 本来はバーベキュー用に焼くはずだった有頭海老を入れての、かなり豪華な焼きそばだ。
 しかも、ソースじゃなくて塩。
 先日あった祭りのソース焼きそばもうまかったが、コレはより一層うまかった。
 大勢で外で食うという雰囲気のお陰かもしれないが、久しぶりにうまいモン食ったなと素直に感じて、かなり満足度は高い。
「……あー。なんか、雨降りそうだな」
 西の空を眺めていた友人が、眉を寄せた。
 ……確かに。
 西からどんどんと灰色の重たい雲が流れてきている。
 箱根は間違いなく降ってんな。
 だとしたら、このへんも時間の問題。
 最近の雨は、ぽつりと来たら途端に雨粒が大きく激しくなる傾向にある。
 温暖化の影響はかなり大きく受けてるんだろうが、それだけじゃない理由もあるのかもしれない。
 どちらにしても、食い終わったんだしとっとと撤収をかけるのが賢い選択。
 男連中がそれぞれ分担し、言うまでもなく片付けに入る。
 こういうとき、どいつもこいつも教員らしく手際いいな、と思った。
 ……俺の場合はつい、『ほら、そっち片付けろー』と声をあげそうになったが、それは間違いなく職業病ってヤツだな。
「……お前、煙草吸いながら動くなよ」
「え? あ、わりわり」
 くわえ煙草のまま炭を片付けていたヤツに眉を寄せ、火バサミを取り上げる。
 愛煙家として見すごせない行為。
 それが、くわえ煙草と歩き煙草。
 ……あれ、すげーヤなんだよな。
 郊外学習のとき、自分のクラスの子どもが向こうから歩き煙草してきたサラリーマンとぶつかりそうになって、危うく火傷しそうになったことがあった。
 直で当たらなかったからよかったものの、そういう問題じゃない。
 もし、アレがぶつかっていたら。
 そして、もしすれ違ったのが小学生じゃなくてもっと小さな子どもだったら。
 ……目線の高さに、火種。
 考えただけで、恐ろしい。
 だから、嫌なんだ。
 そーゆー、マナーも気遣いも頭に入ってないクセに大手を振って煙草吸ってるヤツが。
 ほかのなんでもないヤツまで、悪く言われる。
 …………まぁ、それを言ったらなんでもそうだけどな。
 煙草だけじゃなくて。
「そーいやさ、お前今日煙草吸わなかったな」
「あ? ああ」
「……え、何? お前、もしかして煙草やめたの?」
「そ。禁煙中」
「えぇ!? 鷹塚が!?」
「……なんだよ」
「嘘だろ!? あ、わかった。とうとう、肺に影が見えたか」
「ちげーし」
「んじゃ、咳が止まらなくなったんだろ」
「だから、ちげーよ」
 どいつもこいつも、『あ、わかった』じゃねーよ。
 いきなりデカい声を出しやがって、失礼にもほどがある。
 だいたい、俺が煙草やめるってのがそんなに問題か?
 ……そういや、揃いも揃ってお前たちは去年禁煙同盟とかってのを立ち上げてたな。
 年末くらいから始まったはずなんだが、アレはいったいどうなった――……なんて、ンなモン結果は目の前にあるから聞くまでもないが。
「そう、なんですか?」
「あ? ああ。……まぁな」
 タープの下に敷いていたビニールシートを畳んで来たらしき葉山が、隣に来てから少しだけ驚いた顔を見せた。
 ……ま、そりゃそうだろうな。
 数日前まで、目の前でもがっつり煙草を吸ってたんだし。
 それが、まったく周りにほのめかすことなく、ひっそりと禁煙を始めたなんて。
 驚かれても無理はない。
 だが、それが狙いっちゃ狙いだった。
「……ま、そろそろなくてもいいかなって」
「何かあったんですか?」
「いや? 別にキッカケがあったわけじゃなくて、ずっと考えてたんだよ。漠然と。……ほら、校長センセが禁煙成功したって聞いたあたりからな」
 ……そう。
 別に、何があったわけじゃない。
 ふと始めてみるかと思っただけ。
 ……ただ、先日の葉山と小枝ちゃんとの会話がどこかで残ってないとは言えないが。
「口唇欲求……だったか? 煙草吸うヤツってのは」
「そう言われてますね。ただ、煙草だけに限られたことじゃないんですよ?」
「そうなのか?」
「はい。おしゃべりをすることや、おいしいものを食べたり飲んだり。そういう、唇を動かすこと全体が口唇欲求を満たすことにも繋がるんです」
「……へぇ」
 ――……この顔。
 いつも、ほわんとして穏やかで優しい顔なのに、このテの話題になると顔つきが変わる。
 まるで、俺よりも先輩の教師みたいな顔。
 きりっとしてて、だけど口元には笑みがあって。
 ……デキる女の顔、か。
 まじまじと眺めていたら不思議そうにまばたきをされ、『いや?』と首を横に振る。
 この、ギャップがヤバいんだよな。間違いなく。
 しゃんとした自立してる女の姿と、まだまだ若いねーちゃんって感じのする幼さにも似た雰囲気。
 …………この対比が、ヤバい。
 クルんだよ。間違いなく。
「うわ! やっべ、ぱらぱら来たな」
 タープを畳み始めていたヤツが声をあげた。
 それを機に、慌てて片づけを急ぐ。
 1番面倒なのはコンロの始末。
 とはいえ、炭をすでにバケツへ片付けてくれていた女性陣のお陰で、かなり短縮された。
 普段からよくキャンプに行くという趣味を持ち合わせているヤツが持ってきた、バーベキューコンロ。
 これには鉄板を覆えるカバーが付いているので、蓋を閉じてしまえば網に触ることなく片付いてしまう。
 ……もちろん、あとで鉄板は洗うんだけど。
 だが、急いでいるときはありがたい代物。
 みんなで礼を先に言って、持ち主に片づけを強制的にお願いする。
「やべ、これ結構粒デカいよ!」
「ダッシュだな!」
「んじゃ、こんなだけどー! お疲れー!」
「お疲れしたー!」
「またなー」
「あ、またメールするなー」
 思い思いのセリフを口にしながら荷物を担いで階段を上がり、駐車場へ停めたそれぞれの車へ避難開始。
 そうこうしているうちに、ほとんど感じなかった雨粒がデカくなり、まさに水玉が腕や顔を濡らし始める。
「瑞穂!」
「っ……え?」
 そんな中、後ろから聞こえた声で彼女が足を止めた。
 当然のように自分も足を止め、振り返る――……と。
「今度、ゆっくり聞かせてよねー!」
 にや、とそれはそれは楽しそうな顔をしたほずみんが、葉山へ親指を立てた右手を突き出す。
 その顔を見て、つい噴きだしそうになった。
「ん。また……今度ね」
 苦笑とともにうなずいた葉山が、ふたたび前を向いた。
 その横顔がこれまでと違って少しだけ照れたように見えたのは、気のせい……じゃないはず。
「っ……あ……!」
「行くぞ」
 手をつかんで引き寄せ、少しだけ足を速める。
 容赦なくふりそそぐ雨。
 あたりに漂い始める焼けた夏のアスファルトの匂いが鼻につき、夏らしさを勝手に見出す。
 土ぼこりと混じり合って鼻につく匂いは決してイイものじゃないが、正直これも悪くないなとどこかで思っている自分がいる。
 子どものころは、夕立が結構好きだった。
 まさにバケツをひっくり返したような大雨と雷、それこそが夏の風物詩。
 何十メートルもあろうかという白い入道雲を見つけるたび、内心わくわくしていた。
 ああ、きっと今日の夕方もまた雨が降るんだ、と。
 夏にしかない土砂降りと、そのあと見える虹。
 アレがたまらなく好きだった。
 ――……そして、今。
 当時から20年近く経った今でも、やはりたまらなく暑い日の午後は期待している自分がいる。
 また、昔みたいな夕立が来るんじゃないか、と。
 そして、雨が上がって嘘みたいに静かに晴れたとき、またデカい虹が見えるんじゃないか、と。
 当時とは、場所も環境も異なる今。
 夕立を経験する機会もぐっと減ったが、人間、一度経験したことはなかなか期待せずにはいられない。
「っ……!」
「走れるか?」
「あ、だいじょうぶ、です……っ」
 頭に手をかざしながら小走りで隣についてきた葉山の手首を取り、引き寄せる。
 これだけの雨に濡れながらも、俺を見て笑ってうなずいてくれる姿は、素直に健気だと思った。
 ……だから、期待するんだ。
 お前もまた、前みたいに俺の隣で笑い続けてくれるんじゃないか、と。


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