「っ……うわ」
ドアを閉めるのとほぼ同じタイミングで、雨粒が一気に大きくなった。
何より、音がものすごい。
フロントガラスを叩きつける雨粒は、デカすぎてとてもじゃないが雨には見えない。
ボタボタとかなりの勢いで注いでくる水が、ガラスに幾筋もの滝を作って落ちていく。
……こんなんじゃ、ワイパーいくら動かしたところで役に立たねぇな。
恐らく、この雨も10分程度待ってみれば威力も落ちるはず。
最近の雨の傾向として、大概その程度だろう。
「すげー雨だな」
「ほんと、音がすごいですね」
雨音がものすごくて、自然と大声で喋る形になる。
耳をつんざく、とはまさにこーゆーのを言うんだろうな。
雷とはまた違う轟きに、助手席の彼女へ顔を寄せて喋るものの、デカい声でも伝わるのがやっと。
思わず顔を見合わせて、どちらともなく笑いが漏れた。
「…………」
間に合ったとは思ったが、それでもかなり濡れてはいる。
バッグからハンドタオルを取り出した葉山が腕を拭い、濡れた髪先のしずくを拾う。
ぽつ、ぽつ、とところどころに見える水滴。
それを両手でふき取る様が、やけに色っぽく目に映る。
……もしかして、その行為だけのせいじゃないのかもしれない。
そう。
彼女が着ている薄地のブラウスが透け、下に着ている黒のキャミソールがくっきりと見えている状況だから。
「…………」
つい、視線はそこから動かなくなる。
だが、いつまでも眺めていたら、それこそ危ないヤツと同じ。
……まぁ、ある意味完全なる密室内で色っぽい姿してる子とふたりきりともなれば、どうしたって目は行って当然なんだけどな。
それでも仕方なく彼女から、なんの面白みもないフロントガラスへと視線を移す。
筋になって流れ落ちる、水。
だが、心なしか先ほどまでより少しだけ雨の音が静かになった気がした。
……気がする。
所詮、あくまでもその程度。
目の前のガラスを滑る水の量は、大して変わっていない。
「……すごい雨」
だが、どうやら音はやはり静かになったらしい。
大声では決してない彼女の呟きも、ちゃんと耳に届いたから。
ぽつり、とした呟きで、いったん離れた視線がふたたび戻る。
俺と同じように、フロントガラスを見つめている葉山。
濡れた髪がそう簡単に乾くはずもなく、しっとりとした纏まりを幾つも作っている。
いつもは前髪をすべて下ろしているのだが、今は濡れたことでところどころ分け目のようになっており、普段は見えない額がわずかに覗いてもいた。
この少しの変化でさえも、いつもとは違う顔に見えるから不思議だ。
女ってのは、すごいな。
……いや。
自分の気になる女は、と付け加えるべきか。
「……あ……」
「ん?」
思わず、まじまじと見つめてしまったら、ふ、と視線が合った。
どうやら、見ていたのを違う方向に取られたらしい。
途端、なぜか申し訳なさそうな顔に変わる。
「すみません、シート……濡らしてしまって」
「あ? ……あぁ、車か。気にすんな。俺だってびしょ濡れなんだし、それにお前が風邪引いたりしたほうがよっぽど困る」
「……すみません」
再度同じ謝罪を口にした彼女が、ハンドタオルを両手で握り締めた。
どうやら、自分の色っぽい状況にはまったく気づいていないらしい。
つか、どんだけ俺優先なんだよ。
本人のみならず所有物に対してもなおってあたり、ホンモノなんだなと思う。
……まぁもっとも、そんな意見が出るのは、彼女も車が好きだからかもしれないが。
「…………さっきの話なんだけど」
「はい?」
粒が大きかった雨が徐々に小さくなり始め、ガラスを流れる雨の滝が細くなった。
ルーフ越しに伝わってくる雨音も、当初よりぐっと静かになっている。
普通の声で普通の会話ができる、今。
なのに彼女へ顔を寄せたのは、ほかならぬ意図があって、だ。
「じゃあ……禁煙中にやたらキスしたくなるのも、仕方ないんだよな?」
「え……?」
彼女を見る眼差しが変化したことには、気づいてた。
いや、それは何も今に始まったことじゃなくて、むしろずっと――……そう、葉山を『女』だと意識したときすでに、見る目が変わったのは知っていた。
じっとりと縋るような……それでいて、狩るような。
まるで、獲物を視界に捉えるときの動物のような目つきだ、ってのはわかっていた。
しかもそれは、考えてどうにかできるレベルのことじゃなく。
脳が指令を出して勝手に身体が動くんだから、俺自身にもどうにもできない。
……理性が利かない。
いわゆる、本能の域のモノだから。
「っ……ん、んんっ……! っん……」
伸ばした右手で彼女の顎を捕らえ、無理矢理引き寄せて口づける。
唇の柔らかさが、たまらなく心地よくて。
たしかに、禁煙の動機はいろいろあったかもしれない。
だが何よりも、ちゅ、といい音を立ててキスを受け入れてくれる彼女の唇が、単に煙草より優先順位が高まっただけだ。
「はぁ……、ん……っ」
柔らかくて滑らかな、温もりをくれる唇。
雨で身体の表面温度が下がったせいか、彼女と繋がっている唯一のソコが、やけに熱くて心地いい。
……無論、それだけじゃないんだけどな。
水とは違う濡れた音と彼女の甘い声が混じって耳に届くと、身体の奥がたまらなく震える。
ぐ、と苦しいほどの感情が湧き上がる。
手に入れて、どうにかしてイイよな。
誰に対するモノでもない問いが常に頭の中を巡り、自分の限界が近いと悟る。
……コイツの『先生』でいられるのも、あと少しだな。
メッキが剥がれ落ちるのも、どうやら時間の問題らしい。
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