「あ、鷹塚センセー」
「おっす」
「おはよーっす」
「はよーっす」
職員会議を終えて向かうのは、案の定チャイムがなったってのに騒がしい我が教室。
……ぅおい。
確か今朝は、読書タイムとかってヤツをこの前の学活で決めたんじゃなかったか?
ちなみに今週のお題は、『海外の偉い人』シリーズ。
漫画以外なら許可したんだが……これじゃ、真面目に読んでる子が居るのかさえ怪しい。
「先生、おはよー」
「おはよ」
「せんせー、おはよーございます」
「おはよーございます」
わいわいと騒がしい教室の入り口をくぐってすぐ、何人もの子たちが声をかけてきた。
……あー。
黒板に『読書タイム』の文字がないのは、俺のせいなのか? 俺の落ち度なのか?
……そういや、昨日このことを言わなかったような気も……。
…………。
……となると、この『ぷち運動会』と化したクラスの責任は、ハナっから俺にある気がしてきた。
「鷹塚せんせー」
「ん?」
今朝配る予定の学級通信を教卓に広げると、廊下に出て喋りまくっていた山崎少年が俺のところへ真っ先に来た。
……だがしかし。
何やら、やたらめったら嬉しそうな顔をしているのは気のせいだろうか。
「俺さー、昨日の漢字ドリル忘れちった」
「おーい。それはねーだろ!」
思わず、びしっとツッコミを入れそうになる。
だが、やっぱり彼は眉を寄せて『だってだって』攻撃を始めた。
「だってさー、ほら、昨日サッカーやってたじゃん? サッカー」
「あ、見たぞ。俺も」
「だしょ? だからさー、見てたらいつの間にか22時になってて、マミーに寝ろって怒られてさー」
「……んで?」
「いや、だから」
「だからじゃねーだろ、山崎さんよー」
「ごめーんなさーい」
「こら!」
眉を寄せて顔を寄せると、合掌のポーズとともに『許してー』と叫び始めた。
……ああもう。
彼に宿題をこなさせるには、バッグに付箋でもつけるしかないんだろうか。
いや、もしくは彼自身が提案していた、『手の甲から腕にかけてのメモ』とか。
さすがにそれはどっかのPTAとか上の先生様から苦情が来そうなので止めておいたが……しかし。
「んじゃ、明日の朝のテストで合格な」
「えー! おーぼーじゃん!? それ!」
「いやいやいや。れっきとした合法だから、コレ」
「……うひー」
トントンと紙の束を揃えてから、扇形に開く。
俺が彼らくらいのとき、担任の中年先生が指に唾を付けるのを見て以来、本気で『あんな大人にはなりたくない』と思って配り方を練習したモンだった。
その甲斐があってか、お陰さまで『俺も先生みたいにやりたい』と真似をしてくれる子まで出て来てくれたほどの手さばき。
……ふ。
まぁ、これが唯一の自慢っつーのも若干物悲しいが。
「あ、せんせー」
「んぁ?」
わら半紙をそれぞれ先頭の席の子に渡していると、1番後ろの席で手を上げた子が声を張りあげた。
「どーした?」
「あのさー、聞きたいんだけどー」
「うん?」
神妙な面持ちが目に入り、自然と足が止まる。
――……が。
「先生、今年アラサーってホント?」
真顔の少年を見たまま、数秒。
その後、またふつーにプリント配りへ戻った自分が『ああ、大人になったな』と思った。
「ほんと」
「え、マジ? そうなの?」
「そ。今年20代最後」
センセー、アラサーだってー!
けらけら笑いながら、隣の子と盛り上がる少年。
彼は今年でここを卒業するので、無論意味がわからないってこともないだろう。
明らかに、その目にはいたずらの炎が宿ってるしな。
……ああ、世知辛い世の中だ。
「えー? あれ、先生去年34だって言ってなかったっけ?」
「っ……」
「そうだよ、そうだよー。だって去年、四捨五入すればまだ三十路って言ってたじゃん」
「…………ち。覚えてたか」
真ん中の列までプリントを配ったところで、賢い女子が反論し始めた。
……ち。
いいんだよ、もう。アラサーはアラサーだ。
ただ、なってから随分と時間がすぎてるという点を除いては。
「え、じゃあ先生って今……35?」
「ケースケ」
「うぃす?」
「言っとくが俺は、まだ34だ。誕生日来てねーし」
「あ、そーなん?」
「そーなん!」
全力で否定しつつ、きっちり真実を刷り込んでおく。
別に、年齢にいちいちこだわりを見せるわけじゃない。
だが、やっぱり……だな。
こう毎日毎日『そろそろお仲間ですね』とか『ご結婚はどうなさるんですか?』とかってセリフをウチの両親以外から降り注がれていると、きっちりしたくなるんだよ。
……ちくしょう。
俺だって、好きでドリームに花を咲かせてる訳じゃないのに。
しょーがねーだろ。そもそも出会いがない。
そしてその次に、なかなか夜遊びする時間もない。
……元気はたっぷりありあまってるけど。
「せんせー。結婚しないの?」
ぴくっ
「馬鹿だなー。しないんじゃなくて、できないんだろー?」
ぴくぴくっ
「え、でもさ。先生ってそろそろ……ヤバくね? もうさ、おっさんなっちゃうじゃん」
「そーだよ。だから焦ってんじゃん。彼女居ねーってことに」
「マジで!? え、俺、ねーちゃん紹介しようかな」
「ばーか、お前のねーちゃん、まだ中学生じゃん! ……あ? 中学生ならいいのかな。大人か」
「だろ!? 大人だよな、中学生って!」
「そうだな。んじゃ、勧めてみれば?」
「やっぱし?」
「ちょっと待てーー!!」
最後尾の列ならばともかく、最前列でそういう馬鹿な話を繰り広げられる俺の身にもなってみろ。ちくしょう。
そりゃまぁ、俺が悪いっちゃ悪いのかもしれないけど。
「確かにな? お前たちからすれば中学生ってのは十分すぎるほど大人かもしれないが、俺にとっちゃ子どもなんだよ! だいたい、俺の半分も生きてねーし!」
「え。……あ、ホントだ。35÷2って…………17余り1じゃん!」
「え!? 先生、おっさんじゃん!」
「うるせぇ!!」
つーか今、随分と時間経ってからようやく答え出たな。お前。
大丈夫か?
確か今年、隣の市の私立中学受けるって言ってなかったっけ。
……あー。不安になってきた。
つか、考えるだけで胃がキリキリする。
「でもさ、ウチのかーちゃん言ってた。先生カッコいいんだから、早く子ども生めばいいのにって」
「あ、ウチのとーちゃんも言ってた」
「……なんだよ。みんなして、俺の子孫の心配か? そりゃ悪いな」
男は生めねーけどな。
一応心の中だけでつっこみを入れつつ、最後の列にプリントを配ってから教卓へ戻る。
「あ。今度、店のかわいい子集めてコンパするか、ってかーちゃんと話してた」
「マジで!?」
「うん。俺んち、ほら。菓子みてーな名前の……」
「スナックな」
「そうそう! それやってるからー」
彼のお家は、この近所のおじさま方の溜まり場……じゃなかった。社交場になっている、スナックを経営している。
去年初めて家庭訪問へ伺ったときは店で出迎えられただけでなく、水割りを出されるというなかなかのツワモノ対応だったが。
「その話、あとで詳しく」
「らじゃーっす」
教卓に両手を突いて瞳を細めると、ビシッとわざわざ立ち上がって敬礼してから席に着いた。
……あー。
なんか、朝から力抜けるな。
つか、今のはまるで『担任を救おう・ぷち学級会』だったな。
そのうち、募金でも始まりそうな勢いだ。
……いや、むしろ本気にしたどっかの親が見合い話を持ち込んで来そうで怖い。
「っし。んじゃ、朝の会始めるぞー。日直、号令ー」
大きく息をついて気合を入れ直してから、顔を上げて声を張りあげる。
今年で、教師12年目。
各学年の担任としてもいろいろ味わい終えたころなので、新任の先生を見ても『若いな』とまるで違う生き物にしか思えなくなってきた。
あー、遠い昔は俺もそうだったっけ。
……年も年だしな。
さっきのセリフじゃないんだが。
「……はー」
ふと腕時計の日付が目に入って、ため息が漏れる。
今朝のアレ。
あの、お告げのようなステキ生活は、夢かはたまた幻か。
あぶくのように消えるのか……俺のこの手で実現できるのか。
今のところ、残念ながら彼女の『か』の字すら見つけられていない。
…………だが。
すべての運命が、今年1年の過ごし方にかかっているような、そんな気もして。
それぞれが席に付いたのを見計らって声をかけると、また気合が満ちてきた。
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