「……あー……うー……」
「なんつー声出してんだ、お前は」
 ようやく職員室に戻って来れた、放課後。
 子どもたちを一斉下校で送り出して戻ると、なんとも言えない和やかな雰囲気が心地よかった。
 朝なんて、やっぱ先生方みんなカリカリしてるもんなー。
 一気に『井戸端』の雰囲気がするからこそ、落ちつける。
 つーか、気分はすでにアフター5。
 ……ま、ここ数年5時きっかりに帰れたことなんてねーけど。
 それでも、年を経るにしたがって徐々に帰れる時間が早くなってきたように思えるのは、やっぱり慣れってヤツが大きいんだろうか。
 結構適当になったもんな、俺も。
 昔のぎっちぎち肩に力入れまくってたころが、懐かしい。
 ま、この学校だからこその和やかな職員室ってのもあんだけどな。
 前にいた学校なんて、会議がない日の午後も職員室にいるだけでしんどかったし。
「…………はー……」
 セルフで淹れたコーヒーを飲みながら、ぎしぎしと椅子の背もたれに身体を預ける。
 ……あー。なんかもー、腰が痛い。
 教師ってホント大変だよな。
 立ち仕事まさにソレ。
 俺は椅子が欲しい。
 ……まぁ、座ってたらやることやれねーんだけどよ。
「5時間目、フットベースやったんですよ……」
「元気だなー、お前」
「しょうがないじゃないですか! 体育なんですから!」
「まーな」
 そちらをまったく見ずに相槌を打ち、ふんふんついでにうなずいてもやる。
 だが、コイツほど体育が似合わない男はいないんだよなー。
 ほかの新米は、もちっとハツラツとしてるっつーのに。
 なんでだろ。
 黒縁眼鏡がいけないのか。
 それとも、3年目なのに体力がなさすぎるのがいけないのか。
「つーかお前、アレだろ。そんなんじゃ明日の飲み会行けねーだろ」
「そんなことないですよ! 何があっても行きます!」
 ソレだけは外せませんからね!
 へにょへにょと机に伏せてたヤツのセリフじゃない。
 ついでに、そのテンションも尋常じゃない。
 ……コイツ、よっぽど笹井先生のこと好きなんだなー。
 まぁ、わからないでもないが。
 なんかこー、無駄に自分より背の高くて華々しくてツンとしてる女ばかり追いかけてる傾向あるし。
 ……アレか。
 もしかして、『ツンデレ』だと思いこんでるのか?
 いやいやいやいや、彼女に限ってそれは……それだけはねーだろ。
 少なくとも、俺的にそれだけは許せない。
 あってはならない。
 許されんぞ、マジで。
 ……って、ループだからこの辺でやめよう。
「あ。そういえば先輩、知ってます?」
「何が?」
「今日、新しい先生が来たらしいですよ」
「………………は?」
 さすがに、その言葉で手が止まる。
 新しい先生。
 ……何を言い出すんだコイツは。
「お前、夢でも見たの?」
「違いますって! 朝、教頭先生が言ってたじゃないですか」
「……そーか?」
「そうですよ! ……もー。先輩、人の話聞いてな……あいた!」
「目の前で悪口を言うんじゃない」
 持ったままの赤ペンで頭を小突き、軽く睨んでおく。
 大げさなヤツ。
 ンな、涙滲むほど痛かねーよ。
「朝言ってたっつっても、結局その新しいセンセなんて来てねーじゃねーか」
「それは……まぁ」
「ほらみろ」
 日にちでも間違ったんじゃないのか?
 ……まぁ、まだ4月。
 新学期に間に合わなかったとはいえ、新任が来る確率は十分すぎるほど残されている。
 とはいえ、産休もなければ病欠もなし。
 よって、空いてるポストはない。
 如いて挙げるとすれば、教頭先生が受け持ってる音楽のポストくらい。
 そこならまぁうなずける。
「で? なんのセンセが来るんだよ。音楽か?」
「違いますって。心の相談員さんですよ」
「……あー。アレか」
 言われてようやく納得。
 そういえば今年はまだ、あのポストの先生を見かけてなかった。
 確かに、3月までは見かけてたんだけどな。
「前の先生は辞めたんだっけ?」
「……もー。忘れたんですか? 子どもたちから大不評で……」
「あー。……そういやンなこともあったな」
 何気なく呟いたつもりだったのだが、潜められた声を聞いて思い出した。
 心の相談員。
 正確には、心の教室相談員と言う。
 月に1度来訪するスクールカウンセラーとは違い、現役を退いた先生方や地域のボランティアが入ることの多い職業。
 中学ではすでに始まって長いんだが、小学校ではとんと話も聞かなかった。
 実際、一昨年にお試し期間があって、正式に始まったのは去年から。
 ……で、去年。
 ウチの学校には、現役を退いた60歳半ばのおばちゃん先生が赴任したワケだったんだが……。
 スクールカウンセラーと違って、結局、教師は教師。
 心理を学んではいないせいか、返って来るのは子どもたちが求めていた言葉ではなく。
 そんなこともあって、当初相談に訪れていた子どもたちからさまざまな不満が出始め、夏休み以降は相談に向かう人影もぱったりとなくなってしまった。
 ……まぁ、年が年ってのもあると思うんだけどな。
 4回りも違う人間同士で話が合うはずもなく。
 少なくとも、ウチの学校では相談員が配属されたことで何か問題が見つかるとか、その改善策がどうのとか、そーゆー以前の問題が壁になってしまって、成果と呼ばれるモノはまったくなかった。
「……でっ! 今年は違う先生が来るんですよ」
「ほー」
「去年が去年でしたからね、ぴっちぴちの若い先生が来たら……どうします! 先輩!!」
「ねぇよ」
 コーヒーを飲みながら、そこだけは正確に自信を持って。
 途端、当然のように花山が食ってかかってきたが、俺には確かな証拠があった。
 アレは今から数日前。
 ……残念だったな、花山。
 お前の期待するような逸材は、我が校に来ない。
 それがあるから――……俺はハナからこの件に関して口を挟まなかったワケだ。
 ……挟まなかったっつーか……挟みたくなかった、っつーかだけどな。
「金谷先生が言ってたぞ。川場先生よりお姉さんだ、って」
「……金谷先生がですか?」
「ああ」
 金谷先生ってのは、養護の先生。
 ……であり……まぁ、その……いろいろあるワケだが、ここでは割愛しておく。
 とにかく、俺にとって弱みを握られているあまり関わりたくない人物であるというのだけは言えるが。
 んで、川場先生ってのは教育相談の先生。
 そのお年は、現在40半ば。
 その川場先生よりも『お姉さん』ということはイコール……。
「ま、期待しないほうがいいぞ」
「………うぅう。そうなんですか?」
「そりゃそーだろ。おねーさんだぞ、おねーさん。年上の象徴」
「えぇええ! ……そんなぁあ……」
 お前はいったい何をそこまで期待してたんだ。
 思わず瞳を細めたままため息をつくものの、へにょんと情けなく机に伏せた花山からはまったく活力というモノを感じられなかった。
 はうぅ、じゃねーよ。お前は。
 つーか、この職場にそーゆーモンを求めるな。
 求めるだけ、無駄だ。
 ……ってことを、この年になったせいか俺は本気で思う。
 悟りだな、悟り。
 ある意味そう言っても間違いない。


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