「えー、先生方。それではお集まりいただいたところで、少しこちらを見てもらえますか」
しょんぼりした花山を放置しながらテストの丸付けをしてしばらくしたとき、教頭先生が声をあげて立ちあがった。
手には何やら書類めいた白い紙。
なんらかの通達に違いないだろう。
――……なんて、思った……が。
「…………え……」
普段見ない笑顔が、やたら連発されてるなとは思った。
そうは思ったが、その理由がなぜかなんてことまでは考えなくて。
だからこそ、ドアが開いたとき思わず目が丸くなった。
……その理由。
それが、字の如くハッキリ目に見えたから。
「こちらは、今年から赴任されることになった心の教室相談員の、葉山 瑞穂さんです」
いつになく、室内がザワついたように思えた。
いや、事実その通り。
職員が、音を立ててそちらを見たせいだろう。
……中でも、俺を含めた数少ない独身の男性教師陣が特に。
「彼女は、大学で心理学を勉強されていて、同時に小中の免許も取得されています。昨年は1年間、大学での勉強もされながら相談員の補助業務もなさっていた……そうですよね?」
「はい」
そこで初めて、彼女の声を聞いた。
……なんつーんだろうな。
ただ、かわいいとかってんじゃない。
なんかもー……あーもー。
「……先輩」
「あ?」
「顔。すんごい緩んでますよ」
「っ……うるさい!」
にやにやにや、とまるで人の弱点でも掴み取ったかのような顔で、花山が俺をつついた。
悪かったな。
つーか、自覚してるよ。締まりのない顔してるってことくらい。
でも、しょーがねーだろ?
……かわいかったんだから。
あんな短い声でさえ、これだけの反応。
…………うぉお。
俺的に久々の大ヒットかもしれない。
「葉山先生。それじゃ、お願いします」
「あ、はいっ」
いつも以上ににこやかな教頭先生が彼女を向くと同時に、いかにも『緊張してます』と言わんばかりの態度を見せていた彼女が背を伸ばした。
と同時に肩から流れる、長い髪。
ゆるやかにウェーブを描くそこに、つい目が行く。
「心の教室相談員としてお世話になります、葉山瑞穂です。至らぬ点などがあるかとは思いますが、ご指導よろしくお願いいたします」
ぺこりと頭を下げた彼女に拍手が送られ、ゆっくりと表情が和らいだ。
よっぽど緊張してたんだろう。
胸に手を当てて深く息を吐いた彼女は、ものすごくほっとしていた。
「先輩」
「…………」
「……先輩?」
「初々しい」
「はい?」
「いいなー、あの子。……あのはにかみ具合とか……。うわ、すげー俺好み」
いつの間にそうしていたのか、気付くと頬杖をついたまま彼女を目で追っていた。
ぐいぐい花山に服を引かれてやっと気付いたものの……無視だな。無視。
確かにその声くらいは耳に入って来るが、目線は微動だにしない。
「葉山先生には、授業風景などで子どもの様子を見ていただく予定ですので、『ぜひ』と仰る先生はよろしくお願いします」
「あ。ウチ、いつでもいーっすよ」
教頭先生の言葉に、我ながらびしっと手が挙がった。
「っ……」
途端、彼女と目が合う。
少し驚いたように目を丸くした彼女。
だが、まじまじと見つめること数秒、ふっと表情を緩めて、嬉しそうに笑ってくれた。
……うわ。
うわうわうわ、なんだアレ。
すっげぇかわいい。
ちょーかわいい。
モロ好み。
ヤバい。
俺の中で勝手に鐘が鳴っちゃったかもしれない。
「うぁっ! う、うううううちもいつでもいいですよ!?」
「……あ?」
「3年3組担任の、花山です! よろしくお願いします!」
「うわ、きったねー。何お前自己紹介までプラスしてんだよ」
「だって! いいじゃないですか! そもそも、先輩が先にアピールしたんじゃないですか!」
「いーだろ別に。俺はもう先がないんだから。お前なんてまだまだ若いじゃねーか」
「それとこれとは関係ありません! なんですか! がっついて!」
「ッ……お前に言われたくねーよ!」
「……あー、そこ。ふたりともやめてください。みっともないですよ」
「っ……」
「うぅ。……すみません」
椅子に座ったまま言い合っていたら、咳払いとともに教頭先生がザクリと会心の一撃を繰り出した。
途端、周りの先生方のくすくすという失笑が耳に入り、深い深いため息が漏れる。
……あーもー。なんだよ。
しょっぱなから、すげーカッコわりーじゃねーか。
「……ち」
せっかくのアピールタイムは失敗に終わり、微妙な印象付けしかすることができなかった。
だが結局、教頭先生と校長先生に頭を下げ、何やら話し込んでから金谷先生と職員室を出て行くまでの、ざっと2分弱くらいの間、俺はずっと彼女を見たままだった。
……つーか、なんで金谷先生と一緒にいるんだよ。
しかも、出て行く瞬間に俺を見てニヤっと笑ったし。
ほんっと、性格悪いぞ。
早くも察知ってことか。
……まぁ、あんだけアピってりゃわかるだろーけど。
「あ。そういえば明日の飲み会は、葉山先生の歓迎会も兼ねてるとか言ってましたよ」
「何!? ホントか!?」
「げふっ!? ぐ……ぐぇ、く、くるしっ……! せんぱ、くるし……!!」
あっけらかんとした声で振り返ると同時に、両手でぎゅっと締め上げてやる。
別に、本気の力じゃない。
反射だ、反射。
つい、勢いあまってってヤツ。
「……よし。俺も行く」
「えぇっ……!? 本気ですか?」
「ったりめーだろ! 馬鹿! 行かない理由はねーだろうが!」
勢いあまって立ち上がり、ぐっと拳を握る。
……飲み会。
そう。
彼女のための歓迎会。
酒を交えて大人の時間をすごせば……当然、より親密になることができるはず。
むぁちがいない。
「よし! 仕事やろう!」
「……先輩……。ゲンキンですね」
「なんとでも言え!」
ガタンっと椅子に座り直し、改めて机に向かう。
赤ペン手に取り、残るテストをざざざっと採点終えるため。
そのとき小さく、『元々、ほかの新任の先生方の歓迎会だったんですけどね……』なんて花山の呆れたような声が聞こえないでもなかったが、今の俺の耳に残るはただひとつ。
彼女のあの、可憐で清楚で凛と響くかわいい声のみ。
「やる……!」
独りでに顔が緩んでいたのは、やっぱりそのせいであることが大きいと思う。
……うん。
俺ってやっぱり、単純なのかもしれない。
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